2024/10/06

「ランサム 非公式作戦」を観る

今日は盟友N氏の突然の誘いで「ランサム 非公式作戦」を観てきた。1980年代のレバノンを舞台に拉致誘拐された韓国人外交官を救い出すべく奔走する外務省外交官とタクシー運転手を描く。実際に起きた事件から着想された「最後まで行く」のキム・ソンフン監督作品。

韓国人外交官がベイルートのタクシーに乗り込むと韓国人運転手だった…という偶然、いやそれだけでなく数点の出来過ぎな展開はさておき、なかなかの拾い物で面白い作品。盟友N氏曰く韓国の大鶴義丹こと「お嬢さん」のハ・ジョンウ演じる外交官が知恵と度胸で立ち向かう。

そんなバディを組む羽目になるのが、チュ・ジフン演じるタクシー運転手。言葉巧みに身代金に手を出したり、まるで「ロマンシングストーン」のダニー・デビートみたいな詐欺師のような男。だが共に生死の境を通り抜けるうちに友情が芽生えていく。

本当は「コヴェナント 約束の脱出」みたいな異国人同士のバディだったら実在感があると思うけど、ユーモアを醸すには同じ韓国人同士のほうが良いのかも。何しろレバノン国内のピリピリ感は尋常じゃない。今も緊迫する中東情勢、羊を飼うより銃が大事な国だから。

最後のカーアクションもまるまる「ロマンシングストーン」だったなぁ。さすがにルーペの逃げ道は無かったけど。それにインディ・ジョーンズっぽいのも出てきたし。いやジェイソン・ボーンか007、イー…ああ危ない。

チョン・ドゥグァン政権下の韓国政府内部のゴタゴタも描かれ、如何に上の顔色を伺う時代だったのかと思い知らされる(まるで前兵庫県知事みたいな話)。時代的に「ソウルの春」のその後に連結するが、こちらはそれほど重くない。ラストシーンは痛快だったよ。

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「舟を編む 私、辞書つくります」を観る(完走)

NHKBSプレミアムドラマ「舟を編む 私、辞書つくります」(全10話)を観終えた。三浦しをん原作のベストセラー小説で既に映画、アニメ化されている作品(ただし原作未読、どちらも未見)。主人公を置き換え(あくまで昨今の原作改変問題とは違うアプローチ)、近年の社会状況を織り込んだドラマとなっている。

「編む」という言葉には「多くの材料を集めて本を作る。編集する」という意味がある。中型国語辞典「大渡海」の製作発刊、辞書という舟を通し、言葉の大きな海に繰り出す登場人物たちの姿を描いている。テレビドラマらしいビジュアルを組み合わせたワードエンターテイメント。

放送当時はBSで欠かさず録画しそれを観ていたが、第5話で機器トラブル、途中停止してしまう。U-NEXTでやっと続きを観て最終話はBSの録画で完走。このドラマと登場人物たちのセリフを通して、言葉の持つ奥深さと辞書作り(使う紙、手触り、デザイン装丁まで)を体感できた気がする。

ドラマは若い女性社員、池田エライザ演じるファッション誌の読者モデル出身の編集者みどりを通して、グッと目線が低くなり様々な過程がわかってくる。一般的な恋愛(原作主人公との違い)を発端とした言葉の広がりを見せて面白い。またこの作品から一語の重みを痛感する。

なお架空の出版社、劇中登場するゲーム名以外は実名で扱っており、如何にも言葉を大事にするドラマらしい。

原作との大きな違いは先の主人公交代とコロナ禍以降を織り込んだ事だろう。非常事態宣言に自粛、リモート等、ライフスタイルの変化を通して辞書に残すべき言葉の変化をも示す。刊行パーティーの席が金八先生の最終回みたいなところは苦笑。でもいいドラマだった。原作(Kindle版購入済)や映画版も観てみたい。

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2024/10/05

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を観る

今日は盟友N氏と「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を観てきた。「エクス・マキナ」「MEN 同じ顔の男たち」のアレックス・ガーランド監督・脚本作品。内戦下のアメリカを舞台に戦況と首都ワシントンDCを目指すジャーナリストたちを中心に描く。

まず4人のジャーナリストの組み合わせと配役が絶妙。キルスティン・ダンスト演じる有名戦場カメラマンのリー、同僚のジョエル、ベテラン記者のサミー、「エイリアン:ロムルス」のケイリー・スピーニー演じるNikon使いの新人カメラマンの4人がその立場と異なる目線で戦争を追う。ちなみにリーのカメラ(ソニー製っぽい)はロゴを隠してあり、如何にも戦場カメラマンらしい。

アレックス・ガーランド作品は「エクス・マキナ」「MEN 」の例からも出来が両極端。だが今回は前者、良作の部類。これまでの戦争映画と異なりジャーナリスト目線で描く事により、政府軍と西部勢力「WF」の戦況を冷静に映し出す。

ただ戦況は描いてもどちらが善で悪かとか、断片的な情報以外で政治的な背景はほぼ描かれない(そこに物足らない人がいるかも)。途中「憐れみの3章」のジェシー・プレモンス演じる男が登場するが、そのやり取りが不気味。モラルは崩壊し、際限ない殺し合いが始まる。そこに戦争の本質を見た気がする。

首都への道中は戦場を挟みつつ、ロードムービーの様相もある。それを補うようにアメリカンロックが流れるも情緒を煽るオケは一切用意されていない。そして終盤、両軍同士の銃撃戦から首都攻防戦に移った時、観客は戦場に放り出された臨場感に陥る。これは劇場でしか体験できまい。

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Netflix「極悪女王」を観る

Netflix「極悪女王」(全5話)を観終えた。鈴木おさむ脚本・プロデュース、白石和彌総監督による実録ベースのドラマシリーズ。ビューティペア解散後の80年代女子プロレスブームを支えたダンプ松本、クラッシュギャルズらレスラーの成長と当時の格闘技界を描いていく。

世評、噂に違わない傑作。当時の女子プロレス、ブラウン管を通して見た世界が見事に再現されている。その上で興行を牛耳る松永兄弟、ブックを始めとした興行とその裏事情が生々しい。そして人間ドラマ、戦いの中でレスラー同士の関係性と変化の過程が興味深い。

話の軸はデビュー同期の松本香=ダンプ松本、長与千種だが、ライオネス飛鳥にクレーン・ユウ、大森ゆかり、後輩のブル中野、先輩であるジャガー横田やデビル雅美、ジャッキー佐藤たちの物語。ブックに踊らされていた彼女たちが自ら殻を破っていく姿が時代の潮目を感じさせる。

ダンプ松本の誕生は本人の意志の現れだが、それが松永兄弟の想像を超える事になる。興行主にできる事はマッチメイクとその結末まで、試合自体はレスラーたちに委ねるもの。肉体と魂のぶつかり合いに入る余地はない。だが当時は男性、組織上位の興行ゆえジャガー横田のような行動が精一杯だったと思う。

その壁の崩壊は大阪城ホールでのダンプ対長与の髪切りデスマッチ、その後のダンプの引退試合に集約されている。それらの再現は記憶の断片と重なり、演者の表情に呼応し感情を揺さぶった。第3話のダンプ誕生前後の心情と変化を知るとよりその思いは強くなる。

それを生んだのも演者、スタッフの努力。ゆりあんら全ての出演者が体作りを含めて再現。試合の再現はもとより、入場時のダンプのふてぶてしさ、血まみれの長与の表情は瓜二つに思えた。女性陣だけでなく松永兄弟を演じる村上淳、斎藤工、黒田大輔や阿部四郎を演じた音尾琢真も好演。

また「止められるか、俺たちを」「仮面ライダーBLACK SUN」で時代描写に実績ある白石組が手掛ける80年代も素晴らしい。なおアパート絡みのシーンで登場のクルマは実話と離れたある意味のちの伏線。また名が売れたダンプの愛車がフェアレディZ31型。とにかく出てくるクルマはどれも懐しかった。

当時興行をバックアップしたフジテレビ(劇中はトヨテレビ)との蜜月関係も描かれるが、それをも破壊したダンプ松本の存在感は圧巻。ちなみにデイリースポーツは実名なのにフジテレビの名を使わなかったのか、使えなかったのか。そのせいか全女中継のテーマ(いい曲だよ)が流れなかったのが唯一残念に思う。

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2024/10/03

母の介護のため、実家住まいに戻る(その5):親のかかりつけ医は重要

認知症の家族を持つ身として如何に初動が大事だと痛感する。認知症発覚までは母たちと同居していなかったので、顔を合わせた僅かな時間でそれを汲み取れるかが重要だった。ただ同居していた父でさえ、母の老化と認知症の区別が付かなかったくらいだから、所詮家族の判断だけでは難しいかもしれない。

そんな時、かかりつけ医の存在がクローズアップされてくる。母は月一、近所のかかりつけ医から血圧の薬を処方されてきた。問診もあるわけで医者と患者間で相応の会話がなければならない。しかし、だ。認知症発覚以前であっても母は難聴ゆえに会話するには相当な労力を要していた、はず。

問診なら体調の変化も聞いてくるだろうに、そのかかりつけ医はちゃんと聞きもしなかったと思う。血圧測って、時々血液検査して、お決まりの処方箋を出すだけ。その医者にとって後期高齢者は黙ってお金を持ってくるカモネギ、ズバリ格好のお客さん。昔、同じ医者の問診を受けたが、横柄で良い印象はない。

数年前、父に医者を変えたほうがいいと進言したが、「ご近所(への気遣い)だから」と拒否された。もしかかりつけ医を変えて、その医者が異変に気づいていれば…いや、そもそもその医者がちゃんと問診をしてくれていれば、と思う。

それを後悔した出来事がある。認知症発覚後、父から「(母の)歯医者をお前の行っているところに変えて欲しい」と頼まれ、母を連れて行った。すると入れ歯の清掃ができていないと歯医者からの指摘。そもそも歯医者に行くまで入れ歯の事は聞いてなかったし、アップになった歯茎の映像には精神的に大きな衝撃を受けた。

たぶん母は入れ歯を作った歯医者からメンテ、使用していくか説明を受けたはず。だが父でさえ、母が入れ歯を洗っている所を見た事が無かったという。元々難聴を理由にちゃんと話を聞かない母だったが、認知症の初期段階が重なったのも災い。父も母一人で遠くの歯医者に行っていると過信していた。

歯医者さんの提案で月一、歯茎の清掃する事になった。会社へ介護を理由に月二日から三日は早退を申し出ているが、今はさらに歯医者の予定も組み入れている。認知症の家族を持つ身としてはお医者さんに正しい情報を伝え、生活と症状軽減のために最善を尽くすしかない。

またそんな不満、後悔もあって両親共、信用のできる自分のかかりつけ医に変えました。また高齢のご家族を持つ方(特に遠方)には一度かかりつけ医の問診に付き添う事をお勧めします。

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2024/10/02

「機動武闘伝Gガンダム」を観る(完走)

U-NEXTで「機動武闘伝Gガンダム」(全49話)を観終えた。1994年4月から1995年3月まで1年間放送された作品。そしてシリーズ初、ガンダム富野由悠季原作と宇宙世紀を離れた作品(ただしガンダムはモチーフとして残る)である。

コロニー同士の覇権争いに4年に一度のガンダムファイト、国柄が反映されたメカデザイン、そしてラスボスは”究極”という名のデビルガンダム。これまでのガンダムシリーズとは一線を画し、熱血バトルのてんこ盛り。アニメ版「ミスター味っ子」の今川泰宏が総監督を務めるとあれば、怒涛の展開は窺い知れる。

かつてガンダムシリーズはテレ朝系の名古屋テレビ(現メ〜テレ)製作、土曜午後5時半の放送だった。今では局や時間を変えて放送されているが、元々は子供たちをターゲットとしたアニメーション作品。Wikiを読んでも当時の視聴率低下、客(お子様)呼び戻しのカンフル剤がGガンダムだった事がわかる。

SF考証は度外視、荒唐無稽に熱血展開と今、大人の目でみるとやや食傷気味な印象を受ける。実際、全49話中、展開の中弛みを感じなくもない(途中、ながら見してしまった程)。ただキャラ、メカデザインの持つ個性に師弟、実兄弟の関係性を織り込み、かつ派手な今川演出による仕掛けが面白い。

今川監督というと「真ゲッターロボ 世界最後の日」の第一話を思い出す。(製作費のほとんどを喰ってしまった位)度肝を抜かれたが、そのピースがこのGガンダムに散りばめられている。ある意味メチャクチャ、だが勢いこそ最強の今川演出。それが富野ガンダムに縛られた分厚い壁を突き破ったのだろう。

Gガンダムを観終えてスポンサーの思惑通り、ガンプラ作りたくなった。シャイニングガンダムにゴッドガンダム、マスターガンダムもカッコいい。異形感満載のデビルガンダムってどんだけデカいんだろう。しかもどのガンプラもプレ値がついて買えないよ。それにたぶん買っても積みプラになるだけかな。(おしまい)

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2024/09/29

「虎に翼」を観る(完走)

朝の連続テレビ小説「虎に翼」(全130回)を観終わった。日本初の女性弁護士であり、判事、裁判長を務めた三淵嘉子氏をモデルとした戦前戦後の法曹界を描いたドラマ。若手実力派の伊藤沙莉が主人公猪爪寅子(ともこ)を演じた。ちなみに「虎に翼」は中国の言葉で「鬼に金棒」のような意味とのこと。

コメディ調で始まった物語だが男女格差に差別、戦後の過酷な時代を経て民主化の道を進む日本と現代へのアンチテーゼを織り込み描かれており、特に近年の朝ドラ以上に第二次大戦下に重きが置かれた。劇中で寅子自身の家族、最愛の夫を戦争で失う。身近な人を奪うもの=戦争の本質を突いていた気がする。

このドラマの良かったところは寅子だけでなく、家族、進学、法曹界と進んでいくたびに登場する多彩な人物たち。しかも常に家族に立ち戻る寅子の姿も良い。何しろホームドラマが好きだから。中でも寅子の同級生でのちに義姉となる花江を演じた森田望智の存在感は目立っていた。

仲野太賀や岡部たかし、戸塚純貴ら旬の出演者の起用は朝ドラらしい華を添えてくれるも、夏ドラマ「新宿野戦病院」(フジテレビ)で平岩紙共々多くのキャストが丸かぶりした際は流石に苦笑。一方でよねを演じた土居志央梨のように新しい才能を観る(知る)のは楽しい。

戦前の法曹界が持っていた壁と戦後の変化、日本国憲法と民法改正が与えた光と、寅子の目を通して改めて思い知らされる。NHKドラマながらここまで斬り込むかとネット界隈(特にネト◯ヨ)を騒がせた程。さらに現代社会の問題をしれっと織り込むあたりは確信犯的とも思える。

惜しむらくは最終話近くまでの数週、やや詰め込み過ぎを感じた事。毎週、複数以上の問題を重ねて描いた分、その印象に至った。ただそれらをこなす伊藤沙莉の器用な演技ぶりに「はて?」と決め台詞、そして原爆裁判の描写を最後まで手を抜かなかった点は忘れ難い。(おしまい)


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2024/09/28

「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」を観る

今日は盟友N氏と「ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ」を観てきた。このシリーズ第三弾の劇場公開、現在放送中のテレビシリーズとまさにベイビーわるきゅーれまつり真っ只中。今回はちさととまひろの二人が最狂の殺し屋を相手に戦いを挑む。

さすが三作目とあって主演二人の息の合い方、アドリブかと見紛う会話の応酬が素晴らしい。前二作がVS型の物語だったのに対し、本作は宮崎を舞台に地方支部のみなみ(前田敦子)との連携を強いられるのが新機軸。テレビシリーズでも集団行動の難しい二人だが、その衝突が見どころ。

そして最狂の殺し屋を演じるのが、「シン・仮面ライダー」「ぼくのお日さま」の池松壮亮。今週、二つの出演作で両極端のキャラクター。日本最強スタントウーマン伊澤彩織との殺陣でもアクションに引けを取らないし、繊細な面と時にコミカルさを交えて演じる器用さも光る。

宮崎県庁を始め、シーガイア他全編宮崎ロケでアクション、ストーリー共にスケールアップし、最強のファンムービー。最後はアクション映画らしくアジトを舞台に最終決戦。主演の二人に限らず出演者たちの「ジョン・ウィック」ばりのアクション、銃撃戦とテンコ盛り。

シリーズ作品ゆえ一見さんお断り感はあるものの、前二作を観た方なら間違いなくオススメできる。客の入りも今回は違った。なお前田敦子の演技を観て、キンタローのモノマネもまんざらではないと思ってしまったのは自分だけだろうか。

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2024/09/27

「憐れみの3章」を観る

今日は仕事帰りに「憐れみの3章」を観てきた。今クセスゴ映画を撮らせたら世界一、「女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」のヨルゴス・ランティモス監督・(共同)脚本による三つの寓話で構成されたオムニバスドラマ。

何しろ第1話「R.M.F. の死」から置いてきぼり。睡魔に襲われながらジェシー・プレモンス演ずるロバートの奮戦を観ていく。上司のレイモンドから理不尽な指示を受けるロバート。その指示は滅茶苦茶ながら選択の余地は無い。そんなロバートを見届けつつ意識が薄れる中、その顛末の衝撃で一気に目が覚めた。

そのおかげか、第2話「R.M.F.は飛ぶ」、第3話「R.M.F.サンドイッチを食べる」は刮目できた。なお主な出演者は各話毎、異なる役柄とポジションで演じている。エマ・ストーンは過去作同様、体を張った演技、しかもクセスゴ。ウィレム・デフォーもクセスゴだが、物語のクセの凄さには敵わない。

原題は「Kinds of Kindness」。和訳すれば「親切の種類」または「親切の親切」とも意味が取れる。特に第2話、第3話は御伽噺感が強い。しかし三つの物語に何か教訓があるかと思えばほとんど無い。時にシュールだが、エログロ満載のR15+指定ゆえ観る側を選ぶ。

教訓が無いと言えば身も蓋も無いが、このクセスゴがだんだんと癖になっていくのはヨルゴス・ランティモス作品の面白いところ。ただ何度も言うがこの作品は人を選ぶ。いや、ヨルゴス・ランティモス作品は人を選ぶ。そしてダッジチャージャーのドリフト気味の運転が印象的だった。

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2024/09/23

「ぼくのお日さま」を観る

今日は仕事帰りに「ぼくのお日さま」を観てきた。第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品…とはオープニングで知ったが、先週の佐久間宣行ANN0のエンタメコーナーで採り上げていた事が観るきっかけに。吃音のある少年がフィギュアスケートと出会い少しずつ変わっていく姿を描く。

舞台は日本だが、洋画の雰囲気を持つ作品。岩井俊二作品のようでやはり違う。主人公の少年タクヤの「お日さま」とは、それを示すような映像表現。主人公の技術向上と共にその成長が画面を通して伝わってくる。コーチを演じた池松壮亮を含め、違和感無くその姿に見入ってしまう。

そして映画は多くを語らない作風、説明的な描写もない。北の町としつつも具体的な舞台は不明。また時代設定も不明確。ただ一つ、内気な主人公がフィギュアに取り組む姿が清々しい。それこそ池松演じる荒川がタクヤの姿に魅せられたわけで、彼にとっての「お日さま」だったかもしれない。

佐久間Pがラジオで本作の描く多幸感を語っていたが、それは諸刃だという点も忘れてはならない。たった一つの出来事で関係性は脆く崩れてしまう。またそれは思春期特有の脆さ、残酷さと重なる。ただ主人公たちにフィギュア(あるいは….)との出会いはかけがえのないものだとラストに繋がってくる。

多幸感の象徴が凍った湖のシーン。ここで描かれる姿に年齢も性別、立場の壁はない。この瞬間が永遠でないところも人生の難しさであるかと。

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