2009/09/13

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観る

 都市部での公開からはや2ヶ月。やっと我が街の映画館にも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」がやってきた。夏休みシーズン、多くの子供向け作品にほとんどのスクリーンを取られていたが、それも落ち着き、地方部の映画館でやっと公開になったようだ。この間、何度も遠征を考えたが、さすがに妻とまだ小さい子供を残して行く事はできなかった。しかしやっとこの機会に恵まれ、本作を観る事ができて感謝、しかもその出来が良い。

 テレビシリーズの「アスカ来日」から「男の戦い」までを再構築。ただ物語は一見同じ韻を踏んでいるようで、味わいは異なる。まず一つは、新キャラのメガネっ子マリ登場が公言されていた事に加え、サードインパクト、人類補完計画に至るシナリオへの変化。そしてもう一つが、シンジら主要キャラの進む心理的道程である。特にテレビシリーズにあった遠回しな葛藤、旧劇場版のように気恥ずかしくなるシーンはない。その成長はストレートで気持ちよく、その分クライマックスで観る者の心を震わせる。

 そして感じるのは昭和の匂いかもしれない。"手料理"をキーワードに心を通わせ、指先に心境を窺わせる演出が心憎い。しかもレイやアスカ、ゲンドウまでも旧世紀版(世間的に旧シリーズをこう呼ぶらしい)と異なる側面を見せる。基本的に同じメッセージを伝えようとしてはいるが、その饒舌さ、濃密度は対峙する使徒との戦いと相まって、映画らしいカタルシスに溢れている。また音楽はおなじみ鷺巣詩郎によるスコアだけでなく、随所に昭和を感じさせるものも多く、そこに心は「ポカポカ」させられる。

 もちろんエヴァらしく謎解きたる側面も持つが、旧世紀版同様にそれは真意であるまい。あくまで主人公(と観客、そして製作者)の心の葛藤、成長こそがエヴァなのだから。ただ本作の終盤登場した、渚カヲルが駆るMark.06、真のエヴァンゲリオンの存在はいまだ謎ばかり(本編最後のカヲルによる映画「マトリックス」的なセリフもね)。新劇場版による更なる新展開、それがいよいよ次作「Quickening」で明らかとなるのだ。

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P.S.
 映画館に着くと個人的に耳覚えのある曲、映画「太陽を盗んだ男」「YAMASHITA」が流れていた。何故かと思ったら、今回のエヴァで使われていて二度驚いた。エヴァの世界の日常に流れるワンシーン、でも曲はノーカット。ただエンドロールではノークレジットだった(「破」のサントラには入っているようです)。ただそういえば、スタッフの一人である樋口真嗣氏が、「太陽を盗んだ男」の特典DVDに出ていたしね。

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2009/09/05

「96時間」を観る

 今夜は盟友N氏に誘われ、リュック・ベッソン製作・脚本の「96時間」を観てきた。熟年のリーアム・ニーソンを迎えたアクション作。原題は「Taken」で、「取り返す」って事なのだが、何となく隠語を含んだような意味深なタイトルである。元工作員だった主人公が、実生活では離婚し、娘を奪われた中、本当にパリで娘が誘拐され、自ら『取り返し』に向かう姿が描かれる。そのタイムリミットが『96時間』。だが映画自体は約90分とコンパクトであり、ラストまで一気に駆け抜ける。

 監督の持ち味か、あるいはリュック・ベッソンの(共同)脚本の良さか、観る側は全くダレる事が無い。その所以、このオヤジさんはやたら強いのだ。スティーブン・セガールを彷彿とさせるマーシャルアーツの達人ぶり、超人ぶり、一撃必殺。何故そんなに強いのか、なんて説明は物語序盤で一目瞭然。あとはタイムリミットの『96時間』が、そんな疑問を吹き飛ばす。愛娘を奪われ、助け出す動機に、理由や説明は要らない。もしボクが自分の家族を奪われ、助け出さねばならない機会を得た時、その超人ぶりは是非とも欲しいものだ。

 この作品を観ていて、チャールズ・ブロンソンの復讐劇「狼よさらば」、「DEATH WISH」シリーズを思い出させる。奪還劇と復讐劇の違いはあれど、漂う懐かしさ、作品の醸す雰囲気に似た物を感じる。映画ファンは"悩む"オヤジさんに弱い。例え非情であろうとも、主人公に感情移入せざる得ない。そこに現代的なアレンジを加えた面白さはベッソン印。カラオケマシンは説明書を熟読してから購入する頑固さだけに、ハイテクを使いこなす姿も納得。カルフォルニアからパリ、犯人を追い詰める道程に無駄は無い。

 理屈抜き、いや理屈を考えさせないテンポも身上。もちろんフィジカル面だけでなく、迫力あるカーアクション等、見所も多い。ヨーロッパを上手く使った「ボーン」シリーズと同様、パリのロケーションも興味深く映る。「ダークマン」以来のアクションと思うが、温和なリーアム・ニーソンの怒りが爆発。同じオヤジもの、「ダイ・ハード」のようなシリーズ化も期待できるかも。その位、この作品は出来がいい。

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2009/08/01

「ターミネーター4」を観る

 今夜は盟友N氏を誘い、「ターミネーター4」を観てきた。夏休みの劇場は子供向け作品ばかりで、正直今日観るならこの作品しかなかった。以前、このT4に対する不安を漏らした事があるが、映画の日で千円なら後悔しないはずと思った次第。しかし幕があがってからも、マックGに対する不安は晴れなかった。そして本作でターミネーターの居る未来、ついにパンドラの箱は開かれた。だが今観終えた後の感想は、意外にしっかりできていた作品となっていた事だ。

 まずこの作品に沿って、ジョン・コナーはリーダーの道を辿っていく。母サラの遺した予言を背景に終戦に導く存在。だがその予言を揺るがす者が現れる。本作のキーマンであるマーカスだ。個人的にネタバレしていたために、キャラ的な驚きは無かったが、演じるサム・ワーシントンが中々魅せてくれる。むしろジョンを喰って、ジョン以上に主役といっていい。原題は「Terminator Salvation」、彼はSalvation(救済)の意味する部分を一身に受ける。

 もちろんこの作品の興味は既に描かれた運命、その先あるいは過去の出来事とのリンク。おなじみT-800は、ターミネーターの進化の一つとして登場する。T-800以外にもビジュアルで魅せるアイテムが数々登場、迫力のあるシーンが展開される。そして何よりもジョンの父、カイルがジョンの目の前に現れる事。もう一つのSalvation、ジョンは彼を救う事ができるのか。これら物語を軸にクライマックスへ、ジョン、マーカス、カイルの運命は交錯していく。確かに、確かに物語は良くできている。

 しかしこの作品最大の運命こそ、第一作や第二作T2と比較される事だろう。つい粗探しして観てしまったほど。そんな中で惜しまれるのは、提供されている様々なプロットを活かしきれていないところ、人物相関があっさりしているところ等(配給元を意識して、VAIO Uにソニーのロゴがアップになるのもどうしたものか)。また救済は解るが、シリーズとして運命という最大のテーマにメスが入っていない。ジョンは本当にマーカスを知らなかったのか?最終的にはタイムパラドックスというどつぼにハマってしまう。

 ただおバカ映画監督、改めマックGに対する不安は少なからず晴れた気がする。ついレクターシリーズ三作目「レッド・ドラゴン」を観終えた後と同じ気持ちになった。ブレット・ラトナーに対する不安、意外に上手く撮れていた事等。あれも脚本、名演、音楽に助けられていた気がする。奇しくも音楽は本作と同じ、ダニー・エルフマンだったりして。興行も大成功と言い難い中、果たして予定通り三部作のままか、次作で完結をみるか、今はマックGの運命に最も興味があったりして...

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2009/06/12

「スター・トレック」を観る

 今夜は盟友N氏に誘われ、「スター・トレック」を観てきた。最初は明日から始まる「ターミネーター4」とどちらかと天秤に掛けられていたが、迷わず「スター・トレック」を選んだ次第。理由は「T4」には大きな不安がある事(監督とか、監督とか、監督とか。結局、監督の事じゃん!)。それよりも活き若返る「スター・トレック」に興味があったからだ。そこにはシリーズ史上、最も熱い「スター・トレック」が展開されていた。ホント、とにかく熱いのだ。

 ヒットメーカー、J・J・エイブラムスの再構築した本作は、まさに「スター・トレック」ビギンズである。感情をむき出しにする若き指揮官候補カーク。対照的、冷静に物事を判断、遂行するスポック。この二者の対比、のちに友情を交わす二人の若き日の姿。カークの熱さが、そんな"若き"スポックをも動かす。そこが"ビギンズ"と呼びたくなる所以だ。圧倒的VFXも凄いが、何よりもこの熱さには代え難い。冒頭から観客を物語に引き込む動因となっている。

 それと同時にオリジナルシリーズのファンを取り込む仕掛けも嬉しい。おなじみの面々が若返って登場する点にも興味はあるが、中盤「こう来たか!」と驚かされる展開が用意されている。なお"若き"スポックを演じるのは、テレビ「HEROES」のサイラー役、ザカリー・クイント。元々キャラが濃い彼(「HEROES」ではヒゲも濃かったが)が、誰もが知るこのキャラクターを、全く違和感なく演じている。その姿、レナード・ニモイに劣らず。彼なら、オリジナルシリーズのファンも納得するのではないか。

 物心ついた頃に観たテレビ「スター・トレック」は、パッチパチのコスチュームのウイリアム・シャトナーが指揮官席に座り、ゆるーい展開で進む宇宙冒険ドラマだった。矢島正明さんが声を充てたカークは今も耳に残る。対してクリス・パインの演じるカークは、それを叩き壊すかのような熱さ、それが魅力的なのである。公開前、その出来から続編始動の噂は出ていたが、これなら現実味を帯び、是非観てみたいと思わせる。本作は夏向き大画面向き、劇場で観て欲しい作品である。

P.S.
 終演、オリジナルテレビシリーズのテーマがフィーチャーされ、ファンの心をくすぐる。ただできれば、願わくば、御大ジェリー・ゴールドスミスの手掛けた劇場版テーマも、そこに絡めてくれれば100点満点だったのになぁ...と思うのは贅沢かもね。

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2009/05/21

「スラムドッグ$ミリオネア」を観る

 今年の米アカデミー作品賞、ダニー・ボイル監督「スラムドッグ$ミリオネア」を観てきた。オスカー作品ながら、誰一人ハリウッド俳優は出ていない。登場人物は全てインド人であり、物語の前半、多くの部分で英語字幕が現われる。一見、外国語映画賞の対象となってもおかしくないが、青年となった主人公たちは英語のセリフが中心となるため、割合として外国語映画の規定に引っ掛からないのだろう。

 物語は主人公ジャマールを軸に、貧困から悪の道に手を染める兄サリーム、同じ貧困の中育った少女ラティカの運命が描かれる。全世界で放送される「クイズ$ミリオネア」はその糸口の一つであり、重要なのは彼らが育った過酷な環境、半生にある。それはインドの辿った歴史でもある。そこに善を通して生きるジャマール、相反するサリームが重なり、ある意味、インド版の「フォレスト・ガンプ」的な面もある。ただ時にユーモアを交えるも、本作のほうがシリアスな作品だ。

 「クイズ$ミリオネア」のホスト(日本のみのもんた並みに曲者!)、構成は各国独自であるが、番組ルールは共通。もちろんこの作品中、番組テーマやジングルまで同じなのである。それゆえ舞台がインドながらも、物語のとっつき易さを生んでいる。だが個人的には問題を解き続けるよりも、その後に待っていた運命に感動した。やはりこの作品は人間ドラマである。またここで描かれる兄弟関係にも心に来るものがある。この感情は「ラ・バンバ」以来かもしれない。

 舞台はインドながら、映像はスタイリッシュ。それこそダニー・ボイルの真骨頂であり、構図の一つ一つも印象的。もちろん音楽の使い方も上手い。エンドロールに用意されたボリウッド映画らしい演出も憎い。音楽は「ムトゥ・踊るマハラジャ」のA.R. ラフマーン。日本では「インドの小○哲哉」とプロモートされた時期があったが、今となっては随分失礼な話。ちなみに彼は本作で最優秀作曲賞、歌曲賞をW受賞している。本作は物語、画作り、音楽と三拍子揃った傑作だ。

P.S.
 もし本作が外国語映画賞の対象だったら、「おくりびと」と争っていたかもしれない。しかし日本人として「おくりびと」の与えてくれる感慨は、けっして「スラムドッグ$ミリオネア」に勝るとも劣らない。だがこの二作を並べ、評価する事自体、意味の無いものではある。

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2009/05/01

イーストウッド主演最終作?「グラン・トリノ」を観る

 今日は映画の日。盟友N氏と時間を合わせ、クリント・イーストウッド主演(出演)最終作とさせる「グラン・トリノ」を観てきた。朴訥(ぼくとつ)として、時に毒を言い放つ姿にこれまでの主演作が重なるが、そんな彼も今年で79才。「目には目を...」を体現してきたアンチヒーローも年齢には勝てない。しかしただそれを描く事は本作の真意でない。また彼の監督作を観れば、描かれる人生観と懐の深さは伺い知れよう。そんな例に洩れず「グラン・トリノ」もイーストウッドらしさに溢れた作品となった。

 隣人は異人種が当たり前となった街に、妻の死から心が孤独となった男。そこから生まれるコミュニティー、変化がこの作品の鍵となる。イーストウッドの毒を楽しむもよし、師弟関係や友情を楽しむもよし。物語はシンプルだが、深読みしていけば想う事は多い。ただ主人公の言動やケジメをそのまま受け止めては、この作品を楽しむ事ができない。むしろ不快感だけを持つだろう。そこに遺こしたものが大事なのだが、それはひと言で言い表せない。

 例えばエンディング、主人公の手を離れたグラン・トリノが駆け抜けるシーンは特別だ。友情の証でもあるし、新たなコミュニティーへの象徴のようにも取れる。タイトルの「グラン・トリノ」とは、今やビンテージカーとなったフォードの車。無骨で不器用、洗練さとは無関係。そんな「グラン・トリノ」と主人公は同義の存在にある。最後、何処か清々しい気持になるのは、そんな関係が成り立っているからなのだろう。物語の経過から変わらないもの、変わるべきもの、そのコントラストがこの作品の面白さだと思う。

 この作品を楽しむもう一つの要素、それは製作者イーストウッドの姿勢だ。人種差別的な描写もあるが、それは"媚びない"姿勢の表れでもある。むしろ現実のアメリカなのだろう。 そして主人公とイタリア系散髪店主のやり取りをみれば、イーストウッドの考えは十分に伝わる。真摯な姿勢、大人の余裕、「グラン・トリノ」はそんな映画人クリント・イーストウッド、集大成のような作品である。

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2009/04/13

「おくりびと」を観る

 個人的、しばらく日月休みが繰り返される中、妻と息子に暇をもらい、「おくりびと」を観てきた。ご存知、今年の米アカデミー最優秀外国語映画賞を受賞した作品だ。公開当初に観る機会を逃して消沈していたところ、半年経って凱旋上映のチャンスに恵まれた。今やDVDもレンタル、発売されているが、劇場で観たい、そして期待に応える作品であった。

 リストラに遭ったチェロ奏者が、故郷に帰り、納棺師という職業に出会う。そんな中の出来事を描いた物語である。ただ物語に目新しさはない。人物相関、ストーリー展開は想定内で進み、そこに逸脱は一切無い。なのにこの作品の惹き込む力は凄い。脚本、演技、演出、音楽、全てが噛み合い、相乗効果を生んでいるようだ。そして死と対峙しながら、笑いのスパイスを効かせる。これもオーソドックスな日本映画のスタイルといえるだろう。

 助演の山崎務の存在感は言うに及ばず。観ていて思ったのは、彼のフィルモグラフィーが投影された感が強い事。かつての伊丹映画を彷彿とさせるシーンも少なくない。この作品における、食に対する姿勢は明らかにそれだし、故・伊丹監督の第一作が「お葬式」だったのも単なる偶然か。人間の欲に対する姿勢、そのストレートさ加減も何故か似ている。職業に悩む主人公が妻に溺れようする様を観ていて、ある種の興奮を与える。

 驚いたのはそんな相手、妻役の広末涼子の事。彼女の演技は一見、通り一辺倒に思える。しかしそのシーンの受身だけでなく、物語に沿って2008年、今を生きる妻を演じている。この作品が10年前を描いたものであるなら、彼女は明らかにミスキャストとなるだろう。今という時代を映す、しかも映画で成立できる、数少ない女優さんかもしれない。彼女に時代物は似合わない。

 企画から立ち上げた、主演の本木雅弘にも敬服する。その視点もさることながら、本作のシリアスとユーモアを見事にバランスさせた一人でもある。おめでとうアカデミー賞!。脚本の小山薫堂は、さすがあの「カノッサの屈辱」を手掛けた才人。オーソドックスながら、脚本におけるディティールの細かさが素晴らしい。彼が仕掛けた唯一隠し味となる配役、笹野高史の存在も見逃せない。これには正直参った。本当に参った。

 タイトル通り、死と対峙する悲しい題材ではあるが、常に何処か温かい。観て損なし、是非劇場で観て欲しい。

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2009/02/27

「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」を観る

 今夜は盟友N氏の誘いを受け、「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」を観てきた。劇場の窓口でタイトルがおぼつかない程、スコセッシの撮ったストーンズの映画という程度の事前知識。しかしマーティン・スコセッシといえば、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」等、音楽映画でも才能を発揮する監督である。ストーンズとのコラボレーションは如何に、そんな気持で観始めた。

 冗談なのか、冒頭のストーンズとスコセッシのやり取りが可笑しい。プロとして観客のためにステージを組み立てるストーンズ、一方最高のステージを撮ろうとするスコセッシ。ただそれは単なるつかみであり、ステージが始まればあくまで主役はストーンズだ(とはいえ、出たがりのスコセッシはラストにも登場する)。メンバーを追うカメラ割り、編集等、スコセッシの面目躍如。さらに過去のインタビューを織り交ぜ、ストーンズの道程に迫る。

 デビュー以降、40年間ストーンズはとにかくブレないのだ。多少の紆余曲折はあったが、ストーンズは走り続けるならぬ、転がり続ける。進化ではなく、経験を味方にしたロックのスタンダードを演奏し続けている。今のストーンズは同期のビートルズも到達し得なかったある意味、神の領域に居るのかもしれない。静と動を兼ね備えたミックのパフォーマンス、味のあるキースとロニーのギター(相変わらずのキースのスモーカーぶりはご愛嬌)、マイペースなチャーリーのドラムワーク。四人の化学反応は"老若男女"を問わず魅了する。

 2006年に行われたビーコン・シアターのライブを収めたこの作品。観客にゲストは多岐に渡り、前述の"老若男女を魅了"を裏付ける。個人的には開演前に現れたあの夫妻の登場はタイムリーであり、政治とロック産業の結びつきを見た気がする。ストーンズはロック産業の成功者でもある。そしてイギリスのロックバンドというより、ワールドスタンダードというのが正しいかも。後半にかけての名曲による畳み掛けで、興奮は頂点に達する。

 とにかくマイペース、ブレないストーンズ。だがこの作品を通して感じる、彼らのプロ意識に感服するばかりだ。何処かの国のブレてばかり、自分可愛しの政治家たちに、ストーンズの爪の垢を煎じて飲ませたいぐらい。不況で冴えない世の中、今夜はアラカン(アラウンド還暦)のストーンズたちに、とてつもない元気をもらった気がする。最高だよ!ザ・ローリング・ストーンズ。本作は音楽映画の傑作だ。

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2009/01/24

「007/慰めの報酬」を観る

 今夜は沼津のジェフリー・ライトこと盟友N氏と「007/慰めの報酬」を観てきた。本作は前作「カジノ・ロワイヤル」の明確な続編で、何の説明も無くスタートするので注意が必要だ。本作だけの一見さんはお断り、前作の"復讐"ならぬ"復習"は絶対に必要となる。もちろんクラシック・ボンドへのオマージュも散りばめられている。ただ本作はジェイソン・ボンドの復讐劇ととるか、いやこれはボンドの卒業旅行と考えるべきかもしれない。前作の向う見ずな諜報員から、確かに成長を感じ取る事ができる。

 しかし前半は連続するアクションに、物語を追い掛けるのが精一杯。個人的に本作のアクションの魅せ方がいただけないのだ。例えばアクションのモブシーンのラップ。画的な面白さで奇をてらった印象だけ。また冒頭のカーチェイスも大画面を生かした感じがせず、衝撃と轟音のうちに終わっていく。アクションシーン全般、撮影と編集が噛み合っていないと言ったらいいのか。また盟友N氏は「何処かで観た事がある」と言っていたが、やはり「ボーン」シリーズを意識し過ぎたのか。前作「カジノ・ロワイヤル」のストレートなアクションシーンが素晴らしかっただけに残念である。

 さらに前半における心理描写が足らないため、ボンドの想いが観客に届くのに時間を要する。本作だけでは感情移入がし難い。前作を観た上で...としたのだろうが、ボンドは宿敵を追い詰めるのに必死。しかし本当はその動機の中で得たものがこの作品のテーマ。本作のボンドガール、カミーユを鏡としたボンドの成長、そして"卒業"を感じさせるラストシーンがいい形なだけに、とても勿体無い気がする。本作はアクションだけでなく物語的にも、前作が上げたハードルに苦しまされる事になった。

 だが本当の問題は次作以降の展開だろう(本来は本作がそうなるべきだったかも)。本作の後、ウォッカ・マティーニをたしなむ粋なボンドへと繋がるはずなのだが、それでは単にクラシック・ボンドへと回帰するだけ。果たしてアルバート・ブロッコリの子孫達の目指すボンドは、そして今や新ボンドシリーズのブレーンたる、ポール・ハギスはどんな物語を用意するか。James Bond will return、ジェームズ・ボンドは(スクリーンへ)戻ってくる...

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2008/12/03

「デス・レース」を観る

 今夜は沼津のジェイソン・ステイサムこと、盟友N氏と「デス・レース」を観てきた。「デス・レース」といえば、過激な内容ながらも、何処かチープで滑稽な車が爆走する「デス・レース2000年」のリメイク。そんなオリジナルは、年末年始深夜テレビの映画劇場でよく放送された作品だ。ロジャー・コーマン印のカルト作、「ロッキー」以前、無名のスタローンが出演した作品としても有名。ボクにとってこのオリジナルは、初めて購入した海外DVD(リージョン1)であり、字幕無しで観ている。今回、この作品を選んだのも、そんな簡単な経緯だ。

 だが今回のリメイクは暴力、車、暴走はそのままに、一部キャラクターの名前を借りて、全く別の物語となっている。その割り切りは重要である持ち味は失ったものの、ハリウッドメジャー向きにモデルチェンジが図られた。カーアクションは大迫力、腹に響く銃撃音と爆破が盛り上げる。さらにポール・WS・アンダーソンは、ゲーム臭プンプンの演出を加えスピーディーに展開。レースシーン中は我々観客に一切の思考を許さない。

 ただ思考を許さないというより、物語に中身が無いのだ。とって付けたような復讐劇はあるものの、クラッシュとスピード感が身上の映画。CG処理を極力減らしたガチンコのカーアクションが続く。この迫力、家庭で見るにはもったいない。そもそもこの映画、家庭で見るのには不向き。ファミリー向きではなく、漢(おとこ)の映画。マッチョなステイサムはそのために選ばれた。PG-12は妥当なところだろう。

 個人的にはキャストの中に海外ドラマ「NIP/TUCK」のエスコバルが登場し興奮。刑務所内という舞台背景で、全身ホンモノの刺青が花を添えるならぬ、迫力を加えている。ただ一般向けにはステイサム頼みなのは否めない。それ以外のキャストはB級、映像と音響はA級、そしてカーアクションが全ての映画。内容はどうあれ、ホームシアター向きの迫力ある映画かもしれない。できればデイヴィッド・キャラダインがカメオ出演していれば、点数が上がったのになぁ...

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2008/08/20

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」を観る

 今日は久々に妻と映画へ出掛けた。劇場公開開始に妻の出産が重なったため、正直間に合うかなぁと思っていたが、さすがは夏の大作。しっかりとロングランしてくれていた。ただ困った事に、劇場はポニョやポケモンの子供用の編成。しかも近場の映画館はレイトショーばかり。辛うじてできたばかりのシネプラザサントムーン、昼間の字幕版上映を見つけいざ鑑賞となった。

 大人のエンターテイメント、ポスト007を目指して作られた第一作「レイダース/失われたアーク」。元祖ローラーコースタームービー、第二作「魔宮の伝説」。そして元祖007、ショーンコネリーを迎えた「最後の聖戦」。時代を先駆けた夢のルーカス=スピルバーグのタッグ。それぞれの作品に思い入れはあるが、頭の中身を空っぽにして楽しめるシリーズだ。これまで四作目製作の噂は何度もあったが、まさか19年ぶりになって復活するとは、正直驚いた。

 物語は考古学とオカルトが題材となっているが、今回はそれを大きく推し進めたもの。ちょっとやり過ぎ感は否めないが、よく考えてみればスピルバーグ印。こんな展開があってもおかしくない。それに物語をとやかく言う作品でもない。またアクションは劇場向き、テレビサイズでは物足らないだろう。個人的にそのノリは「魔宮の伝説」的。インディ、マリオン、マットと人物構図も似ている。もちろんゲテモノ描写も健在。軍隊蟻襲撃のシーンを観た妻は「もう観たくない」と嘆く程だった。

 最近のハリソン・フォードに一時の勢いは無くなったが、本作では水を得た魚。ジャケットにあの帽子を被れば、ニヤッとジョーク、腕っぷしの強いインディがそこに居る。シリーズでの登場人物はマリオン位しか登場しない。父ヘンリー、故デンホルム・エリオットのマーカスが違った形で登場するが、嬉しくもある反面、少々悲しい。初登場のマットは謎を含んでいるが、インディとは何となくそうなんだろうなぁと感じる、実際そういう関係でしたけど。

 この作品を観た後、家族、大団円とその方向性は「リーサルウェポン」の四作目とダブる気がした。いずれにせよ今度こそ本当に終わりなんだなぁと。

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2008/08/09

「ダークナイト」を観る

 盟友N氏と共に新生バットマンの二作目、「ダークナイト」を観てきた。前作は劇場でも観たが、先週のうちにDVDで復習は済ませている。リアル路線の強いクリストファー・ノーランによるバットマンだが、この「ダークナイト」はより色濃く、しかも迫力に満ちた一作。キャスト、スタッフ共に全てを出し尽くしたかのような二時間半。その世界感、物語、画面に釘付けとなった。

 本作は好敵手ジョーカーの登場、善と悪の対極が見どころだが、バートン版バットマンの一作目とは全く趣向が違う。圧巻のジョーカーも、ニコルソンのような漫画的なジョーカーではない。その狂気は中盤から緻密にバットマンたちを追い詰める。対極の敵、善の遂行と限界に悩むブルース・ウェイン=バットマン。バットマンからジョーカーへの主客逆転の瞬間、その存在感が凄い。その瞬間、ヒース・レジャーはニコルソンを凌駕したといえるだろう。今風に言えば、その姿ハンパない。

 レイティングを踏まえ、残酷な描写は避けられているが、内容を理解するには明らかに大人向きだろう。もちろんハリウッド大作の持ち味、エンターテイメント性も兼ね備え、アクション、カーチェイスは手に汗握る。ハンス・ジマーとジェイムス・ニュートン・ハワードの音楽は、前作を含めて主旋律を統一した曲を配し、派手なテーマ曲を脱却しつつ、物語の一貫性を高めていた。

 ストーリーも緻密だ。バットマンにゴールドマン警部補、検事ハービー・デント、幼なじみのレイチェルの運命が絡まっていく。トゥーフェイスの必然性、ジョーカーが描くシナリオは本当にハンパない。そしてこの作品を構築したクリストファー・ノーランに驚かされる。前作ではバートン版バットマン、箱庭世界からの脱皮に戸惑ったが、ゴッサムシティは世界の一部、むしろハードなストーリーに現実感を備える。街を走り抜けるバットポッドに違和感はない。善と悪、狂気を凌駕するもの、その答えの一つがこの作品にある。バットマンの行き着く先、壁を乗り越え、闇の騎士は街を見守り続けていく。

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2008/05/09

「大いなる陰謀」を観る

 今夜はロバート・レッドフォード監督・出演による「大いなる陰謀」を観てきた。メリル・ストリープ、トム・クルーズを主役に据え、配給会社としては好興行を狙いたいところだが、内容はかなり硬派。しかもアメリカお得意のプロパガンダ映画ではない。実際、アメリカ国内の興行は惨敗。それを受けてか、日本公開も地味にスタート。そもそも「大いなる陰謀」という邦題も、興行的に微妙な印象は否めない。ただこれまでのレッドフォードの手掛けてきた作品は手堅かった事を忘れてはならない。

 物語は対テロ対策、アフガンへ掃討作戦を仕掛けるアーヴィング上院議員、彼を取材する記者ロス、大学で教鞭をとるマレーを中心に進んでいく。アメリカの抱える正義と平和の価値観を焦点に、作品は90分とコンパクト。先の三者、マレーの教え子たちの立場と行く末も、今のアメリカの現実である。ただ何か、ゴリ押しするような主張を感じなかったのは、レッドフォードのバランス感覚だろう。反面、本作に物足りなさを感じる所以でもある。唯一、マレーと対峙する学生トッドの姿は、部分的に日本人の立場と重なり興味深い。

 やはり本作の見どころは、メリル・ストリープとトム・クルーズによる、ガップリ四つの競演だと思う。ストリープの堅実さは言うまでも無く、特にトム・クルーズの政治家ぶりが光る。単独主演ではオレ様演技が目に余るが、名優ストリープが相手となれば、その演技もいい意味でバランスする。年齢的に円熟期にある事もあるが、顔の渋み、論破する姿は、クルーズの政治家転身を妄想させるほど。有名議員たちと同じフレームに収まる姿(たぶん合成)も板についている。

 一方、いい男の代名詞だったレッドフォード、今の姿は本作と無関係に痛々しく感じてしまう。別の役者に演じさせても良かった気もするが、この作品興行的な唯一の拠り所ゆえ、自ら豪華スターの一角に座るほか無かったと思うのは、少々勘繰り過ぎか。

 能天気なプロパガンダ映画を量産するハリウッド、時にこのような硬派な作品を繰り出すハリウッド。どちらも同じアメリカであり、後者は痛み知る良心、光明でもある。ただ大国の傘の下、理不尽なパワーバランスを否定できない現実。これからもそのジレンマが消える事は無いだろう。

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2008/04/11

「バンテージ・ポイント」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今夜は気になっていた「バンテージ・ポイント」を観てきた。日本での興行は地味だが、シガニー・ウィーバーにウイリアム・ハート、フォレスト・ウィティカーらオスカー俳優が集う本格派サスペンス。一応主役はデニス・クエイドだが、事件発生の23分を八つの視点から追う物語ゆえ、それぞれのシークエンスでメインは異なる。それにしてもデニス・クエイドは顔の皺を見ると、本当に年をとったなぁ...いやいや渋いという事ですけどねぇ。

 この作品、9.11に端を発した政治モノの匂いはしますが、実によく出来たサスペンス。大統領を狙う組織から感じる政治色は程々。あくまで大統領銃撃を中心に物語は展開。どのように銃撃、そして爆破され、彼らシークレットサービスが出し抜かれ、翻弄されるか。デニス・クエイド演じるバーンズの目、そして我々観客は、次々に明かされる謎に驚かされる構成になっている。ただ冒頭、内部の裏切り者は何となーく勘づいてしまったけど、ラスト15分(位?)のカーチェイスで吹っ飛んでしまい、ここだけでもあの「ボーン」シリーズと双璧な感があります。

 何しろこのカーチェイスの主役がオペルなのです。舞台はスペインですが、ヨーロッパはオペルのマーケットでもあります。世界ではまだまだオペルは健在です。そしてGアス(アストラ)のパトカーを、Hアスが追いまくる追いまくる。しかもそのHアスがボクのアストラの色と同じとキター。すなわちウルトラブルーであります。ハンドルは持ってかれるわ、シフト操作は激しいわ、さすがにマニュアルのHアス(ボクのHアスはオートマ)。徹底的に追い詰めその末路は...とにかくオペが出るだけでこの作品のブルーレイ、間違いなく購入決定です。

 さすがはコロンビア映画、ソニーピクチャーズ作品らしく、ソニーのHDカメラが視点の一つとして登場。1080iで収録した映像が、物語の謎に触れていきます。それだけでなくソニエリのケータイ、スマートフォンとソニー製品のオンパレード。ただ「007/カジノ・ロワイヤル」ほどあからさまでない分、あまり気になりません。やはり物語が命の作品なので。皆さん、特にOpelist(日本のオペルユーザー)の皆さんにはオススメなのですが、残念ながら上映は今日で終わってしまうようなのです...

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2008/03/02

「日本一のホラ吹き男」を観る

 人間誰しもめげる時がある。そんな時は趣味で発散したり、人によっては酒や他の手段に逃げる事もあるだろう。もし、そんなめげた自分を鼓舞するものがあるとすれば、自分にとっては何より映画だ。チョイスはTPOに合わせたものとなるが、元気が欲しい時には植木等の無責任シリーズの一作、「日本一のホラ吹き男」を観る。公開後、30年以上を経た作品ではあるが、画面は時代を超越したエネルギーに満ち溢れ、観るたびにノックアウトを喰らう。徹底的に非現実、ファンタジーを味わうのだ。

 ファンタジーといっても、魔法の国の出来事ではない。あくまで高度成長期の日本が舞台。無責任シリーズ全般に共通する、サラリーマンを主人公とした物語だ。何がファンタジーかといえば、あり得ない物語展開に由縁する。この作品では、元五輪陸上三段跳びの代表だった初等(はじめひとし:もちろん演じるのは植木等)が、大手家電メーカーに就職し、三段跳びの如く成り上がるというもの。ただ、よくある立身出世ものと思いきや、それに留まらないのが、無責任シリーズなのである。

 物語は植木等だからこそ成立するのは言うまでもない(とはいえ、植木さん自身は真逆で真面目な人なのだが)。黒澤作品における三船敏郎に同じ。少々言い方は悪いが、キャラクターが物語を喰ってしまう、それ程の存在感なのだ。むしろ相乗効果を生み、物語はこれ以上無いテンポで進んでいく。その上で、物語そのものも異端を進む。特に平社員(組合員)から管理職への経緯は、現代社会、いや現実にはあり得ない。あり得ない展開だからこそ、むしろ割り切って物語に没頭できる。

 この割り切りは古澤憲吾監督が構築。戦中、戦後を生きた人ゆえの哲学、活動屋としての彼の個性の表れでもある。だが、この作品を観ている間、そんな事は微塵も感じない。この世界観、割り切りは、加山雄三の「エレキの若大将」でもいかんなく発揮されている。劇中曲「君といつまでも」のシーンは、プロモの先駆けでもある。ちなみにこの「日本一のホラ吹き男」「エレキの若大将」の二作は、ボクのベストピクチャーの一群。この二作がボクの血と骨になっているといっても過言ではない。

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2008/01/04

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観る

 今年は、見逃していた「ALWAYS 続・三丁目の夕日」からスタート。東宝スコープで始まるオープニングは想定内だったが、その後の展開は予想外だった。映画監督、ことさら特撮を手掛ける監督さんなら、夢であろうあの東宝の大スターの起用には驚いた。僅かなシーンではあるが、久々にスクリーンを暴れる"彼"を観る事ができた。東宝作品らしく、この位のオマージュは充分にアリである。また"彼"の登場に限らず、日活など映画主役の時代も描かれている。

 続編の本作は、前作から半年後の設定。派手なVFXはオープニングのみに任せ、後はさりげなく大胆に昭和が描かれていく。大きな見せ場は日本橋。この日本橋のシーンに限らないが、画面の質感といい、全体的にかつての日本映画のテイストを感じた。いい意味で、古い邦画を観ているような気がする。ここに限らず、特急こだまや東京タワー等、時代を描く演出が満載。前作同様、この作品のVFXのレベルは高い。前作最大の特徴、テレビドラマでは実現不可能、体感型昭和テーマパークの復活である。

 ストーリーは前作を踏襲したお涙頂戴なものだが、前作よりは弱く感じた。もちろん観客の想像以上に物語は展開しない。物語に教訓めいたものもない。それがこの作品の強みであり、弱点でもある。安心して観られる反面、受け取る感動は大きなものにならない。物語の変化球を強いて挙げれば大団円、前作を受けた完結篇的な作り、続編の必要性は無くなったところ。予定調和として結ばれていく物語、またそこにある温かさは健在。チープさが鼻につくかもしれないが、それはこの作品に求める真意とは異なっている。前作以上ではないが、前作を楽しめれば観て損はない作品となっている。

 唯一、この作品を観ていて気になったのが、淳之介演じる須賀健太君の成長だった。一平君は前作と差異が無かったが、本作中、明らかに子供の集団の中、頭一つ抜けていた気がする。ハリポタのラドクリフ君程の成長は無いとはいえ、前作から約二年の経過はバカにできない。とはいえ、同じ俳優が演じる重要性もあり、痛し痒しというところ。また前作からの流れ、エンディングのスリーショットを見れば、これで良かったと思う。"家族"もこの作品のテーマなのである。

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2007/12/01

「パンズ・ラビリンス」を観る

 一日は映画の日だったので、ギレルモ・デル・トロの「パンズ・ラビリンス」を観てきた。上映館の関係でいつものシネコンではなく、場末の映画館での鑑賞。デル・トロというとアメコミ原作の「ヘルボーイ」が思い出されるが、今回は1944年が舞台のファンタジー、全編スペイン語という異色の作品となった。しかし導入部はファンタジーながら、時代背景を追ったスペイン内戦時を描いた作品と思い知らされる。主人公は少女ながら、そこに残虐なシーンが少なくなく、明らかに子供向きな作品ではない。そんな大人のためのファンタジーだった。

 仕立て屋の父を失った主人公が、母親の連れ子として、スペイン軍大尉と生活する所から物語は始まる。しかしその義父は私欲のため、残虐な行為を繰り返す。しかも母は義父の子を身ごもり、その代償として生活を得ていた。そんな中、自らをパンと呼ぶ怪物が現れ、本当の住むべき世界への帰還と、ある三つの試練を与えるのだった。物語だけをなぞっていけば、パンと主人公の交流するファンタジーに終わる。だが、そこにもう一本の現実をぶつける事で、この作品は全く異なる味わいを観る者に与える。

 そう強く感じるのは、ファンタジーの部分、スペイン内乱の部分、どちらか一方でも充分に物語が成立するところにある。どちらも添え物でなく、それぞれを引き立たせる。終わってみると、現実と虚構、どちら側からも物語を見つめる事ができるのに気づく。例えばファンタジーとして観れば、主人公の見た不思議世界が、その少女の言動を見た大佐や大人の立場からは虚構がある。ただ両者を結びつけるのは戦争、生と死の現実だ。

 ハッピーエンドとアンハッピーエンドの狭間を感じるのは、「マッチ売りの少女」に相通じる。何が幸せで不幸なのか。だがそんな童話よりも、この作品で描く戦争の生む現実は単純ではない。少女が感じた世界、彼女の出した結論は現実逃避ではあるが、そこに戦争の理不尽さを感じずにはいられない。だからこそのリアル描写、大人のためのダークファンタジーなのだろう。願わくば、もっと良い劇場で鑑賞したかった。

Panslabyrinth

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