2009/09/13

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観る

 都市部での公開からはや2ヶ月。やっと我が街の映画館にも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」がやってきた。夏休みシーズン、多くの子供向け作品にほとんどのスクリーンを取られていたが、それも落ち着き、地方部の映画館でやっと公開になったようだ。この間、何度も遠征を考えたが、さすがに妻とまだ小さい子供を残して行く事はできなかった。しかしやっとこの機会に恵まれ、本作を観る事ができて感謝、しかもその出来が良い。

 テレビシリーズの「アスカ来日」から「男の戦い」までを再構築。ただ物語は一見同じ韻を踏んでいるようで、味わいは異なる。まず一つは、新キャラのメガネっ子マリ登場が公言されていた事に加え、サードインパクト、人類補完計画に至るシナリオへの変化。そしてもう一つが、シンジら主要キャラの進む心理的道程である。特にテレビシリーズにあった遠回しな葛藤、旧劇場版のように気恥ずかしくなるシーンはない。その成長はストレートで気持ちよく、その分クライマックスで観る者の心を震わせる。

 そして感じるのは昭和の匂いかもしれない。"手料理"をキーワードに心を通わせ、指先に心境を窺わせる演出が心憎い。しかもレイやアスカ、ゲンドウまでも旧世紀版(世間的に旧シリーズをこう呼ぶらしい)と異なる側面を見せる。基本的に同じメッセージを伝えようとしてはいるが、その饒舌さ、濃密度は対峙する使徒との戦いと相まって、映画らしいカタルシスに溢れている。また音楽はおなじみ鷺巣詩郎によるスコアだけでなく、随所に昭和を感じさせるものも多く、そこに心は「ポカポカ」させられる。

 もちろんエヴァらしく謎解きたる側面も持つが、旧世紀版同様にそれは真意であるまい。あくまで主人公(と観客、そして製作者)の心の葛藤、成長こそがエヴァなのだから。ただ本作の終盤登場した、渚カヲルが駆るMark.06、真のエヴァンゲリオンの存在はいまだ謎ばかり(本編最後のカヲルによる映画「マトリックス」的なセリフもね)。新劇場版による更なる新展開、それがいよいよ次作「Quickening」で明らかとなるのだ。

090913

P.S.
 映画館に着くと個人的に耳覚えのある曲、映画「太陽を盗んだ男」「YAMASHITA」が流れていた。何故かと思ったら、今回のエヴァで使われていて二度驚いた。エヴァの世界の日常に流れるワンシーン、でも曲はノーカット。ただエンドロールではノークレジットだった(「破」のサントラには入っているようです)。ただそういえば、スタッフの一人である樋口真嗣氏が、「太陽を盗んだ男」の特典DVDに出ていたしね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/09/05

「96時間」を観る

 今夜は盟友N氏に誘われ、リュック・ベッソン製作・脚本の「96時間」を観てきた。熟年のリーアム・ニーソンを迎えたアクション作。原題は「Taken」で、「取り返す」って事なのだが、何となく隠語を含んだような意味深なタイトルである。元工作員だった主人公が、実生活では離婚し、娘を奪われた中、本当にパリで娘が誘拐され、自ら『取り返し』に向かう姿が描かれる。そのタイムリミットが『96時間』。だが映画自体は約90分とコンパクトであり、ラストまで一気に駆け抜ける。

 監督の持ち味か、あるいはリュック・ベッソンの(共同)脚本の良さか、観る側は全くダレる事が無い。その所以、このオヤジさんはやたら強いのだ。スティーブン・セガールを彷彿とさせるマーシャルアーツの達人ぶり、超人ぶり、一撃必殺。何故そんなに強いのか、なんて説明は物語序盤で一目瞭然。あとはタイムリミットの『96時間』が、そんな疑問を吹き飛ばす。愛娘を奪われ、助け出す動機に、理由や説明は要らない。もしボクが自分の家族を奪われ、助け出さねばならない機会を得た時、その超人ぶりは是非とも欲しいものだ。

 この作品を観ていて、チャールズ・ブロンソンの復讐劇「狼よさらば」、「DEATH WISH」シリーズを思い出させる。奪還劇と復讐劇の違いはあれど、漂う懐かしさ、作品の醸す雰囲気に似た物を感じる。映画ファンは"悩む"オヤジさんに弱い。例え非情であろうとも、主人公に感情移入せざる得ない。そこに現代的なアレンジを加えた面白さはベッソン印。カラオケマシンは説明書を熟読してから購入する頑固さだけに、ハイテクを使いこなす姿も納得。カルフォルニアからパリ、犯人を追い詰める道程に無駄は無い。

 理屈抜き、いや理屈を考えさせないテンポも身上。もちろんフィジカル面だけでなく、迫力あるカーアクション等、見所も多い。ヨーロッパを上手く使った「ボーン」シリーズと同様、パリのロケーションも興味深く映る。「ダークマン」以来のアクションと思うが、温和なリーアム・ニーソンの怒りが爆発。同じオヤジもの、「ダイ・ハード」のようなシリーズ化も期待できるかも。その位、この作品は出来がいい。

090905

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/08/01

「ターミネーター4」を観る

 今夜は盟友N氏を誘い、「ターミネーター4」を観てきた。夏休みの劇場は子供向け作品ばかりで、正直今日観るならこの作品しかなかった。以前、このT4に対する不安を漏らした事があるが、映画の日で千円なら後悔しないはずと思った次第。しかし幕があがってからも、マックGに対する不安は晴れなかった。そして本作でターミネーターの居る未来、ついにパンドラの箱は開かれた。だが今観終えた後の感想は、意外にしっかりできていた作品となっていた事だ。

 まずこの作品に沿って、ジョン・コナーはリーダーの道を辿っていく。母サラの遺した予言を背景に終戦に導く存在。だがその予言を揺るがす者が現れる。本作のキーマンであるマーカスだ。個人的にネタバレしていたために、キャラ的な驚きは無かったが、演じるサム・ワーシントンが中々魅せてくれる。むしろジョンを喰って、ジョン以上に主役といっていい。原題は「Terminator Salvation」、彼はSalvation(救済)の意味する部分を一身に受ける。

 もちろんこの作品の興味は既に描かれた運命、その先あるいは過去の出来事とのリンク。おなじみT-800は、ターミネーターの進化の一つとして登場する。T-800以外にもビジュアルで魅せるアイテムが数々登場、迫力のあるシーンが展開される。そして何よりもジョンの父、カイルがジョンの目の前に現れる事。もう一つのSalvation、ジョンは彼を救う事ができるのか。これら物語を軸にクライマックスへ、ジョン、マーカス、カイルの運命は交錯していく。確かに、確かに物語は良くできている。

 しかしこの作品最大の運命こそ、第一作や第二作T2と比較される事だろう。つい粗探しして観てしまったほど。そんな中で惜しまれるのは、提供されている様々なプロットを活かしきれていないところ、人物相関があっさりしているところ等(配給元を意識して、VAIO Uにソニーのロゴがアップになるのもどうしたものか)。また救済は解るが、シリーズとして運命という最大のテーマにメスが入っていない。ジョンは本当にマーカスを知らなかったのか?最終的にはタイムパラドックスというどつぼにハマってしまう。

 ただおバカ映画監督、改めマックGに対する不安は少なからず晴れた気がする。ついレクターシリーズ三作目「レッド・ドラゴン」を観終えた後と同じ気持ちになった。ブレット・ラトナーに対する不安、意外に上手く撮れていた事等。あれも脚本、名演、音楽に助けられていた気がする。奇しくも音楽は本作と同じ、ダニー・エルフマンだったりして。興行も大成功と言い難い中、果たして予定通り三部作のままか、次作で完結をみるか、今はマックGの運命に最も興味があったりして...

090801

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/06/12

「スター・トレック」を観る

 今夜は盟友N氏に誘われ、「スター・トレック」を観てきた。最初は明日から始まる「ターミネーター4」とどちらかと天秤に掛けられていたが、迷わず「スター・トレック」を選んだ次第。理由は「T4」には大きな不安がある事(監督とか、監督とか、監督とか。結局、監督の事じゃん!)。それよりも活き若返る「スター・トレック」に興味があったからだ。そこにはシリーズ史上、最も熱い「スター・トレック」が展開されていた。ホント、とにかく熱いのだ。

 ヒットメーカー、J・J・エイブラムスの再構築した本作は、まさに「スター・トレック」ビギンズである。感情をむき出しにする若き指揮官候補カーク。対照的、冷静に物事を判断、遂行するスポック。この二者の対比、のちに友情を交わす二人の若き日の姿。カークの熱さが、そんな"若き"スポックをも動かす。そこが"ビギンズ"と呼びたくなる所以だ。圧倒的VFXも凄いが、何よりもこの熱さには代え難い。冒頭から観客を物語に引き込む動因となっている。

 それと同時にオリジナルシリーズのファンを取り込む仕掛けも嬉しい。おなじみの面々が若返って登場する点にも興味はあるが、中盤「こう来たか!」と驚かされる展開が用意されている。なお"若き"スポックを演じるのは、テレビ「HEROES」のサイラー役、ザカリー・クイント。元々キャラが濃い彼(「HEROES」ではヒゲも濃かったが)が、誰もが知るこのキャラクターを、全く違和感なく演じている。その姿、レナード・ニモイに劣らず。彼なら、オリジナルシリーズのファンも納得するのではないか。

 物心ついた頃に観たテレビ「スター・トレック」は、パッチパチのコスチュームのウイリアム・シャトナーが指揮官席に座り、ゆるーい展開で進む宇宙冒険ドラマだった。矢島正明さんが声を充てたカークは今も耳に残る。対してクリス・パインの演じるカークは、それを叩き壊すかのような熱さ、それが魅力的なのである。公開前、その出来から続編始動の噂は出ていたが、これなら現実味を帯び、是非観てみたいと思わせる。本作は夏向き大画面向き、劇場で観て欲しい作品である。

P.S.
 終演、オリジナルテレビシリーズのテーマがフィーチャーされ、ファンの心をくすぐる。ただできれば、願わくば、御大ジェリー・ゴールドスミスの手掛けた劇場版テーマも、そこに絡めてくれれば100点満点だったのになぁ...と思うのは贅沢かもね。

090612_2

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/05/21

「スラムドッグ$ミリオネア」を観る

 今年の米アカデミー作品賞、ダニー・ボイル監督「スラムドッグ$ミリオネア」を観てきた。オスカー作品ながら、誰一人ハリウッド俳優は出ていない。登場人物は全てインド人であり、物語の前半、多くの部分で英語字幕が現われる。一見、外国語映画賞の対象となってもおかしくないが、青年となった主人公たちは英語のセリフが中心となるため、割合として外国語映画の規定に引っ掛からないのだろう。

 物語は主人公ジャマールを軸に、貧困から悪の道に手を染める兄サリーム、同じ貧困の中育った少女ラティカの運命が描かれる。全世界で放送される「クイズ$ミリオネア」はその糸口の一つであり、重要なのは彼らが育った過酷な環境、半生にある。それはインドの辿った歴史でもある。そこに善を通して生きるジャマール、相反するサリームが重なり、ある意味、インド版の「フォレスト・ガンプ」的な面もある。ただ時にユーモアを交えるも、本作のほうがシリアスな作品だ。

 「クイズ$ミリオネア」のホスト(日本のみのもんた並みに曲者!)、構成は各国独自であるが、番組ルールは共通。もちろんこの作品中、番組テーマやジングルまで同じなのである。それゆえ舞台がインドながらも、物語のとっつき易さを生んでいる。だが個人的には問題を解き続けるよりも、その後に待っていた運命に感動した。やはりこの作品は人間ドラマである。またここで描かれる兄弟関係にも心に来るものがある。この感情は「ラ・バンバ」以来かもしれない。

 舞台はインドながら、映像はスタイリッシュ。それこそダニー・ボイルの真骨頂であり、構図の一つ一つも印象的。もちろん音楽の使い方も上手い。エンドロールに用意されたボリウッド映画らしい演出も憎い。音楽は「ムトゥ・踊るマハラジャ」のA.R. ラフマーン。日本では「インドの小○哲哉」とプロモートされた時期があったが、今となっては随分失礼な話。ちなみに彼は本作で最優秀作曲賞、歌曲賞をW受賞している。本作は物語、画作り、音楽と三拍子揃った傑作だ。

P.S.
 もし本作が外国語映画賞の対象だったら、「おくりびと」と争っていたかもしれない。しかし日本人として「おくりびと」の与えてくれる感慨は、けっして「スラムドッグ$ミリオネア」に勝るとも劣らない。だがこの二作を並べ、評価する事自体、意味の無いものではある。

090521


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009/05/01

イーストウッド主演最終作?「グラン・トリノ」を観る

 今日は映画の日。盟友N氏と時間を合わせ、クリント・イーストウッド主演(出演)最終作とさせる「グラン・トリノ」を観てきた。朴訥(ぼくとつ)として、時に毒を言い放つ姿にこれまでの主演作が重なるが、そんな彼も今年で79才。「目には目を...」を体現してきたアンチヒーローも年齢には勝てない。しかしただそれを描く事は本作の真意でない。また彼の監督作を観れば、描かれる人生観と懐の深さは伺い知れよう。そんな例に洩れず「グラン・トリノ」もイーストウッドらしさに溢れた作品となった。

 隣人は異人種が当たり前となった街に、妻の死から心が孤独となった男。そこから生まれるコミュニティー、変化がこの作品の鍵となる。イーストウッドの毒を楽しむもよし、師弟関係や友情を楽しむもよし。物語はシンプルだが、深読みしていけば想う事は多い。ただ主人公の言動やケジメをそのまま受け止めては、この作品を楽しむ事ができない。むしろ不快感だけを持つだろう。そこに遺こしたものが大事なのだが、それはひと言で言い表せない。

 例えばエンディング、主人公の手を離れたグラン・トリノが駆け抜けるシーンは特別だ。友情の証でもあるし、新たなコミュニティーへの象徴のようにも取れる。タイトルの「グラン・トリノ」とは、今やビンテージカーとなったフォードの車。無骨で不器用、洗練さとは無関係。そんな「グラン・トリノ」と主人公は同義の存在にある。最後、何処か清々しい気持になるのは、そんな関係が成り立っているからなのだろう。物語の経過から変わらないもの、変わるべきもの、そのコントラストがこの作品の面白さだと思う。

 この作品を楽しむもう一つの要素、それは製作者イーストウッドの姿勢だ。人種差別的な描写もあるが、それは"媚びない"姿勢の表れでもある。むしろ現実のアメリカなのだろう。 そして主人公とイタリア系散髪店主のやり取りをみれば、イーストウッドの考えは十分に伝わる。真摯な姿勢、大人の余裕、「グラン・トリノ」はそんな映画人クリント・イーストウッド、集大成のような作品である。

090501

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009/04/13

「おくりびと」を観る

 個人的、しばらく日月休みが繰り返される中、妻と息子に暇をもらい、「おくりびと」を観てきた。ご存知、今年の米アカデミー最優秀外国語映画賞を受賞した作品だ。公開当初に観る機会を逃して消沈していたところ、半年経って凱旋上映のチャンスに恵まれた。今やDVDもレンタル、発売されているが、劇場で観たい、そして期待に応える作品であった。

 リストラに遭ったチェロ奏者が、故郷に帰り、納棺師という職業に出会う。そんな中の出来事を描いた物語である。ただ物語に目新しさはない。人物相関、ストーリー展開は想定内で進み、そこに逸脱は一切無い。なのにこの作品の惹き込む力は凄い。脚本、演技、演出、音楽、全てが噛み合い、相乗効果を生んでいるようだ。そして死と対峙しながら、笑いのスパイスを効かせる。これもオーソドックスな日本映画のスタイルといえるだろう。

 助演の山崎務の存在感は言うに及ばず。観ていて思ったのは、彼のフィルモグラフィーが投影された感が強い事。かつての伊丹映画を彷彿とさせるシーンも少なくない。この作品における、食に対する姿勢は明らかにそれだし、故・伊丹監督の第一作が「お葬式」だったのも単なる偶然か。人間の欲に対する姿勢、そのストレートさ加減も何故か似ている。職業に悩む主人公が妻に溺れようする様を観ていて、ある種の興奮を与える。

 驚いたのはそんな相手、妻役の広末涼子の事。彼女の演技は一見、通り一辺倒に思える。しかしそのシーンの受身だけでなく、物語に沿って2008年、今を生きる妻を演じている。この作品が10年前を描いたものであるなら、彼女は明らかにミスキャストとなるだろう。今という時代を映す、しかも映画で成立できる、数少ない女優さんかもしれない。彼女に時代物は似合わない。

 企画から立ち上げた、主演の本木雅弘にも敬服する。その視点もさることながら、本作のシリアスとユーモアを見事にバランスさせた一人でもある。おめでとうアカデミー賞!。脚本の小山薫堂は、さすがあの「カノッサの屈辱」を手掛けた才人。オーソドックスながら、脚本におけるディティールの細かさが素晴らしい。彼が仕掛けた唯一隠し味となる配役、笹野高史の存在も見逃せない。これには正直参った。本当に参った。

 タイトル通り、死と対峙する悲しい題材ではあるが、常に何処か温かい。観て損なし、是非劇場で観て欲しい。

090413

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/20

「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」を観る

 今日は久々に妻と映画へ出掛けた。劇場公開開始に妻の出産が重なったため、正直間に合うかなぁと思っていたが、さすがは夏の大作。しっかりとロングランしてくれていた。ただ困った事に、劇場はポニョやポケモンの子供用の編成。しかも近場の映画館はレイトショーばかり。辛うじてできたばかりのシネプラザサントムーン、昼間の字幕版上映を見つけいざ鑑賞となった。

 大人のエンターテイメント、ポスト007を目指して作られた第一作「レイダース/失われたアーク」。元祖ローラーコースタームービー、第二作「魔宮の伝説」。そして元祖007、ショーンコネリーを迎えた「最後の聖戦」。時代を先駆けた夢のルーカス=スピルバーグのタッグ。それぞれの作品に思い入れはあるが、頭の中身を空っぽにして楽しめるシリーズだ。これまで四作目製作の噂は何度もあったが、まさか19年ぶりになって復活するとは、正直驚いた。

 物語は考古学とオカルトが題材となっているが、今回はそれを大きく推し進めたもの。ちょっとやり過ぎ感は否めないが、よく考えてみればスピルバーグ印。こんな展開があってもおかしくない。それに物語をとやかく言う作品でもない。またアクションは劇場向き、テレビサイズでは物足らないだろう。個人的にそのノリは「魔宮の伝説」的。インディ、マリオン、マットと人物構図も似ている。もちろんゲテモノ描写も健在。軍隊蟻襲撃のシーンを観た妻は「もう観たくない」と嘆く程だった。

 最近のハリソン・フォードに一時の勢いは無くなったが、本作では水を得た魚。ジャケットにあの帽子を被れば、ニヤッとジョーク、腕っぷしの強いインディがそこに居る。シリーズでの登場人物はマリオン位しか登場しない。父ヘンリー、故デンホルム・エリオットのマーカスが違った形で登場するが、嬉しくもある反面、少々悲しい。初登場のマットは謎を含んでいるが、インディとは何となくそうなんだろうなぁと感じる、実際そういう関係でしたけど。

 この作品を観た後、家族、大団円とその方向性は「リーサルウェポン」の四作目とダブる気がした。いずれにせよ今度こそ本当に終わりなんだなぁと。

080820

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/08/09

「ダークナイト」を観る

 盟友N氏と共に新生バットマンの二作目、「ダークナイト」を観てきた。前作は劇場でも観たが、先週のうちにDVDで復習は済ませている。リアル路線の強いクリストファー・ノーランによるバットマンだが、この「ダークナイト」はより色濃く、しかも迫力に満ちた一作。キャスト、スタッフ共に全てを出し尽くしたかのような二時間半。その世界感、物語、画面に釘付けとなった。

 本作は好敵手ジョーカーの登場、善と悪の対極が見どころだが、バートン版バットマンの一作目とは全く趣向が違う。圧巻のジョーカーも、ニコルソンのような漫画的なジョーカーではない。その狂気は中盤から緻密にバットマンたちを追い詰める。対極の敵、善の遂行と限界に悩むブルース・ウェイン=バットマン。バットマンからジョーカーへの主客逆転の瞬間、その存在感が凄い。その瞬間、ヒース・レジャーはニコルソンを凌駕したといえるだろう。今風に言えば、その姿ハンパない。

 レイティングを踏まえ、残酷な描写は避けられているが、内容を理解するには明らかに大人向きだろう。もちろんハリウッド大作の持ち味、エンターテイメント性も兼ね備え、アクション、カーチェイスは手に汗握る。ハンス・ジマーとジェイムス・ニュートン・ハワードの音楽は、前作を含めて主旋律を統一した曲を配し、派手なテーマ曲を脱却しつつ、物語の一貫性を高めていた。

 ストーリーも緻密だ。バットマンにゴールドマン警部補、検事ハービー・デント、幼なじみのレイチェルの運命が絡まっていく。トゥーフェイスの必然性、ジョーカーが描くシナリオは本当にハンパない。そしてこの作品を構築したクリストファー・ノーランに驚かされる。前作ではバートン版バットマン、箱庭世界からの脱皮に戸惑ったが、ゴッサムシティは世界の一部、むしろハードなストーリーに現実感を備える。街を走り抜けるバットポッドに違和感はない。善と悪、狂気を凌駕するもの、その答えの一つがこの作品にある。バットマンの行き着く先、壁を乗り越え、闇の騎士は街を見守り続けていく。

080809

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/04/11

「バンテージ・ポイント」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今夜は気になっていた「バンテージ・ポイント」を観てきた。日本での興行は地味だが、シガニー・ウィーバーにウイリアム・ハート、フォレスト・ウィティカーらオスカー俳優が集う本格派サスペンス。一応主役はデニス・クエイドだが、事件発生の23分を八つの視点から追う物語ゆえ、それぞれのシークエンスでメインは異なる。それにしてもデニス・クエイドは顔の皺を見ると、本当に年をとったなぁ...いやいや渋いという事ですけどねぇ。

 この作品、9.11に端を発した政治モノの匂いはしますが、実によく出来たサスペンス。大統領を狙う組織から感じる政治色は程々。あくまで大統領銃撃を中心に物語は展開。どのように銃撃、そして爆破され、彼らシークレットサービスが出し抜かれ、翻弄されるか。デニス・クエイド演じるバーンズの目、そして我々観客は、次々に明かされる謎に驚かされる構成になっている。ただ冒頭、内部の裏切り者は何となーく勘づいてしまったけど、ラスト15分(位?)のカーチェイスで吹っ飛んでしまい、ここだけでもあの「ボーン」シリーズと双璧な感があります。

 何しろこのカーチェイスの主役がオペルなのです。舞台はスペインですが、ヨーロッパはオペルのマーケットでもあります。世界ではまだまだオペルは健在です。そしてGアス(アストラ)のパトカーを、Hアスが追いまくる追いまくる。しかもそのHアスがボクのアストラの色と同じとキター。すなわちウルトラブルーであります。ハンドルは持ってかれるわ、シフト操作は激しいわ、さすがにマニュアルのHアス(ボクのHアスはオートマ)。徹底的に追い詰めその末路は...とにかくオペが出るだけでこの作品のブルーレイ、間違いなく購入決定です。

 さすがはコロンビア映画、ソニーピクチャーズ作品らしく、ソニーのHDカメラが視点の一つとして登場。1080iで収録した映像が、物語の謎に触れていきます。それだけでなくソニエリのケータイ、スマートフォンとソニー製品のオンパレード。ただ「007/カジノ・ロワイヤル」ほどあからさまでない分、あまり気になりません。やはり物語が命の作品なので。皆さん、特にOpelist(日本のオペルユーザー)の皆さんにはオススメなのですが、残念ながら上映は今日で終わってしまうようなのです...

080411

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/02/10

世界ウルルン滞在記 ルネッサンス「ようこそ!ベルギーが誇るチョコレート工場へ」を観る

 妻が興味を持っていた今週のウルルンを観た。今回の舞台はベルギー、そしてバレンタインデー直前らしく、世界高級チョコのブランド、ゴディバの工場だった。ゴディバを訪れたのはギャル曽根。「自分が食べるチョコの家を作りたい」という希望に沿ったもの。妻はなかなか見られない工場の中や手作業に興味を持つ反面、作業着を着たギャル曽根の髪型が気になったよう。「調理師免許」を持っているはずの彼女らしからぬ髪のまとめ方、髪の毛がチョコをこねるヘラに付きそうで気になって仕方がない。注意されたのだろうか、放送ではシーンのたび、髪は徐々にまとめられていた。

 番組はホームステイ先での出来事、紆余曲折の末にチョコの家は完成する。そんな一見、オーソドックスなウルルンかと思いきや、今回の放送は大きな違和感を感じた。それはギャル曽根の扱いである。ホームステイ先、夜になるとお手伝いさんを巻き込み、夕食の空腹を満たすギャル曽根。その上、工場での作業の合間のたび、彼女は持ち込んだ大量の食料にありついていた(英語もままならないギャル曽根。たぶん番組スタッフが購入したのでは?)。過剰に思えるそれら演出は、ゴディバの魅力を訴える内容とはほぼ遠いもの。最初から最後まで"大食い"ばかり、そこには演出家の好奇心という名の悪意に満ちていた。

 例えばお手伝いさんとの件では、空腹の事でステイ先に迷惑を掛けたくないとの一心はあったようだが、それでも限度があるだろう。人生で我慢を学ぶのも大事なことだ。これは他の芸能人であればプライバシーに関わるところ。大食いを売りものにするギャル曽根ゆえの構成、演出だろうが、視聴者の受ける印象は明らかにマイナス。ワガママを通し、人々の優しさに触れ、最後には「(ここまで優しくされて)作ったチョコは食べられません」とは聞こえがいい。だが今回のウルルン、チョコ作りに苦労は空腹だけ?と思わずにいられない。それ程にチョコの魅力は希薄だった。

 番組最後、ステイ先でのお約束の別れのシーン。あの涙に至る経緯は番組中、全く描かれなかった。しかしエンディングテロップでインサートされたシーン、交流こそが本当は大事だったのではないか。ステイ先の家族や子供たち、そしてギャル曽根の涙の理由は、"大食い"パフォーマンスだけではないはず。彼女は新たな魅力を引き出す絶好の機会を失ったのも残念だと思う。その一方でゴディバ、ベルギーの人の良さだけが印象に残った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/28

2008新春新ドラマ通信簿

 今年から始まったドラマを今日までの分、一刀両断してみた。観ていないもの(興味なし、または観る都合が無かったか)はノーマークとした。

月曜.
薔薇のない花屋(フジ・期待度4):久々の野島伸司ドラマ。気がつけば慎吾ちゃんの周りは敵ばかり、人間不信に陥りそうな展開。果たしてラストはハッピーエンドか否か?パペットマペット人気復活の兆し。

火曜.
ハチミツとクローバー(フジ・期待度-):第一話で挫折。物語より、妙に痩せた村上淳が心配。
あしたの、喜多義男(フジ・期待度-):観るまでは最も期待度の高かったドラマだが、第2回にして展開について行けず挫折。
貧乏男子(日テレ・期待度3):文字通り"旬"な小栗旬主演のドラマ。お金にまつわる反面教師的な内容は苦手だが、ユースケ・サンタマリア他、曲者脇役陣と予想を裏切る展開を期待。

水曜.
斉藤さん(日テレ・期待度4):ルール無用な社会に喝、観月ありさ主演のドラマ。現実主義な高島礼子、小島よしお似の男子高校生との対決。度が過ぎる描写も少なくないが、ミムラのコメディエンヌぶりが助けている。

木曜.
交渉人(テレ朝・期待度3):米倉涼子主演、実力派脇役で固めた犯罪サスペンスドラマ。ひと癖ある物語、様々な伏線が今後活かされるかどうか。
だいすき(TBS・期待度-):ノーマーク
鹿男あをによし(フジ・期待度4):玉木宏主演のファンタジー。ある意味別人な玉木に対し、山寺宏一演じる鹿の存在感が光る。ツボにハマるような描写、ただ最終回まで打ち切りにならない事を祈る。

金曜.
四姉妹探偵団(テレ朝・期待度-):何故いまさら赤川次郎?と疑問符のつく新ドラマ。相変わらずな赤川スタイルに、第2話以降はパス。
エジソンの母(TBS・期待度-):ノーマーク

土曜.
1ポンドの福音(日テレ・期待度-):ノーマーク
フルスイング(NHK・期待度4):伝統の土曜ドラマ枠、あの高橋克実初主演の連続ドラマ。実話がベース、オーソドックスだが、大人の懐の深さが感じられる作り。

日曜.
篤姫(NHK・期待度4):江戸無血開城を描く幕末大河ドラマ。物語、セット、キャストの重厚さに目がひく、さすがはNHKハイビジョンドラマ。
佐々木夫妻の仁義なき戦い(TBS・期待度-):ノーマーク。録画はしてあるが、観るかは非常に微妙。

雑感.
 昨年同様、ドラマに関しフジ対日テレの様相が強い。フジは「ガリレオ」で月9を盛り返し、これを引き継ぎたい公算。日テレはキャストもさることながら物語で勝負、今年も好調さが伺える。TBSは年始は「華麗なる一族」で気を吐いたが、以後は青色吐息。今年の目玉は"佐々木夫妻"だが、何処まで抗戦できるか。NHKは大河ドラマが目玉だが、土曜ドラマも悪くない。テレ朝は先が見えぬダークホース、だが「交渉人」も化ける可能性は秘めている...かも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/11/17

「ボーン・アルティメイタム」を観る

 今日は朝から盟友N氏と、マット・デイモン主演シリーズ最終章「ボーン・アルティメイタム」を観てきた。待望にして「究極点」「最終結論」をうたうとあって、その出来は素晴らしい。ちょうど日本公開に合わせ、前二作をテレビで放送してくれた点も嬉しかった。アクションが売り物の本シリーズだが、様々な伏線を味わうために予習しておいたほうがいい。実際、二作目「ボーン・スプレマシー」のラストとリンクする瞬間、これはアメリカ映画なんだと感じるだろう。トレッドストーンからブラックブライアーへ。前作で消えた点と線はヴァージョンアップして復活。世界を追いかけてきたシリーズは、母国で終演を迎える。

 冒頭からアドレナリン全開のアクションの雨あられ。音楽ジョン・パウエルのいい仕事、小気味良いお馴染みボーンのテーマが緊張感を増幅させる。前作、ポール・グリーングラスにバトンタッチ後、より手ぶれ映像を強く感じた(観客側として少々、アクションが捉え難いかなと)ものだが、今となっては痛みが伝わる瞬殺に手振れ映像こそ、この作品の持ち味の一つと考える事ができる。また007等のガジェット系スパイと異なり、リアリティを高める演出も楽しめる。またシリーズ、作を重ねるたびに完成度が高まっているようにも思う。

 三作目となれば、我々観客のボーンに対する感情移入はピークに達する。始めはミスマッチに感じたマット・デイモンも、彼無くしてシリーズの成功は無かった。ただ数々の犠牲、そして自分探しの旅を終えた時、もはや続編の必要性はないと感じるだろう。ジョアン・アレンにスコット・グレン、そしてエンディングに微笑むジュリア・スタイルスが印象的。黒幕の一人、アルバート・フィニーも不気味にいい味。派手さのないキャスティングではあるが、ベテランを配した磐石さだ。

 映画を観終えて思ったのは、これは映画館で観るべき作品だという事。三作通じてその印象が強い。駅の群集も、モロッコの追いかけっこ、エンディング近く怒涛のカーチェイスと大画面ならではのシーンが続く。緻密に計算されたアクションシーンが見どころなのは、言うまでも無い。もちろんそれをサポートする音響がいい映画館を選びたい。ただ小画面、テレビでは平凡に終わってしまうだろう。事実、前作のテレビ放送は物足りなさで満ちていた。今年最高のアクションは是非、予習をして映画館で観て欲しい。

071119

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/06

「大奥」と「マリー・アントワネット」を観る

 久しぶりにDVDレンタルした。DVDはコレクションするものが信条だったが、結婚した今は緊縮財政のため、ほとんど買っていない(唯一買ったのがBru-Rayの「007カジノロワイヤル」)。またWOWOWのHD放送を観られる点も大きい。映画は再び、録るコレクションに移行しつつある。観たい作品が妻がセレクト、「大奥」「マリー・アントワネット」を借りる事になった。両作共、7泊8日のシールが貼ってあったが、「マリー・アントワネット」は新作シールを見逃し、少々高いレンタル代である。

 「大奥」は大奥史上最大のスキャンダルとされる、絵島生島事件を描いたもの。ドラマを立ち上げたフジとしてはテーマだけは『最も面白い題材を映画にしました』と言いたげな映画化。妻曰くテレビシリーズのキャストをローテーション、そこへ外様の仲間由紀恵、井川遥をキャスティングしている。もちろんドラマで人気だった大奥スリーアミーゴスを配している。しかし映画らしいスケールを求めるとバカをみる。映画ではあるが、これは明らかにテレビ映画だった。

 まずこの作品、大画面で観たいとは思わせてくれない。どこをとっても太秦映画村。ただこれは今作る時代劇ゆえ、やむを得ないところはある。しかし物語のスケール、キャストの演技はテレビ映画止まり。映画らしいスケール感を終始感じる事ができなかった。そもそも劇場で観る時代劇に愛憎人事ドロドロ劇は似合わない。正直、テレビで充分、いや地上波で放送された時にでも...というのがいいところの作品だった。

 一方「マリー・アントワネット」は同じ時代劇、愛憎人事ドロドロ劇ながら、ちょっと趣向が違う。オーストリアから政略結婚としてフランス、ルイ16世の下に嫁ぎ、のちに王位を継承した夫とは別に自由に生きた彼女の人生、そして末路を描いている。スケール感は圧倒的にこちらのほうが上。実際の宮殿でのロケ、煌びやかな衣装とテレビでは表現しきれないディテールを感じる。下手な演出よりもそうした画から溢れる、物語の背景は素晴らしい。

 しかし如何せん観客に要求する主人公への感情移入が足らない。王位継承者を生む事が義務付けられる苦悩、しかしそこから解き放たれた姿は、知られているマリー・アントワネットそのもの。中身も見聞した歴史以上ではなくそこまで。むしろ呆気ない。またフランスを描く英語劇というのもいただけない。英語ゆえか、ドロドロ感も後退した気がする。しかも何故、監督が今この題材を選んだのか、最後までその意図が見えなかった。作品が二時間で終わったのが救い。

 「大奥」と「マリー・アントワネット」、どちらが映画らしいかと言われれば後者。ただ最終的には約二時間という制約の中で観る者の面白い、興味深い作品になり得るものこそが映画の醍醐味といえる。その点でこの二つの作品はボクにとって物足らなかった。映画館で観ても感想は変わらないだろう。

071006

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/09/30

今日は一日、リターンズ。

 身近な富士での開催とあって久しぶりにF1中継を観た。まさにF1が富士の裾野にリターンズ。だが前日からの雨も本戦で止む事は無かった。国際映像に絶好の富士山も雨に濡れ、霧に包まれる。それゆえクラッシュとリタイアが多かったのは残念。30年前の富士も雨だったというが、三開催中二開催が雨となると「雨の富士」という代名詞も付きそう。そんな中、セーフティーカー(ベンツじゃん。妻の報告は誤報)が終始先導するレースに物足りなさを感じつつも、終盤に至る二着以下のバトルは見応えがあった。そんなバトルがドライバー達のフラストレーションを映すようでもあった気がする。

 そんな何度もセーフティーカーが入る展開ゆえ、F1中継は放送時間が約20分延長された。その煽りを受けたのは競馬GIスプリンターステークス。フジテレビ「スーパー競馬」は当初の予定から短縮版ながら、放送延長でさらに短くなってしまった。放送開始5分後、本馬場入場無くいきなりゲートイン。電撃の6ハロンは不良馬場の中、1分9秒4で決着した。勝ったのは3才牝馬アストンマーチャン。乗り替わった中舘英二は久々のGI勝利にリターンズ。ローカルではおなじみ、彼らしい逃げとスピードが身上のマーチャンが見事ハマり、一番人気サンアディユ以下、後続馬の追撃を見事封じた。牡馬牝馬混合GIで牝馬が1、2着というのも珍しい。

 F1、競馬共に地上デジタル放送で視聴した。デジタルハイビジョン時代ながら、雨にかげったF1マシンとサラブレッドを映す映像はやや解像度が乏しかった。ハイビジョンも天気には勝てない。しかし音声は隔世の感があった。ナローなステレオからデジタルへ。F1サウンドも競馬場の歓声も部屋に轟いた一日。それだけでなく、実は懸案だった不調のアンプが、オーバーホールを経て本調子を取り戻したからだ。左チャンネルとマスターボリュームの不調で修理を依頼したところ、メーカーのサービスはクリーニングで充分と全て無料で対応してくれた。スポーツ観戦後、そのアンプと凱旋門を通して、WOWOWで録ったばかりの「スーパーマン・リターンズ」を再生すると、その地響きとサラウンドに唖然。18年選手のアンプKA-5010も見事リターンズした。ケンウッドさん、あなた方の仕事と心意気に感動。本当にありがとう!

090930_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/16

爆笑レッドカーペット

 不定期放送だが、フジテレビの「爆笑レッドカーペット」が気に入っている。笑いはココロのカンフル剤、そんな持論のボクがオススメ。そもそもこの番組は、今年の一月「発掘!あるある大辞典II」の穴埋め番組として、急遽制作されたものだ。裏番組にTBS「華麗なる一族」が在りながら善戦、後番組「メントレG」のゴールデン進出決定と共にその役目を終えた。その後、視聴率が良かったのか、スペシャル番組として復活。先週の火曜はその第四弾が放送された。

 第一回放送は若手お笑いのごった煮状態ながら、ギャルネタ柳原可奈子のブレイクやムーディ勝山の初東上と、非常に充実した内容だった。「トリビアの泉」以来の高橋克実の司会も見逃せなかったが、何よりも今田耕司の仕切りが素晴らしい。一組、2分から3分程度のネタが次々と繰り出される中、それら繰り出すネタのフォローと背景を鋭く切り込み、そのコメントで笑いを倍増させてくれる。今田のツッコミはこの番組の潤滑剤、もちろん今のバラエティー界で希有の存在だと思う。

 さて第四弾で最も存在が光ったのが、アントキの猪木だ。その名の通り、アントニオ猪木のモノマネ芸人である。春一番、石橋貴明(とんねるず)、アントニオ小猪木等、これまでも猪木を真似る芸人は少なくない。しかし彼らと一線を画するのは、生き写しのような激似度だろう。今回の放送で触れられていたが、息遣いと語意を強めるアクセントまで似ている。今田いわく「ボクが中学生だったら夢中になってしまいますよ」。本当に納得である。

 間のダレた「エンタの神様」のような番組より、テンポが身上の「爆笑レッドカーペット」のような番組のほうが好きだ。その点で若手芸人と今田耕司の組み合わせは必然。また毎週レギュラー化するのではなく、期間を置いて放送も好感。ネタが命の若手芸人が、毎週の放送のために消費されていくのは忍びない。レッドカーペット賞、チューブで鼻を連結させたハイキングウォーキングとくまだやすしが、あのネタを毎週できるとは思えないしね(^^ゞ。

070916

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/05

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観る

 昨夜は会社帰り、12年ぶりのエヴァ、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」を観てきた。近場での上映はなく、富士のシネプレーゴまで久々の遠征。とはいえ、電車で20分ほどの距離ではある。劇場はボクのようなサラリーマンから、席の後ろではエヴァフリークの彼女を持つカップルまで様々。土曜のラジオ、アバンティのように聞き耳を立ててみると、キャラ解説をする彼女と明らかにビギナー、連れ込まれた彼氏の会話。果たして二人の映画デートは吉と出ますか?いやいやそれより、今回の新劇場版の出来が気になります。

 さてそのストーリーは第壱話から第六話に沿って進んでいる。ただ旧エヴァにあったような謎探しは影を潜め、ヤシマ作戦をクライマックスとした作品構成。あくまで序と位置づけ、ボクのようなエヴァ経験者には観易い作りである。旧エヴァはアダム、人類補完計画で物語を終始引っ張ってきたが、そもそも新劇場版でその必要はあるまい。今シリーズ製作、庵野総監督の主旨は別のところにあるのだから。この序、もしテーマがあるとすれば、何のために戦うか、ヒトゆえの戦わざる得ない運命なのだろう。それは旧シリーズを踏襲したテーマでもある。

 新劇場版、そのほとんどの作画、構図に手が加えられ、CGによる使徒、第三新東京市の防御システム等が大きな見どころとなっている。新劇場版で最もパワーアップしたのは、実は第三新東京市なのかもしれない。使徒もラミエルのように大胆な演出、変貌が加えられていた。もちろんエヴァ自身も描写がパワーアップ。射出されるエヴァ初号機、シンジのシミュレーションシーン等数多い。もちろん、一定の作画レベルで展開されるアドバンテージは大きい。お得意のタイアップも、劇場版ならではであった。

 庵野総監督の意図、リビルドの意義は強く感じる。そして今回の新劇場版:序を観ながら、昔セガサターンで出ていたエヴァのアドベンチャーゲームを思い出した。そう、これから展開される新劇場版は、新たな物語の分岐の一つであり、そのお膳立てとして、この序はストーリーラインを新たな映像で固めたのだ。前述の通り、謎は程ほど、あくまで物語の真意を伝えたいのは解る。もちろん庵野総監督らしいサービスはエンドロール後にも集約されており、これまでのファンなら、きっと新たな物語の分岐を観たくなるはず。

 ただこの劇場版、難点は少なくない。初心者向きに感じないのだ。確かに説明はあるが、カットと展開が速くて、ついて行くのがやっとに感じる。おそらく劇場では脱落者もいるだろう。またそれを助長するのが、セリフの聞き取り難さ。劇場による要因もあるだろうが、赤木リツコ女史のセリフは特に聞き取り難かった。パッケージソフト化の際は一考願いたい。また冒頭から、SF作品特有の敷居の高さもある。しかしこればかりは仕方がないところ。今は次作「破」の新展開に期待を持ちつつ、近場で公開される事を祈っております。

Bnr_eva_a01_01

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/09/02

DVDで「ラブバッグ」を観る

 今日は久々にビデオ、DVD鑑賞。家のシステムで「ラブバッグ」を観た。「ラブバッグ」は1969年公開のディズニー映画。実は一年以上も前にこのDVDは初回限定ボックスで購入済(今ではプレミアがついて、2万円オーバー!)だったが、今の家の新システム立ち上げまで待っていた次第。だからといって実家のような大音量、大画面ではなく、マンション住まいのための、液晶テレビを中心にした小システムである。このシステムについては後日書きたい。

 ディズニー映画というと、最近はブエナビスタで「パイレーツ・オブ・カリビアン」のような派手な作品が目立つが、昔は当然ながらファミリー向けが多かった。この作品はそのラインの王道を行くファンタジー。しかも主役はワーゲンである。ビートルが自ら意思を持ち、騒動を繰り広げていくというもの。合成バリバリのシーンが多いが、当時としては当たり前。むしろビートルことハービーが愛くるしく、時に人間顔負けの表情、行動をみせる。そんな可愛さもあって、この作品はのちにシリーズ化された。

 正直、この作品は今のノリでみるとタルいが、日本語吹替版で観ると心地いい。この作品を初めて観たのはテレビだったし、その頃がよみがえってきた。そしてその所以は富山敬と青野武の掛け合いである。彼らというと「宇宙戦艦ヤマト」だろうが、声優のベテランらしく、昔から洋画も吹き替えも多かった。この作品では正統派の富山、コメディーの青野がいい味を出している(敵役のレビル池田勝も可笑しい)。また今の声優さんと違い、間の演技が素晴らしく聞き惚れてしまう。この作品のように、昔は日本語吹替が本編を補う事も少なくなかった気がする。

 同じ車が主役というと、数年前リメイクされた「ミニミニ大作戦」が有名だが、この作品もリメイク(リンジー・ローハン主演)されている。その際は現行ビートルでなく、あえて旧作と同じ型式のビートルを主役にしていたが、魅力は色褪せずと言いたかったのだろう。その作品は未見だがともかく、かぶと虫ビートルは断然旧型がいい。この「ラブバッグ」にはそんな魅力が満載されている。観終わってみると、気持ちは童心に返り、53の車番にツートンラインのビートルが欲しくなるんだよなぁ。

070902_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/23

笑いの一生

 今年は年初からムーディー勝山、柳原可奈子、にしおかすみこ等、笑いのニューウェーブが続いている。クセになるムーディーソング、超うなずかせるコギャルライフ、下積みからのし上がって生んだ女王様とそれぞれに濃いキャラクター。それに加え、今夏ブレイクしたのが、オッパッピーことオーシャン・パシフィック・ピース、小島よしおの『そんなの関係ねぇー』。あまりの衝撃に、初めて見た時には度肝を抜かれた。それぞれに瞬間風速の高い笑いである。

 そして今のお笑い芸人の寿命は短い。ネット時代となってネタの浸透速度が早まった分、飽きられるのも早くなった。まるでセミの一生のよう。面白さ、衝撃度の高い分、瞬間風速の高さは顕著となる。2004年、流行語大賞に『間違いない』でノミネートされた長井秀和は、「大賞になると、芸能人として終わり」と言っていたが、浸透度の高い笑いは廃れやすい恐さを表現していた。だがそんな彼自身、今年のレギュラーが「エンタの神様」のみで、実はノミネートされる事自体が危険、馬鹿にできない証拠だろう。

 ただ渦中の人気芸人でさえ、先の見えない恐さを吐露している。にしおかすみこは『明石家さんちゃんねる』に出演の際、占い師に第一声、「いつまで(人気は)続きますか」と聞いていた。もちろん一発屋に終わらないためにも本人の努力は大事。だがテレビ局も所属プロダクションも、ここぞとばかりに彼らを起用する。そして忙しさの果て、繰り出されるネタは多様性を失い、終焉に向かっていく。テレビ局からすれば、彼らは消耗品。ここ数年で何人のお笑い芸人が消えていった事か。

 前述の長井秀和は、自らの可能性を求めてニューヨーク留学するという。「世界を視野に」との事だが、日本のテレビから消える恐さは少なからずあるはず。やはり芸人はテレビに出てナンボなのだから。そう思うとたけし、さんま、タモリのBIG3に紳介、ダウンタウンらの存在は際立つ。彼らこそお笑い持久戦の古豪。ある番組で品川祐(品川庄司)がさんまに「早く引退して下さい」と毒つくのも、まんざら冗談ではあるまい。飽きられない技術(あるいは立場)は若手芸人たちの脅威。ベテランのゴキブリ並みの生命力に、お笑い世代交代はまだまだ進みそうにない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/22

パラマウント、反旗を翻す

 次世代DVDの規格抗争。当初からHD-DVD支持を表明していた米大手のパラマウントが、昨日突然Blu-Rayタイトルの出荷停止を発表。既発売のタイトルは店頭在庫のみ、今後予定されていたタイトルは全て発売中止。つい最近、発売がアナウンスされた「トップガン」と「ザ・シューター」もHD-DVDのみ発売に切り替わった。パラマウントにはスピルバーグ作品も少なくないが、同監督の作品だけは今回の件から除外対象という。

 同社では直近、Blu-Rayタイトルが発表になる等、製造販売の最前線ではHD-DVDとの併売が前提だったように思う。規格決着判断に時期尚早なのは、ユーザーだけでなく、メーカーも同じ。むしろBlu-Ray一本という戦略がほとんどで、併売はパラマウントとワーナー位であった。やはり今回の電撃発表には、パラマウント上層部の政治判断が働いたと取るのが正しい。最も驚いたのは、パラマウントの営業ではないだろうか。

 併売する事のリスクに設備投資。同じ光ディスクとはいえ、異仕様による工程ロス、コストアップ要素は生まれる。ただ既に併売してきたパラマウントのリスクは、今更大きいものではないはず。また今回の出来事が、同じHD-DVD派マイクロソフトとの蜜月関係に起因するとの声を聞かれる。ただせいぜいOSレベルでのMSと、ユーザーを敵に回すかもしれないソフトベンダーでは、明らかに規格決定でのリスクが違う。だからこそBlu-Ray陣営は早々に同規格専念を表明してきた。

 今回の一件で次世代DVDの情勢は変わるまい。ただパッケージソフト販売に影を落とす。それだけでなく、ソフトの販売ルートはパッケージという殻、枠を超え、様々な形で提供されている。その中で、多くの消費者はSDレベルの画質で十分なのである。敵はBlu-Rayでなく消費者、ユーザー。そうした時代を達観し、あえて反旗を翻したのであれば、その決断は強烈なパンチ、ユーザーとのクロスカウンターとなる。そしてユーザーは選択肢を失った。今はただ、早く相手のタオルが投げ込まれる事を祈ります。

070822

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/08/04

「トランスフォーマー」を観る(ネタバレあり)

 今日は朝から、マイケル・ベイとスピルバーグがタッグを組んだ「トランスフォーマー」を観てきた。この夏男心、いや漢心をくすぐるビッグタイトル。むしろ『少年の心を持った大人たち』に捧げられた一品である。日本発、アメリカから逆輸入された玩具、アニメシリーズが「トランスフォーマー」。車や飛行機等が一瞬にしてロボットに変形。変形は日本のアニメの十八番であるが、オモチャで実現させてしまうのが、本当のジャパニーズテクノロジー。スピルバーグを魅了した日本は、黒澤明だけでなく、トランスフォーマーもその一つだった。本作ではそれらのスピリッツが如何なく発揮されている。

 かつて南極で発見された無生物生命体を政府は秘密裏に隠蔽、セクター7として調査を行なっていた。そして現代、カタール駐在の米軍を襲ったのは、ヘリが変形したロボットだった。圧倒する戦闘力とテクノロジーで部隊は全滅。ヘリロボットの目的は軍の最高機密だった。時同じく、高校生のサムは中古のカマロを入手する。だがカマロには大いなる秘密が隠されていた。そしてサムの運命はその出会いから大きく変わっていく...これが物語の骨子。

 この物語は変形=トランスフォームの皮を被りながら、感じるのは他のSF作品のエッセンス。サムとオプティマス・プライムのやりとりは「ターミネーター2」であり、サムとカマロことバンブルビーの関係は「ナイトライダー」そのもの。まして物語の起点が南極、そして巨人(この映画ではアイスマンと称していたが)となれば、「新世紀エヴァンゲリオン」である。しかもネルフならぬセクター7がこれを担う。冷却パイプに繋がれたメガトロンを見ると、まさにそれ。そのように挙げていけば枚挙暇が無い。

 マイケル・ベイらしく描写の派手さに加え、車をカッコよく撮っている。オプティマスのトラックより、断然カマロ。オールドカーファンには嬉しく、にやけてしまう変貌も遂げる(その間に流れたのは布袋寅泰のご存知「新・仁義なき戦い」のテーマ)。そして変形描写を見るにつけ、アニメと現実の境界線はこの作品で無くなった事を思い知らされる。次は「ROBOTECH」シリーズとしてアメリカで放映された「超時空要塞マクロス」で行きましょうよ。本作の戦闘機の変形を観れば申し分ないです。

 物語は冒頭のシーンから、米軍のプロパガンダ的な匂いが漂うものの、青春ものとしての個性が強く気にならない。時に青臭く、中盤のサムと家族のやりとりは、バカバカしさがあっても違和感は無い。確かに展開に雑さはあるが、圧倒的なCGと迫力で押し切るベイ流演出。時々挿入されるスローモーションも忘れていない。製作のスピルバーグがポップコーン映画と言うように、テーマパーク的な面白さに、ちょっとしたテーマがあれば充分。夏休み映画としては及第点といえる。燻っていたオモチャ魂に火がつきそうだ。

 日本ではコンボイ司令官として有名だが、オプティマス・プライムの名のままだったのは残念。ちょっと派手なカラーリングも要らなかったかも。しかし日本語吹替版ではオプティマスの声を、あの玄田哲章さんが充てているという。オリジナルシリーズをインスパイアさせるキャスティングが嬉しい。ソフト化されたら断然、吹替版で観たいところ。そしてお子さん連れには断然吹替版をオススメしたい。

070804

| | コメント (0) | トラックバック (1)

悪友=阿久悠さん逝く

 阿久さんが亡くなって思うのは、染みついてるなぁという事。けっして悪い意味でなく、彼の詩が我が血や肉になっている事だ。『阿久悠=昭和歌謡史』の側面は少なくないが、すなわち彼の持論である時代を映す楽曲が、ボクの成長過程に影響を与えた点も多い。とにかく詩がカッコいい。詩がカッコいいから、曲も攻めの姿勢となり、革新的な楽曲を生んでいった。直立不動から、観客の心に響く詩への変化点。文字通り、時代を起こしたムーブメント。平成の詩たちが失ったアイデンティティーをそこに感じる。

 演歌というと辛気臭いが、阿久さんの詩は違う。「北の宿から」「津軽海峡冬景色」「雨の慕情」と当時小学生であったボクらが歌いたくなるような楽曲だった。特に「雨の慕情」のサビは独特の振り付けと相まって、演歌はダサいという風潮を払拭していった。今では宇宙人トミー・リー・ジョーンズをも魅了する、時代を超えた名曲の一つ。『しみじみ呑めば...』は時代を超えたひと節である。

 今なら○×プロデュースと製作側が表に出る時代だが、彼の場合は全くの逆。『スタ誕』、スター誕生というブランドは作ったが、彼が表に出る事はほとんど無かった。むしろ強面で審査に徹し、次々にアイドルを発掘していった。日曜の朝、アイドルが生まれていく過程を目の当たりにする楽しみ。プロダクションやレコード会社のプラカードが揚がるか否かの緊張感。モー娘。の先駆けである反面、今のインスタントアイドルとの違いを鮮明にする。

 彼の楽曲、テーマとする時代と同じように感じるのがロマン。それが最も顕著だったのが「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌群。テレビ版、映画版通して子供向け目線を廃し、ロマンを押し出していた。今聴いても「真っ赤なスカーフ」は凄い。アニメが子供だけのものではない、今の潮流を知れば知るほど、阿久さんの嗅覚の凄さを思い知る。古代進の親友であり、悪友のデスラー...話は関係は無いけれど、悪友(あくゆう)=阿久悠のペンネームだったんだなぁと今初めて知った夏。ご冥福をお祈りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/30

人の耳は馬鹿にできない

 ファースト、劇場版ガンダムのDVDが再発売される。今やHDリマスターは当然、しかもオリジナル音声が収録される事になった。多く、いや大多数のファースト世代にとって朗報。何せ再発売前の現行ソフトは物議を醸していた代物。特別版と称し、劇場版の映像に再録された新音声、5.1ch化されたBGMと効果音のみを収録。見慣れた映像、そこに生じた違和感から非難を浴びていた。ただでさえ価格の高いバンダイビジュアル。今回の出来事は一部のファンから『想定の範囲』『次世代ディスクでまた儲けるのか』と早くもツッコミが入っている。

 過去、バンダイビジュアルのDVDソフトで音声再録は少なくない。劇場版パトレイバー第一作第二作、そしてAKIRAである。三枚ともオリジナル音声を踏まえながら、新録も収録。特にAKIRAとパトレイバー2はセリフがオリジナル音声に対し、5.1chの効果音と新録BGMを重ねている。そして興味深かったのが最初の劇場版パトレイバー。セリフ収録の独立トラックが現存しておらず、新録5.1ch用にオリジナル声優を総動員し、セリフの再録を行なった。初めて聴くならまだしも、同録のオリジナル音声と比較すると、声優陣の経た年齢まで見えてしまう、いや聴こえてしまうのが怖い。

 ただこれら三つのDVDは、オリジナル音声の入っていた分救いがあった。一方、前述のガンダム特別版はマ・クベの声も、ザクマシンガンの発射音も違和感ばかり。だってそのものが違うからだ。ただオリジナルとの違いはそればかりではない。まるで時代を封じ込めたかのような音がある。誰もが5.1chを望んでいるわけではない。ナローレンジだろうが、モノラルだろうが、馴染んだ音だからこそ、スッと物語に入り込む事ができる。侮る無かれ、人の耳は馬鹿にできない。

 ルーカスのように、CGでシーンを再構築したスターウォーズでさえ、オリジナル音声を踏まえたリテイク、気配りある音作りを感じる。特にセリフは、オリジナルをトリートメントしつつも、許容範囲を踏まえている。やはり老いたオビワンはアレック・ギネスでなければならない。実は人間にとって音の違和感のほうが、映像の違和感より生理的に受けつけないのかもしれない。声のアイデンティティーはオリジナルを超える事はできないのは、良くも悪くも栗田ルパンがいい例なのだから。

070730

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/01

「ダイ・ハード4.0」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今日は映画の日なので、盟友N氏と「ダイ・ハード4.0」を観てきた。N氏とはこのシリーズの2と3を劇場で観ており、2はレイトショーだった。N氏は眠気眼で観ていた事が思い出される。そして第一作は高校時代、まだクチコミなんて言葉が無かった頃、数人しかいない劇場で観た。緻密に組まれた伏線、そしてど迫力の肉体アクションに熱狂。以後、レーザーディスクが擦り切れる(わけが無いが)程に再生を繰り返し、そのセリフはボクの血と肉になった。80年代アクションの大傑作。音響、サラウンドも最高、ホームシアター黎明期の作品としても有名だ。

 その最新作は4ではなく、4.0。ただアメリカ公開の原題は「Live Free or Die Hard」(のんびり生きるか、さもなくば粘り強く耐えるか...誤訳かな)となっている。ただオープニングロゴは4.0のまま。むしろ作品の背景は伝わり易いだろう。立ち向かう相手はサイバーテロリスト。しかも米国東部を支配し、アメリカ国家に脅しをかけてくる。過去このシリーズでシステム占拠は定番だが、その規模は比較にならない。そんな敵と、ブルース・ウィリス演じる超アナログなジョン・マクレーンの戦いが描かれていく。

 130分間、画面に釘づけだった。第一作から変わらぬマクレーンのボヤキ。ボヤいていても戦う姿勢はカウボーイ。それがこの作品の魅力の一つでもある。敵のボスにボヤキを皮肉られる所も健在。ブルースはパワーアップしたアクションに体当たりで挑んでいる。世界一ツイていない男、血まみれになりながら、愚痴をこぼしながら、次々と敵を倒す姿に実年齢は関係ない。そして感情移入が芽生え、物語に没頭している自分がいた。年をとり髪の毛はないが、やっぱりブルース、いやジョン・マクレーンだ。

 シリーズへのオマージュとも取れる描写も多い。第一作は縦(ビル)、第二作が横(空港)を移動する中で展開されたが、本作はそれを随所に織り込んでいる。またウォール街をパニックに陥れるところはまさに第三作そのもの。ボクは『シリーズ物の成功のカギは、前作の優れたパロディーでなければならない』が持論だが、この最新作はその点でもよくできている。ただそれだけでなく、フリーウェイの攻防は「スピード」、F35との対決は「トゥルー・ライズ」とFOX作品へのオマージュでもあった。さらに冒頭「スポーン」の腕がもげ、「ターミネーター2」のエンドスケルトンが起爆のキッカケを作るなど、枚挙暇が無い。

 前作から12年経った理由は、物語の作り込みに表れていた。人気シリーズゆえの成り行き製作、個人的には失敗だった第三作の糧に成熟を待ったと思っている(ただし第三作はシリーズの密室構造を崩した点で大きな意義を持っているだろう)。ブルースご指名の監督、レン・ワイズマン(「アンダー・ワールド」)も最高の形でそれに応えた。ネットに絡むパニック、ガジェットの扱い、今風の設定も若い彼ならでは。上手く咀嚼し、画作りも演出もテンポがいい。しかし最後に残るはジョン・マクレーンの魅力に尽きる。

 今回、ジョンと共に巻き込まれていくハッカーのファレル、ジョンと彼の絡みは秀逸で、事件の発端ながら、解決の道を作っていく。そしてジョンの娘ルーシー。姓の名乗るところはホリーそっくり。いやジョンそっくりの描写が逞しい。ラストも思わずにやけてしまいます。敵のボス、カブリエルは線が細いが今風のテロリスト像を構築。一見、志(こころざし)は高くも、最後はやっぱり金なのかよと、こちらもある意味、第一作からの志を引き継いでいるのかもしれない。

 本作の欠点があるとすれば、ヘリ操縦のところ。だが観客が『どうして?』と思わせようが、そこは力技。「太陽を盗んだ男」の如く、できまいがやらせてしまう点が相通じている。この作品、展開に躊躇していてはいけません。また最新鋭戦闘機F35は知らなかったので、少々面を喰らいましたが、こちらも勢い任せ。CGに頼る面も許容範囲、このシリーズのファンなら笑って許してくれるでしょう。とにかく全般的に、アクションはできるだけCGに頼らない点はビンビン伝わってきます。また嬉しかったのは、音楽を担当したマルコ・ベルトラミが、故マイケル・ケイメンのオケを織り込んだスコアを展開。自身が手掛けた「ターミネーター3」の鬱憤を晴らすように、テーマ的なオケを効かせて、いや聴かせてくれるのです。

 作品の出来を尋ねられたとしたら、『1には敵わないが、2を超えたのでは?』と思います。もちろん3は遥かに超えていますけど(苦笑)。盟友N氏はこれに加え、『この作品には(ジョンの)年齢相応の面白さがある』と評しておりました。この意見、おおいに納得。もちろんボクらが中年に一歩足を踏み入れようとする時期、今のジョンに感情移入するのは当然。ぼやいていても、やらなきゃいけないのです、男というのは...仕事にめげたら、ぼやいてもやり遂げましょうぞ!

070701

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/06/15

「スパイダーマン3」を観る

 期待していた「スパイダーマン3」を観てきた。サム・ライミが前二作に引き続き、そのままメガホンを執るという事で期待を持っていた。ただネットでの批評、冒頭で音楽がダニー・エルフマンからクリストファー・ヤングへスイッチ。オープニング等はエルフマンのスコアを踏襲したが、醸す音の雰囲気が何処か「X-MEN3」に相通じるところがあって、嫌な雰囲気が漂った。また奇しくも「バットマン」シリーズは、第三作でエルフマンが離れた途端、クオリティを落としていった事が思い出される。アメコミ映画化にとって、三作目は鬼門、果たして本作は如何に。

 全てを明かし、新たな一歩を踏み出すMJとピーター=スパイダーマン。そんなスパイダーマンに次々と敵が現れる。ゴブリン・ジュニア、サンドマン、そして自らの心に宿る敵。第三作のテーマはスパイダーマンとしてどのように進むべきか、その道が描かれていく。第一作では大いなる力に対する責任、第二作では二重生活に対する苦悩がテーマだったが、本作ではその二作に対する最終回答が期待された。だが観終えてみて、個人的に冒頭から不快感ばかりが気になった。

 何せ三作目という位置付けながら、前二作以上に青臭い。二作を通じて描いてきた重みは消え失せている。これまで上がってきた階段は何だったのか。魅せるべき主人公の成長は全く見られない。始まってまもなく、物語を観る動機を失ってしまった。そしてピーターの子供じみた言動に感情移入できない。また苦悩も無く、このシリーズのキモを失ってしまった。MJの表情、物語に亀裂が生まれ始める一方、ゴブリン・ジュニア、サンドマン、ヴェノムと次々に強敵が現れていく。これがアメコミ的アプローチ、内容より興行的な面白さを選んだのか。物語は観客を置いてきぼりにして進んでいく。

 感情移入の行き先を失った観客の前で、怒涛のCGファイトが繰り広げられていくものの、どんどん気持だけは冷めていく。第一作が横、第二作が縦、そして本作は縦横無尽。だが前二作を上回ったのはスピード感くらい、それ以外の表現は劣っている。だから我々は物語と映像の悪循環の果て、本作にカタルシスを感じる事ができない。見どころはほとんどないと言っていいだろう。MJの気持、ハリーの末路を思うと、三部作のラストとして後味の悪さばかりが残る作品となった。

070615

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/11

「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」を観る

 北海道旅行明け最後の休み、妻と「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」を観てきた。前二作はDVDで観ていたが、最後は劇場という流れ。また平日昼間なら混まないだろうという読みもあった。妻にはジョニー・デップがきっかけのようだが(DVDを借りるまで、「カリブの海賊」=「パイレーツ・オブ・カリビアン」で無かったらしい)、ボクにはジェリー・ブラッカイマー印の大作という印象が強い。

 確かに内容は第一作で充分のような気がする。そして第二作と第三作はディズニーとのタイアップ的に話の風呂敷を広げた格好に思う。第二作ではデイヴィ・ジョーンズ、本作では海の神とサブキャラを増やしてきた。もちろん第一作のジャック・スパロウ自身も映画オリジナルらしいし、映画を受けてディズニーが本家「カリブの海賊」をリニューアル(妻からの情報より)するという。さすがディズニー、商売が巧い。

 さて第三作「ワールド・エンド」は骨子はスパロウ救出にエリザベスとターナーの恋の行方、東インド会社と対峙する海賊たちは大団円を迎える。映画自体は圧倒するCGと船同士のバトルの連続。ただこの監督の個性は感じられず、あくまで大作と物語の交通整理に終始した感があり、エリザベスとターナーのキャラは浅く、スパロウもデップありきで成り立っている程度。キースの登場に喜ぶファンも多かろうが、Bボーイの原点、ストーンズの彼がディズニー映画に出演する事自体、何か時代を感じる。

 ボクがこの作品で気に入っているのはバルボッサ。彼の存在無くして本作は語れない。演じるはオスカー俳優、ジェフリー・ラッシュ。第一作のラスボスでもある。そんな彼がスパロウ救出に加え、エリザベスたちの行動にも手を貸す。実は本作の軌道修正をしてくれる、重要なキャラクターだ。男気とユーモア、さらにエリザベスとターナーをも結びつける。昨日の敵は今日の友。そんな彼を見ていてある男を思い出した。あのデスラーである。

 デスラーとはご存知「宇宙戦艦ヤマト」の好敵手、デスラー総統の事。ヤマト第一作では敵だったデスラーが、続編となって古代ら地球人たちを助けるようになる。シリーズ、物語を重ねるたびに深まる友情。ユーモアと男気を兼ね備えるのもバルボッサと同じ。いやまるで元ネタのようだ。考えてみれば航海の場所が違えど、船に乗るのも同じ。しかも愛のために戦っている。大人の視点を持つバルボッサやデスラーのようなキャラは、シリーズ物には不可欠なのかもしれない。間違いなくこの第三作のMVPは、バルボッサなのである。

070611

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/18

「ロッキー・ザ・ファイナル」を観る

 金曜の夜のレイトショー、「ロッキー・ザ・ファイナル」を観てきた。上映最終日の最終回、ギリギリのタイミングで間に合う事ができた。「ロッキー」といえば、シルベスター・スタローンを一躍スターダムに押し上げ、アカデミー作品賞を受賞した作品。そしてシリーズ化され、これまで五作が作られた。だがスタローン人気の陰りと共にシリーズも沈滞、個人的には第五作「ロッキー5/最後のドラマ」を観ていない。

 邦題は「ロッキー・ザ・ファイナル」だが、原題は「ROCKY BALBOA」。すなわち最終章にはロッキーの名が冠せられている。「ロッキー3」「ロッキー4/炎の友情」では、強いライバルをぶつける事でストーリーを構成してきたが、本作は違う。初心に帰るかのような自分との戦いがテーマだ。燻るファイティングスピリッツ、愛妻エイドリアンの命日に再び戦う事を誓うロッキー。『小さなリングでいいから...』の想いはふとしたきっかけで、現ヘビー級チャンプとのエキシビジョンマッチに挑む事になる。

 実年齢が還暦のスタローン。そんな彼演じるロッキー(劇中役の年齢は不明)が、現役バリバリのチャンピオンとフルラウンド戦う事自体あり得ない。現実、ジョージ・フォアマンが45才で最年長世界チャンピオンとなったが、さらに15才も上。ただ本作中、現チャンプが腕を負傷するアクシデントを発症、ロッキー得意の重いパンチと粘り強さが功を奏し始める。多少の現実性はあっても、寓話的なのは否めない。

 ただ本作が言いたいのはそんなヒーロー像だけではない。ロッキーのスピリッツ、人柄が生む人間ドラマ。不良を更生させたり、かつての不良少女を雇ったりと、人懐こい『ほっとけない』人柄が爆発。ただそれはただ一人の女性エイドリアンへの想いに同じ。それが彼の人生である。そして愛する息子に身をもって前進する姿をみせていく。それはロッキーを見る全ての人々へのメッセージ。シリーズ第一作に立ち返る想いも込められている。スタローンはそんな不器用ながらまっすぐに生きるロッキーを一体感をもって演じている。いやロッキー=スタローンなのである。

 そんな中、重要なのがご存知「ロッキーのテーマ」、ビル・コンティの名曲である。お約束、ロッキーのトレーニングシーンのモンタージュにテーマが映える。全盛期をとうに過ぎた老体ながら、リングに上がり戦う姿に胸熱くなる。それは第一作から観てきた者にとって、非常に感慨深いものとなろう。ロケのほとんどがフィラデルフィアなのだが、下町を醸すロケーションが素晴らしい。エンドロール、フィラデルフィア美術館を駆け登るファンの映像が流れた後、思わず駆け出したくなるが不思議。気持が高ぶるのだ。

 この最終章の価値、存在意義に疑問を持つ人も多かろう。『「ロッキー」は終わった』『何を今更?』。しかしここに描かれる前進する姿が全て。気がつけば寓話的な印象は消えている。そして観る者は背中を押される。それがロッキーの魅力。インサートされる旧作のシーンも心を打つ。この最終章なら羽佐間道夫もいい声充てるだろうなぁ(苦笑)。

Rockybalboa

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/13

「バベル」を観る

 今日は一人になる時間ができたので、噂の「バベル」を観てきた。菊池凛子のオスカー助演賞ノミネートに加え、上映中の激しいフラッシュバックが問題となり、日本公開で話題になっている本作。日本的には役所広司が、ハリウッドからはブラピとケイト・ブランシェットの名が目立つが、前述の菊池凛子ら沢山の登場人物たちが、物語のピースを担った群像劇に仕上がっている。

 ただ本作は物語に気持の良さを求める作品ではない。むしろ観る者の不安感を誘う。登場人物たちの不安と不条理の連鎖が、スクリーンを通して現実を突きつけてくる。形は違えど我々が生きていく中、潜んでいる不安をこの作品は浮かび上がらせるのだ。一発の銃弾に端を発した物語は、モロッコ、東京、アメリカ、メキシコの四箇所を巡り、やがて一つに紡がれていく。その一つ一つに家族に対する愛情と不安が満ち溢れており、ドライに描かれていた物語が最後には温かいものに変わっていた。それぞれの親子、夫婦、そして家族の物語。

 だからといって同じ群像劇、「クラッシュ」のようなハリウッド的なハッピーエンドは皆無。それこそがアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ作品のテイストなのだろう。例えば菊池演じるチエコの心の救済が行われたか否か、はっきりとエンディングからは判らない。リチャードとスーザン夫妻、子守の女性も笑顔を見せずに終えていく。言葉も肌の色も違う人々の日常、生きる中の偏見や不安と葛藤、それが『バベル』というタイトルに込められている。

 時間軸を微妙にずらしつつ、三つの物語が進行するが、「パルプフィクション」のような大胆さは無い。しかし観客はそんな物語のパズルを再構成しながら、興味深く見守っている。エンターテイメントとは別の方向性のため、一般向けの作品ではないが、映画好きなら本作に惹かれるものがあると思う。そして本作での菊池凛子の存在感は、我々日本人にとってそれを導引するものの一つ。時に鋭く、時に哀しい視線が痛い。今更ながら、もう映画の世界に国境は無いのを実感した。

Babel

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007/04/29

「ブラッド・ダイヤモンド」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今日はカミさんに暇をもらい、レオナルド・ディカプリオ主演の「ブラッド・ダイヤモンド」を観てきた。ここ三ヶ月、洋画を観なかったし、唯一観た邦画もコメディ。何処か毒を欲していた。そんな中、この作品は硬派なテーマ、アフリカ民族問題に反政府分子、そしてその資金源がダイヤモンドというもの。史実をなぞりつつ、サスペンスを織り込んで描いた本作。その迫力、いやあまりの惨劇に冒頭から釘付けになっていた。

 まずソロモンを演じるジャイモン・フンスーのフィジカル面に驚いた。時に躍動的、いや家族を守るために必死になる姿、画面に集中する。そしてそれを追うカメラ。ハイテンポなカット割り、編集、そして音楽が渾然一体となって襲ってくる。そしてカットの合間に機関銃をぶっ放す少年兵が映し出され、この作品の持つ深刻な面の一つが表現される。そしてそれはソロモンの家族への伏線でもあった。のちにソロモンの息子が変貌していく様は、納得のいく展開。この作品のようなシリアスな善悪(あるいは悪同士)の対峙において、その背景を描く事は大事である。「ブラックホーク・ダウン」のように、対峙するソマリア人をゾンビのように映す手法もあるが、それではテレビ的で一方的な恐怖しか伝わらない。

 この作品が言わんとするところは別に『皆さん、ダイヤを買うのは止めましょう』なんて事ではない。この世の中、貧富差別に負の連鎖は当然。むしろ観客がその現実を受け入れる『きっかけ』こそがテーマかもしれない。もちろん多少のヒューマニズムは必要。それを受けるのがソロモン親子の復縁であり、それを結果サポートする事になるディカプリオらの行動にある。

 ディカプリオは好きな俳優でない。しかし観ている作品は少なくない。有名な「タイタニック」があれば、最近では「ディパーデッド」なんてのもある。この二作に加え、「ブラッド・ダイヤモンド」には大きな共通点がある事に気がついた。それは彼が死して終わる事。物語は彼の犠牲をもって終焉していく。だが他の作品と大きく異なるのは、満足な表情で最後を遂げる点だろう。それがこの作品唯一の光明であり、前述で挙げた『きっかけ』の一つなのだと思う。

Blooddiamond

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/28

「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」を観る(ネタバレあり)

 水曜の夜、カミさんと一緒に映画に行って来た。カミさんとの映画は二回目のデート以来。世間的には映画はデートアイテムながら、普段は『映画ひとり』いや一人で映画か、盟友N氏と観る位に珍しい事だ。今年三本目に選んだ映画は「武士の一分」と並び、日本映画。ただちょうどカミさんと観たい映画が一致したため、レイトショーとレディースデイを機会に観てきたのだった。

 作品はタイトル通りにタイムトリップもの。しかしタイムトリップというより、時代を楽しむテーマパークのような映画。さすがホイチョイが描くタイムトリップゆえ、時代描写に重きを置いた作品となっている。物語はタイムトリップした母親を捜しに、その娘である広末が同じマシンに乗ってバブル期へ行くというもの。タイムマシンは協賛する日立とのタイアップ、ドラム式洗濯機である。ただ珍しさはそこまで、例えばタイムトリップでの描写では稲光と閃光。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」そのものであった。

 しかし舞台が1990年に移ると、ホイチョイムービーの真骨頂が感じられる。実はバブル期こそ彼らホイチョイプロの隆盛期に当たるからだ。間近でバブルを体感、しかも世間に様々な仕掛けを仕組んできた。そしてバブルが弾けた後、「メッセンジャー」を最後に映画制作から離れていた。久々の映画は自分の土俵の中を描いたわけだ。登場人物たちの身の回り、衣食住に至るまで手抜きが無い。

 ただそんな中で驚いたのが、バブル期最中、ディスコに繰り出す芸能人たちの描写。飯島愛も八木亜希子(いずれも本人役)も90年代にトリップ。まさにその顔は化けていた。いや失礼、変わっていた。メイクアップの力を痛感した。中でもテレビ局、駆け出しの飯島直子(もちろん本人役)はまさにあの頃の彼女に変貌。垢抜けた今の彼女とは大きな違いをみせていた。実はどんなCGよりもその変貌ぶりがこの映画の見どころかもしれない。

 最後の大騒動はまるで「ボクたちのドラマシリーズ」。映画としての緻密な作りより、テレビ映画的な大味感が強い。そこがこの作品に対する物足りなさなのだろう。ドタバタだけでなく、時間や歴史との戦いが描かれてこそのタイムトリップもののような気がする。作品の志(こころざし)もちょっとバブル、親子愛が伝わるまでに至らなかったのは、ホイチョイムービーゆえかもしれない。

追伸.
 タイムトリップ対決!洗濯機VSデロリアン。ただ本家「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の原案、タイムマシン案に冷蔵庫があった事は有名な話。でも今思えば冷蔵庫でなくて良かった。それはこの作品における物足りなさ、一方で元の時代に戻る「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のスリリングさが秀でた形となった。やっぱタイムマシンは動かなきゃね。

070228

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/10

「ディパーテッド」を観る(ネタバレあり)

 今日はカミさんに暇をもらい、マーティン・スコセッシ監督の「ディパーテッド」を観てきた。ご存知「インファナル・アフェア」のアメリカ版リメイクであり、本国の評判もまずまず。もちろん最大の動機は大好きな「インファナル・アフェア」がどのようにリメイクされたかに尽きる。早々にブラッド・ピットとワーナーがリメイク権を買った事が有名なオリジナル。興味をそんな相違点の比較に置き、本作の物語を楽しんでみた。

 オリジナルは主人公二人に潜入捜査官の上司、マフィアのボスのガップリ四つの構図が魅力となっていた。対して本作は基本構図は似ていても、ややニコルソンとディカプリオに寄った作りとなっている。そんなディカプリオに対し、マット・デイモンの存在がやや弱く、苦悩よりも悪役的な側面が強く出されている。これによりオリジナルの原題「無限道」の意味は希釈され、本作最大の相違点と感じた。「無限道」こそアジア的なアプローチであり、銃弾が飛び交ってコロコロ死んでいくのは、アメリカ的な「ディパーテッド」ゆえなのだろう。ニコルソンのボスぶりは想像通りだったが、作品全体のバランスを欠き、少々アクを強く感じた。

 お互いの情報のやり取り、ケータイの使い方もオリジナル、「インファナル・アフェア」の特色だった。ギブスはあっても、さすがにあのモールス信号は割愛されていた。ただ血塗られたケータイを袋に入れず、そのままの状態、素手で使わせた本作のセンスは劣る。やっぱケータイは、ビニール袋越しで操作して欲しかった。また今となっては、やや新鮮さを失った設定なのかもしれない。

 オリジナルよりもサスペンス色が薄まったのは、スコセッシ流なのだろう。オリジナルと同じエピソードが挿入されてはいるが、手に汗握るというような気がしなかった。またスコセッシの人間描写は香港的なアクや濃さは皆無で、チンピラたちの描き方に彼らしさを感じた。そして音楽の使い方の巧さ、センスはスコセッシらしい。それに加え、ハワード・ショアの音楽(封筒に迫るシーンでは、原作をインスパイアさせるスコアが登場)が彩る。この作品のドライさはそんな音楽からも感じ取る事ができる。

 このリメイクは成功かと言われれば、『まずまずの出来』と答えるしかない。ただ「インファナル・アフェア」のファンからすれば、物足りなさは否めない。アジアとアメリカ、その舞台の違いが、物語の根底に流れる罪悪への価値観、その顛末を呆気なく幕切らせたようだ。あくまでアジアの『無限道』ではなく『インファナル・アフェア』というタイトルのリメイクだったという事。ちなみにエンドロール、主人公二人による主題歌は流れなかった...

Departed

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007/01/20

遊舟ダイナミック大賞2007各部門賞発表

年始恒例、8回目を迎えた「遊舟ダイナミック大賞」。筆者の独断と偏見で2006年を振り返ります。

まずはコラム:2006年総括、格差社会とデジタル化
 小泉政権から安倍政権へ。政治的には大きな転換期を迎えてはいるものの、小泉時代から踏み出したものは少ない。昨年の参院選、郵政民営化さえ猿芝居だった事が露呈され、あの刺客たちも、今ではぞんざいな扱いを受けている。それゆえ現政権は逆風に見舞われているが、思ったほどのダメージはない。しかもサラリーマンに対する政策は真綿に締めつけるよう、成果主義の推進を促し、税制、格差社会の三重苦に見舞われていくのだろう。我々に知らされず、影は少しずつ忍び寄ってくる。 

 そんな社会を映してきたテレビのデジタル化は進むところ、大多数の人々がアナログ停波の時期を見誤っている。2011年には駆け込み切り替えが殺到しそうな気配だが、今すぐ買い替えるに敷居は高い。何故放送を見るのにカード(B-CAST)が必要なのか、録画にも制約が多く、高画質化の恩恵は必ずしも歓迎されない。しかもハードの価格は大きく下落しているとはいえ、まだまだ高額なのも確かだ。大画面と小画面の方向性の違いは、格差社会の縮図ともいえる。

 実家のテレビはいまだアナログ。画質はソニーのフラットトリニトロン。まだ数年なのにソニータイマーの影響か、一台はチャンネルを変えるたびに画面はブラックアウト。これで映らなければ「買い換えようか」と思うところ、電源の入れ直しでとりあえず画が映るから困る。ケーブルテレビは地上デジタルに対応しているが、地方局のみ対応(郵政省の政策のため)で、首都圏キー局はアナログ波のまま。ケーブルテレビの恩恵は電波の安定性に留まろうとしている。これならCSもBSも直接受信のほうがよかろうと思う。

 まだまだメディアのデジタル化は混沌としている。HD-DVDとブルーレイの戦いは始まったばかり。プレステ3登場によって、ブルーレイ有利に思えそうだが、出荷台数が予定に足らない事、動因するはずのソフト、ゲームや映画共に物足らないラインナップに留まっている。そして何よりソニーに対する信頼性の低下は痛い。ソニーだけでなく、トヨタでさえ問題を抱える時代。その一つ一つは社会の縮図。そんな中、筆者の心を捉えたモノとは...

遊舟ダイナミック大賞、遊舟競馬賞.「ディープインパクト号」
Deepimpact 競馬の世界、一年間活躍し続ける事の難しさ。まして勝ち続ける事は容易いものではない。早くから世界を見据える競馬が、三冠馬ディープインパクトに課せられた目標だった。春の古馬GIを総ナメし、ライバルは世界とアピール。しかし万全とされた凱旋門賞挑戦は、初めて知った世界の壁、そして禁止薬物検出という後味の悪い結果となってしまった。ただ国内復帰後のディープは、そんな後味の悪さを爽快さに変える快走をみせた。勝ちタイムの平凡さよりも、鮮やかさは記憶に残る。有馬記念での次元の違う末脚は、ラストラン暮れの中山でも炸裂した。

 ディープ、彼に対しその戦績よりも評価したいのは、社会への認知度の高さだろう。オグリキャップ以来、競馬のイメージアップに貢献。実際、圧倒的な強さに興味を持った人も多い。シンザンやシンボリルドルフの堅実さに、ミスターシービーのような魅せる競馬も兼ね備えたディープ。追えば末脚は何処までも伸びていく。サンデーサイレンスの最高傑作、今「日本競馬の結晶」は新たなステージへ。有終の美、続く次なる種牡馬生活に向け、歴史は進んでいく。

 早い引退を惜しむ声は多いが、リスクある海外遠征への決断は評価したい。管理面の見逃しというケチはついたものの、ファンは世界へ近づいた瞬間を味わう事ができた。ファンを喜ばせるのも大事だが、競馬が血統のスポーツである事、次の血に繋がっていく事は重要な責務。五十一億円のシンジケート、千二百万円の種付け料、ビジネスと片付けられそうだが、競走馬が元気なまま引退するのも大事。繁殖牝馬は制限させるが、同じサンデー産駒の先輩たちが結果を残しているゆえ、チャンスは少なくないはず。今年の遊舟ダイナミック大賞は最後の馬券を獲らせてもらった上、これからの応援を込めて、ディープインパクト号に送りたい。

 ダイナミック大賞次点筆頭はちょいテレ。昨年始まったワンセグ放送だったが、パソコンでの利用はチューナー搭載PCや同ケータイだけと条件が限られていた。しかし秋に入って一般のパソコンユーザーのために本機が登場。一時入手不可能になる程の人気となった。ある程度の受信状況にあれば、キレイな放送を手に入れる事ができる。ただ筆者のような地方部では、「ある程度の受信状況」が曲者。しかしマンションなどの高層部での受信はすこぶるよろしい。受信エリアの拡充は待たれるが、外でワンセグは便利。なおちょいテレはデータ放送に未対応。またできれば今後、外で地デジできるチューナーユニットが欲しい。

 同じく次点はニンテンドーDSLite。しばらく静観していたが、ジェットブラック発売時、久しぶりに行列に並んで買った。脳トレ人気に食指を動かされ、「大人のためのDSトレーニング」と共に数ヶ月楽しんだ。長期出張を機会にその後は頓挫したが、シンプルを楽しむ点では、このDSに敵うものはないと思う。スペック重視のSCEとは全く別のベクトルの商品。続く次世代ゲーム機Wii購入層の基礎を作った。任天堂のマーケティング、底力を感じる。2006年内発売とされたワンセグ受信ユニットが待たれる。

 最後に推したいのが、ソニー密閉型インナーイヤーレシーバーMDR-EX90SL。時代はノイズキャンセルに進みつつあるが、こちらは純然たる定価一万円を超える高価なヘッドホンである。しかし単なるドンシャリに収まらない、出荷時一個ずつ仕上げたという音作りは必聴。唯一の弱点はカナル型のような、音漏れ対策が織り込まれていない点。しかし電車内等を除くアウトドアでは、高音質を提供してくれる。所詮聴くのはMP3だけどね。

Dysp0701_1Dysp0702Dysp0703

遊舟映画賞「クラッシュ」
Crash_1 2006年劇場で観た作品は三十一本(プラス一本)。観た時の印象が良くても、味わいの変わってくる作品も少なくない。例えば「ダ・ヴィンチ・コード」は本で楽しんだ直後に観たせいか、頭の中で映画の足らない部分を補完してしまったのだ。当時は面白く思えたのだが、今思うと随分とぞんざいな作りの映画だったと思う。エンターテイメントであっても、けっして心に残るような作品ではない。

 驚きのオスカー受賞となったが、やはり「クラッシュ」は優れた作品だ。同時期「ブロークバック・マウンテン」と比較されたが、けっしてその質は劣らない。今や時代の寵児となったポール・ハギスの仕掛けた毒、そして感動。アメリカの抱えた社会問題を時に冷たく、時に温かく見守った秀作。

 「ホテル・ルワンダ」は米公開からだいぶ遅れての日本上陸だったが、その衝撃ぶりに何も言葉は出なかった。そして何もできない自分に涙が流れた。ただその事実を知る事が大事。もちろん映画ゆえに事実との差は少なくないだろうが、そんな事など考えさせない力強さを秘めた作品。

 事実といえば「ユナイテッド93」を忘れてはならない。時期尚早といわれた9.11をテーマにした作品中、真っ先に公開された。映画的要素、劇的部分は全て廃し、スター俳優もおらず、実際現場に居た者までカメラの前に立った。リアル過ぎるものの、実際の恐怖を強く訴える。

 また「硫黄島からの手紙」も史実路線の一本。「父親たちの星条旗」との連作であったが、日本人である我々にはこちらのほうが重い。単なるタラレバや反戦でなく、また戦場における美学までも排除した。ただそこにある出来事を通して、国と国、すなわち人と人のの死闘を描いている。

 「ミュンヘン」もスピルバーグによる史実もの。スピルバーグらしいトリッキーなエピソードもあるが、「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」と異なり、全体的には彼独特のヒューマニズムが排除され、冷酷な殺し合いを積み重ねた作品となった。そして終わり無き戦いは今も続いている。

 「007/カジノロワイヤル」は久々のボンドシリーズ。「ミュンヘン」でも好演したダニエル・クレイグによるボンドが新しい。しかも原作タイトル、内容、アクション共々、原点回帰した力作。冒頭から走る、走る、釘づけとなるアクションが凄まじい。もちろん007らしい大味感も秘めている。ボンドの冷酷さを形成した大事なエピソード1。

 「スーパーマン・リターンズ」も英雄帰還な一作。オリジナルへのオマージュはオープニングロールに集約。それだけでなく、VFXとの融合も素晴らしい。シャトル救出の場面では手に汗握り、しかもその最後思わず嬉しくなるような演出が待っている。あまりのハマりっぷりに新星ブランドン・ラウスの行く末が気になる。

 邦画では「フラガール」。松雪泰子のなりっぷりとダンスの美しさ、大団円となるセンターのオープンでは圧巻のフラが待っている。また「ウォーターボーイズ」系と侮るなかれ。むしろこの作品は「プリティ・リーグ」であり、主人公たちの持つ背景が描かれてこその作品なのだから。蒼井優も松雪とガップリ四つの演技と踊りを魅せる。

 「武士の一分」は時期的にすべり込みとしよう。藤沢文学の両輪、寡黙で真摯な武士道、純粋な愛情を描いている。キムタクをミスキャストと断ずるのは安易。巨匠山田洋次とのコラボレーションは、今後の彼にとってプラスとなろう。けっして本作のキムタクは悪くなかった。強いて難点を挙げれば、物語の広がりが小品程度だった事か。

 「嫌われ松子の一生」は不幸と原作にないミュージカルの融合。箱庭的なCGもレベルが高く、まるで不幸な「フォレスト・ガンプ」のような作品に仕上がった。一度だけでなく、二度三度と観ていくと、妙に惹かれてしまう物語とストーリーテリングにハマる。海外出張時、再見した際にやっぱり面白かった。

 ワースト1はやはり圧勝で「Vフォー・ヴェンデッタ」に尽きる。哲学的とくれば、ウォシャウスキー兄弟(今では姉弟?かも)による製作。もう彼らの薀蓄(うんちく)はいいだろう。ビジュアル重視、しかも波のない物語に、睡魔よりも怒りを覚えるばかり。坊主になったナタリー・ポートマンの意義とは?無表情なV(あるいは誰が演じても同じV)、彼らの革命には付き合いたくない。早朝から観たオレの時間を返せ!とにかくつまらない一品。

2006年の個人的映画ベストテン
1:「クラッシュ」
2:「ホテル・ルワンダ」
3:3:「ユナイテッド93」
4:「硫黄島からの手紙」
5:「ミュンヘン」
6:「007/カジノロワイヤル」
7:「スーパーマン・リターンズ」
8:「フラガール」
9:「武士の一分」
10:「嫌われ松子の一生」
ワースト1:「Vフォー・ヴェンデッタ」

遊舟テレビ賞「結婚できない男」
Dysp0704 年末の特別番組編成の中、「結婚できない男」の再放送が放送されていた。既に春先の本放送、その時巷の評判は聞いていたが、連日観られる機会に一気に観る事ができた。そしてこれがやっぱり面白かった。独りヤモメの設計士桑野サン(阿部寛)を中心に、その『結婚できない理由』を描いていく。もちろんそれだけでなく、不器用ながら変わっていこうとする主人公の姿が、何とも微笑ましいコメディーだ。

 このドラマの見どころは何といっても、阿部寛のとても濃ーいー演技。独り者特有のこだわりを面白、そして真面目に演じている。時に『オレも解るよ』的なシーンも多く、感情移入してしまう。困った時はやたらネットで検索して解決したり、事件となった客船模型のスクリューの一件は、その一つといえる。ただこのドラマの桑野氏ほど、ボク本人は変人ではないけども。

 この作品が言いたいのは『結婚できない理由』=『変わり者』というわけでなく、結局は相手に心を開くか否かというシンプルなもの。意固地な独り者にとって、最終回で桑野サンのセリフ、「どうしてもっていうなら...」がなかなか言えないもの。人にとってモノへの執着より、最後は人との関わりが重要なのだ。そしてこの作品は大人向け「電車男」の雰囲気も漂う。この作品の中で描かれる機微にはニヤリとさせられる。

 また配役もいい。意中?の人となる女医の夏川結衣やお隣さん国仲涼子とのやり取り、犬のケンちゃん、さらに設計事務所のスタッフ、塚本高史と高島礼子、そしてその高島礼子実生活の旦那様、高知東生演じる建築家金田は箸休め的なキャラクターが可笑しかった。彼のHP上『ちょっと、いい友達ができました』での笑顔もいい(彼はトヨタ2000GTに乗ってるんだよね)。連チャンでこのドラマを楽しんだ分、細かな点に行き届いた作りを楽しむ事ができた。そんなわけでドラマ賞はこの作品にしたい。

講評と展望.
 今年、DVD賞、音楽賞、ゲーム賞を挙げる事ができなかった。その理由として、様々なコンテンツがHD化されつつある今、過渡期ゆえに注目できるものに出会えなかったのが本音だ。その全てに絡む形で登場したのがプレイステーション3。ソニーの浮沈に影響しうるコンテンツ母艦の登場。ライバル、ニンテンドーWiiとの違いが取り沙汰されるが、アプローチの違うゲーム機を同じ土俵に上げるのは論外。ただグリッドコンピューティング等、発売前に大風呂敷を広げていたPS3が、今やブルーレイ再生機としてAVマニアに売れているのは、少々皮肉なのかもしれない。

 相変わらずDSLite、Wiiとヒットを連発、任天堂の足許は磐石。ゲームはハイスペックよりもソフトの中身が命と消費者に訴えかける。もちろんプラスアルファ的な機能、DSならネットブラウザ、Wiiでの写真管理と忘れていない。明石家さんまと松岡修造のCMからも、そうしたWii本体の持つ面白さをアピールしていた。これからはWiiリモコンの優位性を生かしたソフト作り、DS並みのベストセラー登場が待たれる。まだサイは投げられたばかりだ。

 HD化の一方、いまだブラウン管で見る地上波アナログ放送。それが世間の実情だろう。たとえCMで草なぎクンが『ご理解下さい』と訴えようが、ウチの両親のように納得がいかない人も少なくない。HDだろうが、SDだろうが、観ているドラマの本質は変わらない。たとえ皺の数が数えられたとしてもね。これは前述にもある、世間のPS3に対する評価に同じ。そうでなければDSもWiiもここまでの評価は受けないだろう。しかし時代はHDへの道を進んでいる。

 半ば強引に国が施策を進めるより、ユーザーを動因するコンテンツ作りのほうが近道。たった一頭の競走馬の登場により、熱狂的なファンは凱旋門賞を観にフランスへ集い、NHKは地上波放送で生中継を実施。そして世間の人々はディープインパクトの名を覚え、ラストランに熱狂した。この流れはコンテンツ作りの成功例といえる。そして来年、同じ流れの北京オリンピックが開催、相当の盛り上がりをみせるだろう。心底感動を味わうため、五輪に向けてのハード、ソフト両方の準備が2007年の課題となるに違いない。(2007/01/20)

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007/01/17

「死置人VSハングマン」

 昨夜「蘇った闇の死置人」なる番組が放送された。仕置人となれば、池波正太郎原作や必殺シリーズへ行き着くが、これは死置人と呼び少々毛色が違う。ただ冒頭、仕置人のテーマが流れ、元締めが登場。何と元締め、ボスはみのもんた(役名も同じ)なのだ。昼間、テレビ番組の司会をするのは仮の姿。芸能界、スポーツ界の人脈を用い、世にはびこる悪を成敗するというドラマ。いやあまりに破天荒過ぎてバラエティーと化していた。

 物語はオムニバス三話構成、その間をショートコントの如く、お笑いやタレントが必殺技をみせていく。タカアンドトシのツッコミで殺す『欧米か!ファイヤー』は可愛いもの。相変わらずたどたどしい日本語、アグネス・チャンがレザースーツよろしくで頭突きを放つ、『丘の上ひなげしの花100連発』には思わず絶句してしまった。各オムニバスの最後は「おもいっきりテレビ」が始まり、みのもんたのひと言で話が結ばれていく。

 ただこのオムニバス、納得のいかない作りに尽きる。まず被害者はトコトンまで追い込まれ、死に至らしめられる。一方、犯人は逆にトコトン悪で情け容赦ない連中。最終的に被害者の家族が死置人に殺害を依頼。仕置人は得意の必殺技で犯人を容赦なく殺していく。ただ『目には目を、歯に歯を』のハンムラビ法典の如く、『死には死を』とのたまうわりに、死を簡単に扱っている点が目立った。物語を知っての演技なのか、みのもんたの偽善ぶりにも腹が立つ。

 かつて現代版必殺仕事人として「ザ・ハングマン」というドラマがあった。彼らハングマンは悪を制裁しても、死に至らしめない。社会的、精神的にトコトンまで追い詰める。逆にその点がクールで人気を博し、シリーズは続いていった。だがシリーズ末期、今回のみの版死置人のようにバラエティー色に走り、人気は低迷し終了。しかし初期のハングマンは今観ても面白い。中でも黒沢年男(現:年雄)演ずるマイトは最高だ。どうせリメイクするなら「ザ・ハングマン」を薦めたい。

Thehangman


| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/01/01

「武士の一分」を観る

 2007年、謹賀新年。皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。早速ですが、今年一発目の映画は恒例盟友N氏と「武士の一分」を観てきた。藤沢周平原作、山田洋次監督による三作目。主役の三村は盲目の侍、演ずるはあのキムタク。キムタクというと芸達者ながら、本人の色が強く、何を演じてもキムタクになってしまう。三船敏郎や丹波哲郎のように持ち味に変わればいいのだが、これまでそんな雰囲気をキムタクに感じた事はなかった。

 まず安心したのは、本作のキムタクが「キムタクじゃなくてよかった」というようなミスキャストでない点。むしろ若い侍、負い目と葛藤の中、武士の一分を通す姿がハマっていたように思う。特に妻加世役の壇れいとのやり取りは微笑ましく、また夫婦の絆と心地よさを感じ、後の行動への布石となっている。この役を単なる若手俳優が演じていたら、もっと味気ないものであったろう。山田洋次監督のキャスティングには何らか意味があるはずだ。もちろんキムタク自身が妻帯者である点も大きい。

 そんな監督の意図の一つに若い層へのアピールを感じた。その導入口としてキムタクは最適だ。伝えたい古き良き夫婦の形。確かに武士の一分を通す姿、果し合いはあるものの、時代や世代を問わずに感じるテーマ。現代、夫婦の形が変わりつつある中、愛する人のためというシンプルなメッセージが込められている。作品は違うが、「硫黄島からの手紙」に相通じる点でもあった。藤沢周平の作品には必ず、時代劇の枠を超えた何かがあるような気がする。

 この作品もこれまでの「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」と同様、若い二人を芸達者が支える構図。中でも気を吐くのが、徳平役の笹野高史だろう。主役のキムタクを喰うシーンも少なくない。三村、加世と三人での演技の中、時に笑い、また緊張感を提供。三人の関係が密であるからこそ、この物語は成立する。非常にシンプルな物語ながら、見応えがあるのはそういう理由だと思う。おば役の桃井かおり、同僚の赤塚真人も笑いと共に堅実な演技をみせる。ただ作品的には本作より、「たそがれ清兵衛」のバランスの良さが勝っている気がした。秀作ではあるが、残念ながら小品である点は否めない。

 実は近々、縁あって籍を入れる事になっています(実は最近、更新が遅れ気味になっているのもそんな理由)。そんな時、この作品の夫婦像は理想に感じました。お互いを思う気持、大事にしたいです。そして煮物の味、忘れていませんよ。この作品のキムタクのようにね。この作品はご夫婦や恋人同士、世代を問わずオススメしたいです。

Bushinoichibun

| | コメント (1) | トラックバック (3)

2006/12/09

「硫黄島からの手紙」を観る

 今日は「硫黄島からの手紙」を観てきた。死闘といわれる硫黄島の戦いを双方の視点で描こうという初の試み、「父親たちの星条旗」との兄弟篇。前作同様、今回もクリント・イーストウッドの枯れた味わいながら、35日間戦い抜いた武勇伝ではなく、そこにあった壮絶な戦いのみが描かれる。ポール・ハギスによる毒は前作以上に織り込まれ感が強く、兵士たちに過酷な運命をもたらしていく。それは名将と言われた栗林、馬術五輪金メダルを持つ西、そしてその顛末を見届ける西郷らへ冷酷に訪れる。

 先に観た「父親たちの星条旗」米軍側の戦況と違い、本作は硫黄島の日本兵たちがどのような末路を辿ったかという視点に立つ。そこにある彼らの志(こころざし)は気高く、そして懐(ふところ)の広い見識の下に立っている。栗林や西は、アメリカの文化に触れた経験が大きいだろうが、現在の我々の視点からみても彼らの言葉に異論は感じない。また相変わらず旧態依然の軍部、士官の言動に不快感を覚えるが、あくまでそれは時代と大国の潮流ゆえという事を忘れてはならない。

 しかしそうした理想も、すり鉢山が陥落した後から大きく崩れる。いや戦況の悪化を感じた時から、志を貫く事に徹し始めていたのだと思う。それは個人的な戦い、彼らの家族、部下に向けられたものであり、儀礼的に繰り返される言葉(...万歳)の数々が空しい。そしてその空しき言葉の後、信管を抜き絶叫、覚悟と共に消えていく命に目を覆いたくなる。しかし狂気の中、これも現実。いや突きつけられる出来事を直視しなければならない。それにしても激しく痛ましい瞬間だ。

 この映画を鑑賞後思ったのは、愛国心の前にあるべき家族愛の姿。自決した兵士も、栗林も皆、国の家族を思って戦っていた。ラジオから流れる唱歌の向こう、きっと彼らの家族がいたのは言うまでもない。ただ正義の戦争なんかありゃしない。あったとしても、必ず何処かで腐り始める。憲法第九条、改憲が叫ばれる中、もう一度考えてみたい。だが人は同じ過ちを繰り返し続けるのだろう。それが歴史が言い表している。そのジレンマをこの作品を観ていて感じた。我が国の宰相が考える『美しい国』とは...愛国心で駆り立てようが、まず目の前の家族を大事にしたい。

 イーストウッドの思い、キャストやスタッフの思いは「父親たちの星条旗」以上に伝わってくる。もちろん日本を題材にしただけにセリフや背景も伝わりやすい。渡辺謙ら異国の俳優達からこれだけ力強い演技を引き出したイーストウッドは、さすがオスカー監督の貫禄。そこに違和感は感じない。この作品に大和魂を期待した人には悪いが、ボクも同様に国よりも家族を大切にしたいと思う。そしてイーストウッドがこの『日本映画』を撮った志を感じたい作品だ。

Lettersfromiwojima

| | コメント (4) | トラックバック (23)

2006/12/03

「007/カジノ・ロワイヤル」を観る

 左腕にオメガシーマスターを着け、盟友N氏と待望のシリーズ第21作「007/カジノ・ロワイヤル」を観てきた。本作は待望する所以、それは我が思春期において、ガジェットの面白さと大人の男の世界を魅せてくれた事だ。前者はシリーズを通して常に徹底され、後者は初代ショーン・コネリー以降、代を重ねても引き継がれていたスタイルだ。だが近作は荒唐無稽さに拍車が掛かり、シリーズのファンであっても不満を漏らす事は少なくなかった。特に前作では愛車がステルス機能で目の前から消え、見どころだったアクションさえもVFXを用い、スタントマンを必要としなくなった。同時にボンド映画の精神は消えかかっていた。

 だがその懸念は本作が始まって間もなく、杞憂に終わった。禁じ手とも思われるモノクロ映像、だが00昇進のためにボンドの野心はターゲット暗殺に進んでいく。そこでの冷徹さはこれまでのボンド映画に相通じるが、その全てのキッカケである以上、描き方も血生臭い。だがその一方で呆気無さはまさにプロの殺し屋。ダニエル・クレイグはスピルバーグの「ミュンヘン」で似たキャラを演じていたが、その時もボンドに期待を持たせる雰囲気が光った。別にブロンドヘアも東ヨーロッパ的な顔立ちも気になりません。

 だがそんなシリアスな雰囲気から、ボンド映画らしいテンポの引き戻しも忘れていない。それが今回の主題歌とオープニングロールだろう。クリス・コーネルの歌うテーマ(音楽担当デビッド・アーノルドとのコラボ)はテンポ良く、キッチュながら凝ったアニメーションはモーリス・ヴィンダー(あのガンバレルのオープニング等を作った先駆者)以前、以後とも違った雰囲気を醸す。それはこれまでのシリーズとの決別でなく、新シリーズとしての第一歩だと感じた。

 圧巻は今回のボンドはとにかく走る、走る、走る。それゆえ前述の懸念が消えたのも当然といえる。00(あくまでダブルオー、ゼロゼロセブンではない)昇格後の初ミッション、黒人の爆弾魔を追い駆ける姿に観る者はみな釘付けだろう。そこにあれだけ頼っていたVFXの影は無い。いや、あったとしても判らない程、そのテンポとキレに惹き込まれる。これは我々ファンが望んでいた原点回帰、一つの回答といえる。一つのアクションが終わるまでの緊張感は、ボンド映画の醍醐味だからだ。やっとそれが帰ってきた感が強い。ダニエルのフィジカル面の対応も素晴らしい。

 ガジェットも控えめ。音楽もボンドのテーマを多用する事はない。それはシリーズ第一作「ドクター・ノオ」に相通じるもの。そしてそれは「ゴールドフィンガー」以降の物語成功の方程式、定石を踏む事がボンドに非ず、人間ボンドを描いてこそ007なり、そんな意気が伝わってくる。それでいい、だからボクはこの作品を素直に受け入れる事ができた。「ボーン・アイデンティティー」シリーズのようにアクション回帰、そんなハリウッド産のスパイ映画に刺激を受けた本家007だが、最高の形で応えてくれたと思う。版権問題で最新作となったイアン・フレミング原作第一作、だがその機会を最大限に活かした形だろう。

 グラマラスさを求めてきた過去のボンドガールと異なり、今回のエバ・グリーンは知的さが漂い、ここでのエピソードがのちのボンドの冷酷さを形作った事を印象付ける。ボンドにとって恋愛感情は御法度の感が強いが、「女王陛下の007」以来(原作のエピソードとしては本作が先)に心から女性を愛する姿が描かれていた。脚色に「クラッシュ」「ミリオンダラー・ベイビー」のポール・ハギスが参加しているが、彼の毒気が所々に活きているような気もする。

 もちろん007らしい大味さはあるのだが程よい味加減、荒唐無稽さも兼ね備える。あまり好きでない「ゴールデンアイ」のマーティン・キャンベルが再びメガホンをとったが、本作はアクションシーンのカット割りの良さが特にいい。さすがイギリスのテレビシリーズ「特捜班CI-5」を撮った人だ(ただ「ゴールデンアイ」のダメさは音楽エリック・セラによるところが一番大きいのだが)。デビッド・アーノルドのスコアもボンド色は控えめながら、相変わらずジョン・バリー節を継承したオケが光り、ボンド映画のアイデンティティーを形成している。

 全てに挑戦的、野心的な今回の007。これまで何度かの転換期を迎えてきたが、その中でも屈指の作品であり、満足度も高い。これまでのクラシック・ボンドから、本当の意味でのニュー・ボンドに生まれ変わった。既にダニエル・クレイグは次作の契約済。ただ本当の正念場はボンド前日談である本作でなく、実は次作からなのかもしれない。でも期待して間違いない、そんな方向性が見えてくるボンド最新作だ。

追伸.
 ニュースなどで『ソニーに買われたボンド』と揶揄されたが、バイオにソニエリ、ブルーレイとこれでもかとソニー製品が登場する。特に諜報活動時にバイオノートのキーを叩くボンドの姿に時代を感じてしまう。ただ『ソニーに買われたボンド』でなく、『ソニーを選んだボンド』と呼ばれて欲しい。ちなみに劇中バイオのバッテリーは発火する事が無かったし、PS3も登場しない。ちなみにこのブログはバイオノートで書かれています。
James Bond will return...

Casinoroyale

| | コメント (5) | トラックバック (23)

2006/11/12

「トンマッコルへようこそ」を観る(ネタバレあり)

 昨夜、盟友N氏と「トンマッコルへようこそ」を観てきた。つい劇場窓口で「ドンマッコル...」と間違えてしまった。後で判った事だが、トンマッコルとは『子どものように純粋』という意味だそうだ。この作品の背景、そして雰囲気はポスターから伝わってきていたが、特に「オールド・ボーイ」のカン・ヘジョンのお惚けな表情が印象的であった。盟友N氏の観たい作品にあった事もあり、遅ればせながら良い機会と一緒に観る事となった。

 冒頭からファンタジー色の強い作りの作品である。しかしそれが添え物でなく、終始一貫しているものだと終わってみてわかる。根底に流れる朝鮮戦争、朝鮮半島の南北対立。しかしその発端よりも、彼ら民族の原点に帰るような思いが込められている。かつて「JSA」が同じアプローチで作られていたが、サスペンス色の裏の出来事として織り込まれていた。今回も一つ屋根の下的に南北の人々が集い、その中の葛藤と交流がコミカルに描かれていく。しかしシリアス色は薄く、本作では笑みのこぼれるようなシーンが多い。

 その所以はトンマッコルという村にある。冒頭で述べたが、この村は純粋な人々の集まり。特に子供たち、そしてカン・ヘジョン演じるヨイルの表情がいい。まるでアーミッシュのような時代錯誤な人々だが、南北兵士たちが心を開いていく気持がよくわかる。そしてチョン・ジェヨン演じる北の将校と村の長老のやり取りが興味深かった。
将校「どうしてこのように村を治めることが出来るのですか?」
長老「たくさん食べさせる事だよ」

まさに北の指導者へのアンチテーゼなひと言である。

 この作品におけるアメリカは連合軍というより、侵略者として描かれている。横暴な米兵によって、長老が岩に叩きつけられる姿が痛い。ただ事の発端のスミス大尉が、間もなく村に染まっていく姿を見れば、『まずは相手を知ってこそ』ではという投げ掛けも感じられる。それは南北の立場にもつながるわけで、一つ屋根の下に住めば、一緒に飯も食べるし、クソもする。イデオロギーなんてクソ喰らえなんて、そんな気持にもなってくる。

 戦争を描きながら甘々な流れは、好き嫌いが分かれると思う。しかし一貫したファンタジー色に製作サイドの志が表れているわけで、トンマッコルはそんな彼らの理想郷なのかもしれない。しかも全く血が流れない作品ではない。流れる血が少ないからこそ伝わるものもある。そしておとりとなって村を守る彼ら、爆撃に包まれる姿は何処か神々しい。ご存知聴けば判る久石譲の音楽、俳優陣の熱のこもった演技に最後まで見逃せない作品となった。

Youkoso

| | コメント (4) | トラックバック (8)

2006/11/04

「父親たちの星条旗」を観る

 今日はクリント・イーストウッド監督作品「父親たちの星条旗」を観てきた。ご存知の通り、あのスピルバーグが製作、イーストウッドと共同で硫黄島二部作として描かれる第一弾だ。本作、ほとんどが日本人キャストで描かれる第二弾「硫黄島からの手紙」と、ハリウッド的にはけっして興行的、華やかさに富んだ作品とはいえない。だが作品を冷静に見つめるイーストウッドには不可欠な要素、そしてスピルバーグには自ら冷酷に突き放して描いた「ミュンヘン」同様のテイストも感じる。

 本作のポスターにもなっている、見覚えのある星条旗掲揚。確かにそこに秘められたドラマがこの作品の筋である。しかしイーストウッドは反戦だけを求めず、そこに兵隊たちの志(こころざし)を映していく。それは戦争に参加する志でなく、その後の志の変化にある。それだけに英雄として祭り上げられる三人の帰還兵たちは滑稽で悲しい。そこには立志する野望、民族の壁、それらを冷静に見守る目があった。その一人ブラッドリーの息子の目を通して、徐々に運命の時に近づき、その志は親子の絆を経て昇華されていく。

 序盤、数多くの登場人物が登場するが、ほとんどが戦渦に消える(親切なのか、やたら登場人物らに名前[日本語字幕のみ]が出るが、必要性を感じない)。その凄まじさはあの「プライベート・ライアン」の冒頭シーンに勝るとも劣らない。大々的に展開される硫黄島攻略は、三日という制限されたものであった。そして一枚の写真が国を動かす、だが偶然の産物であった一枚の写真、そしてその裏での真実。やがて敵味方の見境が無くなった時、無駄に命は失われる。

 そんな死んでいった彼らの志を背負い、三人の帰還兵たちは国の政策に巻き込まれていく。国の客寄せパンダと化した三人の末路、硫黄島をめぐる米兵たちの運命に、ポール・ハギスらしい脚色が垣間見える。そして一ヶ月以上に渡る激戦が生んだ兵士の志は、果たして活かされたのかと問いかける。ただ戦争を描いた作品として異色の存在となろう。まして直接的な愛国心に溢れた本国アメリカでの評価はどうなのだろうか。むしろアメリカから生まれたこの作品の存在意義を高く評価したい。

 なおこの作品では日本兵の心情は一切描かれないが、イーストウッドは「硫黄島からの手紙」との連作という初の試みでその回答に応える。渡辺謙以外は日本ならまだしも海外的にほとんど無名。そんな全編日本語の作品を彼がどのように手掛けるか。外国人が日本俳優を演出するケースは、ミュージカルや舞台で少なくないが、御大ならきっとこなしてくれるはず。二部作を結ぶ、その仕上がりに期待したい。

061104

| | コメント (6) | トラックバック (15)

2006/10/13

ディープインパクト引退とガイアの夜明け「知られざる競走馬ビジネス」を観る

 大きく動いた今週の競馬関連ニュース。金子真人オーナーの意向で、ディープインパクトの年内引退が決まった。競馬ファンにとっては青天の霹靂といった感じ。それは管理する池江泰郎調教師、騎乗する武豊騎手にとっても同じ、残念というか、無念に近いコメントが印象的だった。世界を勝てる馬など滅多に手掛けられるものではない。まして凱旋門賞での惜敗の後、次こそは海外GI制覇という夢は、次の産駒につながれる形となった。

 ちょうど先日の「ガイアの夜明け」では競馬ビジネスをテーマに扱っていた。ちょっと競馬をかじったファンならば、『馬主は好きなだけではやっていけない』とわかっている話であっても、実情を改めて伝えられると解りやすい。ましてあの関口房朗オーナーの口から、『レースだけでは儲からない』と言われると、一見華やかに思える世界も泥臭くなってくる。今や馬主はダービーを勝つためでなく、優れた種牡馬を発掘するためなのである。

 セレクトセール、セリもその一つ、キンコンカン(金子、近藤[アドマイヤ]、関口[フサイチ])の日本三大馬主に、ドバイ[アラブ首長国連邦]シェイク・モハメドのダーレージャパンという構図。特に金子氏とダーレーが、クロフネの弟を競り合うところは迫力があった。高橋力代表がアゴを下げれば、競る価格は上がっていく。気がつけば三億円。クロフネの馬主であった金子氏は降り、ダーレージャパンが競り勝った。だがドバイのオイルマネーにとっては容易いものなのかもしれない。

 しかしダーレーの馬は中央競馬で走れない。JRAが馬主申請を却下しているからである。これは日本の馬主と生産者たちを擁護する意味もある。既にJRAは、外国の馬に日本のGI競走を解放する政策をとっているが、完全解放は更なる問題(生産者撤退、賞金の海外流出)を引き起こす事を懸念しているのだ。ダーレー側は徹底抗戦の構え。裁判に打って出れば、客観的な見方だがJRAは負けるだろう。だって裁判に勝つ事さえ、オイルマネーにとっては容易いものなのかもしれないから。

 さて、ディープインパクトの存在は国際レーティングランキングでも判る。2006年8月のランキングではハリケーンランに続く2位。その逆転の場が凱旋門賞だった。しかし上位馬を退けながら伸びを欠いたディープの走りを見て、ダーレーの高橋代表は『企業秘密』と購買意欲を胸の内に留めている。世界の種牡馬品評会、いや記録会ともいうべき凱旋門賞の後、オイルマネーは動いたのだろうか。一部では、今年ドバイの競走を勝った、金子氏のユートピア号をダーレーが買ったのはその伏線と言われている。

 そうした動きを考えると、金子オーナーは今後の海外遠征のリスク、正直言うと種牡馬価値を下げかねないパフォーマンスを嫌ったのかもしれない。名より実を採ったのだろう。経済動物であるサラブレッド、しかも引退後に51億円のシンジケートとなれば、来年の海外挑戦を遥かに上回る実が待っている。前述の『レースだけでは儲からない』馬主の立場を考えれば、これを裏付ける。また一方で調教師、騎手の夢に挑戦できなくなった無念さは強く伝わってくるが、仕方あるまい。残る天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念の三戦のうち、あと何戦になるか判らないが、有終の美を飾れるか、注目したい。

061013

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/10/07

「フラガール」を観る(ネタバレあり)

 今日は盟友N氏とシネマサンシャイン沼津で「フラガール」を観てきた。N氏が注目していたのは、早くも米アカデミー賞の外国語部門の日本代表に決まった事(まだノミネートされたわけではない)だが、そればかりでなく常磐ハワイアンセンターにまつわる実話に惹かれていた。ただ常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)は行った事が無い。また特別思い入れがある訳ではないが、幼少期から名前を刷り込まれてきた場所であった。

 昭和40年という冒頭のテロップ、そしてややあせた色作りの画面でタイムスリップ。福島弁まる出しの蒼井優が何とも可愛い。彼女が演じる紀美子が炭鉱の時代に自らの夢を語り、偶然に出会ったフラと共に成長していく。そしてそのフラを教えるのが、松雪泰子演じる平山まどか。モガとでも言えばよいか、炭鉱の町に来た彼女はまるで異星人のように映るが、ひとたび踊り出せば紀美子たちを魅了する力を持っている。ここでの踊りが町を一つにする大きな伏線となり、同じ踊りを踊る紀美子に反対していた母の心を動かした。演技だけでなく、そんな蒼井優の踊りの変化も大きな見どころである。

 この作品に惹かれる点は、まず人間ドラマである事だろう。ちょっと気になったが、ダンサーの一人であるしずちゃんもけっしてキワもの扱いされていないし、むしろ素朴さが炭鉱の町に似合う。またそれだけでなく、ダンサーたちのドラマが見えてくるようだ。時代に翻弄され、それぞれに様々な事情(子持ちの女性まで)を持ち、フラで一つになる。時代が違うが、個人的には「プリティ・リーグ」と似た雰囲気を感じた。松雪とトム・ハンクスの演じた監督って何処か似ている。松雪は自らの役に平山まどかを引き込み、踊りだけでなくダンサーたちと村の人々、そして作品を引っ張っていく。

 そしてこの作品のもう一つの魅力、それは若手からベテランまで、一つの物語を紡いでいる事。もう一人の牽引者である岸部一徳、ビシッと画面が締まる富司純子、そしてあのトヨエツがモモヒキ姿まで見せ、炭鉱夫を演じている。一見ミスキャストに思えるが、蒼井優の兄役となるとしっくりくる。松雪を守る、ツルハシを抱えた姿も凛々しい。それぞれに適材適所、ただトリビアの高橋克実が、笑いでなくシリアスなのは意外だった。いや、この作品自体、本当はシリアスなサクセスストーリーなのである。李相日監督の作品は初めて観たが、役者を生かした巧い演出に感じた。

 この作品の描く時代も興味深かった。いつの時代もファイトの素は「リポビタンD」だし、田んぼの中を走る車、スカイラインも懐かしい。キャスト、エキストラのファッション、建物の雰囲気、一つ残らずタイムスリップ。さりげなく使われているVFXも効果的だった。しかし皆で集めたストーブの数に、果たして一酸化炭素中毒にならないのだろうかと野暮な心配をしてしまった。

 とにかくクライマックスでのフラダンスは圧巻だ。蒼井優のソロ、皆で踊るパートに刻まれるビートが心地いい。音楽映画の側面(ジェイク・シマブクロの音楽もいい)、ここでの達成感は「ウォーターボーイズ」に相通じるものがあるが、ここにある感動は勝るともけっして劣らない。それはフラダンスを終えたダンサー一人一人の表情が物語っている。またこの作品に込められたフラの意味が随所に効いていた。特にホームでのやり取りは、思わず涙がこみ上げてきた名シーン。今年の邦画でも出色の作品だろう。

Fulagirl

| | コメント (9) | トラックバック (27)

2006/10/01

「グエムル -漢江の怪物-」を観る(ネタバレあり)

 水曜の夜、巷で評判の韓国映画「グエムル -漢江の怪物-」を観てきた。CM、予告編等でチラリとクリーチャーを登場させ、好奇心を煽っている反面、一見怪獣映画と関連のない、ポン・ジュノ監督とソン・ガンホ主演による作品という事も興味深い。それだけに期待を込めてこの作品に臨んだのだが、かなりの肩透かしを喰らった気がする。この作品は果たして、怪獣映画なのだろうか?映画が始まって二時間、その疑問はエンドロールで氷解した。

 実はこの作品はパニック映画だったのだ。ボクはハングルが判らないので原題は知らない。しかし英題には「THE HOST」とあり、それを見た瞬間に「あぁー」とため息が漏れた。意味は『ウイルスの宿主』、あくまで主役はソン・ガンホなのだ。『グエムル』=怪物は物語のきっかけであり、ソン・ガンホ演じるカンドゥの扱いこそが、監督がこの作品で描きたかった事なのだと感じた。もちろんキャスティング的に至極当然ではある。ただ細菌という見えない敵との戦いという作品のキモ(結果はデマな上、無害。いや人の作る噂、情報こそが敵という例えもあるかも)ではあったのだが、その怖さがあまり伝わってこなかった。

 その理由として、可視化された怪物に目がいく事が、逆効果だったように思う。怪物に娘が奪われるというプロット、派手に人を襲うビジュアルを狙ったのだろうが、むしろこの映画に怪物は必要なかった。またこの監督ならば、怪物無くとも別の形で、親娘愛を成立させる物語は作れたように思う。ならば登場させるクリーチャーが大事だったのだが、これも物足らない。またこの怪物に対しても、全く悲哀を感じないのもマイナス。ただ本能の下、人を襲い、やがてその肉を喰らう事を覚えていく描写は興味深かった。でも高度になったCGとはいえ、その使いこなしは難しいと思う。シーンによっては違和感が残った。

 興味深かったのは監督の視点。国や世界を巻き込んで、人々が群がる姿は滑稽。僅かな情報で膨れていくパニックを皮肉っている。意味ありげに検査される主人公、ただ頭にドリルを入れられるところは、ちょっとやり過ぎかもしれない。ましてあれだけ振り回されたカンドゥに残されたものを思うと、その末路は悲しい。日常で始まって、日常で終わる中、主人公の変化は髪の毛の色に留まらない。ただこの手のパニック映画は『自分にはハマらないなぁ』が鑑賞後の印象だった。

Thehost

| | コメント (4) | トラックバック (10)

2006/09/26

さらばタイガー田中、丹波哲郎さん逝く

 昨日の夜はショッキングだった。あの丹波哲郎さんが亡くなったからだ。一昨年頃か、特番の「時空警察」のボスとして登場。その時に顔がこけ、劇ヤセした姿が印象に残っている。またその後、リマスター版「砂の器」の劇場公開、舞台挨拶にも登場した丹波さん。やはり体の具合が心配される印象は拭えなかった。死因は肺炎という事、さらに84才という高齢にあったかと思うが、非常に残念に思う。

 丹波さんに対する印象は、世代によって大きく違うと思う。年配の人には「キイハンター」「三匹の侍」、ボクら団塊ジュニアには「Gメン'75」、さらに若い世代には霊界の宣伝マン、映画「大霊界」等が頭に浮かぶ。中でも「Gメン'75」の黒木警視正は強烈だ。演じた丹波さん自身、プライベートでスピード違反か何かで警官に呼び止められた際、ホントか嘘かひたすら「(私は)Gメンだ」と白を切り続けたという逸話が残っている。まさにボスというと丹波さんか、石原裕次郎くらいしかハマる俳優はいないだろう。

 そんな丹波さんといえば、ボク的には『タイガー田中』。007シリーズの第5作、「007は二度死ぬ」で日本のスパイエージェント役として登場した。「世の中ジェットだよ、ボンド君」とジャイロジェットピストルを片手にボンドを諭すタイガー。長身、そして説得力あるボス声。しかも堪能な英語力を駆使し、ショーン・コネリーを相手に活躍。幼少期、TBS「月曜ロードショー」を観るたびに、丹波さんのセリフにしびれたものだ。もちろん日本語吹き替えではあるが。

 さて丹波さん、霊界の宣伝マンとして活躍してきただけに、死後の世界でも戸惑う事は無かろう。しかし独特の丹波節が聞けないのは寂しい。皆が真似した丹波哲郎。若かりし竹中直人が、よく真似してから出たひと言「タンバリン、しゃーん」。11月末発売の「007 アルティメット・コレクション BOX」を前に、もう一度手元のDVD「007は二度死ぬ」で丹波さんを偲びたい。謹んでご冥福お祈り致します。

060926
  合言葉は「I LOVE YOU」(007は二度死ぬより)

| | コメント (3) | トラックバック (3)

2006/09/16

「出口のない海」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今夜はシネマサンシャイン沼津のレイトショーにて、横山秀夫原作の「出口のない海」を観てきた。原作は未読だが、同じ横山氏の「クライマーズ・ハイ」のように史実をフィクションで描いた作品だ。史実とは第二次世界大戦、『回天』と名付けられた特攻魚雷の存在。つい特攻というと神風特攻隊が頭に浮かんでくるが、この作品では同じ過酷な運命を背負った、海の特攻兵器が描かれている。『回天』はその死を代償に、人の操縦で敵艦隊にダメージを与える必中の最終兵器というわけだ。

 しかし"必中"とはいいつつ、その操縦は複雑を極めていた。訓練で操縦者は木で作られた筐体を操作する中、混乱に陥ってしまう程。複雑な手順、融爆の危険、それ以上に敵艦船へ特攻を成功させる難しさ。無事に操縦する『回天』を発進、いや発射させる事すら容易くないのだ。そして訓練の果て、任務に赴く彼ら。艦長から発射を言い渡される瞬間、操縦者の心中を様々な思いが駆け巡っていく。

 この作品は『回天』という存在だけを描くのではなく、そこに命を捧げた若者の思いも訴えかける。おそらく原作のフィクション部分となるところだが、そこは実際のエピソードが散りばめられているのだろう。野球に情熱を注いだ主人公が魔球完成に思いを寄せる姿、それだけでなく若者たちの様々な夢が虚しく消えていった。彼らの思いに反し、軍神の数は増えていく。それだけでなく、軍神になる事にしか活路を見出せなかった悲劇も描かれる。

 甲子園を優勝、しかも大学野球を沸かせた主人公。自分の投じる球に自信を持つプライドの高さが、そんな彼を演じた梨園のプリンスたる市川海老蔵に重なる。世間の噂から高飛車な印象のあった海老蔵だったが、並木浩二の心境の変化をうまく表し好演。特に出撃を阻まれた出来事を挟み、吐露する本心が痛い。回天の中で静かに眠る表情が美しくも悲しく映る。そして投じられた「魔球達成」と書かれたボールは、主人公の夢が今に甦った瞬間かもしれない。

 主人公は父の言葉を介し、戦争の大義、国同士が戦う事に対し、「お前は敵を見たことがあるか」と諭す。この作品の語りたい反戦は、消えていく若者たち一人一人の夢と笑顔の数だけ大きい。泣きを誘った「半落ち」と異なり、佐々部清監督の抑えた演出が光る。改憲、憲法第九条の存在が問われる中、この作品の頑なにストレートな主張は貴重だと思う。派手な大作ではないが、命を懸けた青春、緊張感が伝わる佳作である。

追伸.
 この作品を鑑賞にあたり、その真後ろの席に場違いな大家族が陣取った。小さい子供には不向きなテーマ、しかも夜遅いレイトショー(20:45スタート)なのに、赤ん坊は泣かすし、子供はゲームを音を立てて始め最悪。すかさず注意したが、一応父親はゲームを取り上げ沈黙、母親は赤ん坊をなだめて右往左往。いや正確に言うと、階段を上り下りし、場外へ出たり戻ったり落ち着かない。それでいて謝るひと言は無い。連れてこられた子供に罪は無いが、この夫婦のあまりの常識の無さに呆れた始末。そんな最中の鑑賞ゆえ、感動が薄れた可能性がある事を記しておきたい。また劇場も赤ん坊を入場禁止にしたり、時間帯を考えた入場と配慮が欲しい。

060916

| | コメント (7) | トラックバック (22)

2006/09/12

エヴァ再々起動

 あの「新世紀エヴァンゲリオン」が再製作される。正確に言うと、最終話を中心に全体的な手直しがなされるとの事。特に劇場版で描かれた最終、第26話について練り直されるらしい。庵野監督曰く「ほとぼりが冷めるのを待った」というが、昨年以降、パチスロ機で火がついた新たな客層、そしていまだに休火山化し燻っているファン層を見逃す手はない。すなわち巨大市場が眠り、今こそ興行的にビジネスチャンスでもある。重い腰を動かしたのは、そうした要求に応えざる得ない状況なのだろう。その先にはブルーレイBoxも見据えている。

 今回の再製作に「結末の解り難さ」を挙げているが、本当にそうだろうか。前回の映画化の時は、テレビ版では製作事情により主人公達の解放で終わった、人類保管計画を描く事に意義があった。実際、テレビ版に無かった、人類を個から解放し、一体化した世界が描かれていった。まさに不可侵、心の壁、ATフィールドの崩壊された世界である。そして現実を介在させ、またアニメという素材を対極に、観ている者に心の認識と現実への回帰を促した。

 すなわち劇場版ラストのセリフ「気持ち悪い」は、非現実に対する決別と取る事ができる。そんな意味深な言葉、どう取るかは観客に委ねられたわけだが、わからないとおっしゃる「アンタ馬鹿?」な人たちのために今回は再製作という事、それが大きな目的。しかし二つのエンディングでわからない、納得のいかない人たちに、第三のエンディングは福音をもたらすのだろうか。ボクはけっしてそうは思わない。だって二度ある事は三度あるのだから。

 エヴァ再々起動というと、今回の再製作に限らず、多くの話題が出ている。その中で最も大きなものは海外での実写化。OVA程度なら、かつてガンダムネタで「G-セイバー」なんかがあったりしたけど、あんなものじゃ誰も納得しないだろう。そしてバンダイネタなら超合金魂ではなく、今度は魂スペックなる可動戦士を出してくる予定。そして個人的な真打ちは、なんとダイヤブロックで初号機が登場だ。もうこうなれば何でもアリ。創造と造形に限界は無いのだ。

060912
ダイヤブロック 新世紀エヴァンゲリオン初号機

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006/09/09

「X-MEN:ファイナル ディシジョン」を観る(ネタバレあり)

 今日は「X-MEN:ファイナル ディシジョン」を観てきた。観ていて『何でかなぁ~』という感じで、個人的には最終章を飾る作品とはならなかった。いつからこの作品はVFXと役者だけに頼る作品となったのだろうか。物語も前々作、前作のキャラクター造詣があってやっと成立した程度。ヒュー・ジャックマンや相変わらずの存在感、イアン・マッケランが居なければ、お間抜けなシリーズ末期の「猿の惑星」のような作品になっていたかもしれない。全米では三作中、最大のヒットらしいが、その失速ぶりも三作中トップだったような気がする。

 まず本作の弱点は脚本だったように思う。シリーズを通して提示されてきたミュータントの悲哀は、突然の登場となる特効薬『キュア』、超能力ショーと共に消し飛んでしまった。それだけでなく、その悲哀を代表するグラサン野郎サイクロプスの死は呆気ないし(いや死して「スーパーマン リターンズ」に転生したのかもと妄想)、それ以外のキャラの悲哀もとってつけた程度。特にジーンの悲哀はこの作品の核となるべきだったが、あまりにも浅過ぎる。クライマックスにおける感情移入は空振りに終わる事になった。

 せっかくの新キャラ登場も全く生かせていない。『キュア』の核となる少年の存在、開発者と息子の葛藤は単なるシンボルに過ぎず。本当はクライマックスの舞台、アルカトラズ島が、大友克洋の「AKIRA」でいうオリンピックスタジアムとなるべきだったが、最後はジーンの暴走だけに終わった。そう、ジーンを「AKIRA」の鉄男みたいすればよかったが、ビジュアル的な想像力の無さは否めない(吊り橋を捻じ曲げるマグニートーは結構笑えたのだが)。これと比べるとアニメとはいえ、「AKIRA」は今観ても凄い。

 ブレッド・ラトナーの監督としての存在は、まるでかつてのジョエル・シューマッカーのように感じた。彼らのような大作請負人的な監督にとって、最低そこそこしっかり出来た脚本は必要なのである。彼の手掛けたレクターシリーズのラスト「レッド・ドラゴン」は、「羊たちの沈黙」テッド・タリーの巧みな脚本に助けられていた。そしてあの作品でも、彼の演出はストーリーテリングで手一杯となり、キャラクターの造詣は浅かった事を思い出す。

 やはり本シリーズ、コミックの名トランスレーター、ブライアン・シンガーで終われなかったこのシリーズの末路を不幸に思う。いやブライアンの「ファイナル ディシジョン」は正しかったのかもしれない(「スーパーマン リターンズ」の後に撮りたい意向はあったらしいが...今も様々な噂が駆け巡っている)。そして原題につけられた「The Last Stand」、実は映画会社の『最後の抵抗』をも言い表しているのだ。悪名高きFOXのシリーズコンテンツ作りは、「エイリアン3」の経緯のように混迷を極め、物語の最後で続編を作りたいという、彼ら本当の『最後の抵抗』を示すのである。

060909
  さらばグラサン野郎!ジーン、それはないだろう(悲)

| | コメント (11) | トラックバック (36)

2006/08/20

「スーパーマン リターンズ」を観る(ネタバレあり)

 今日は盟友N氏と共にブライアン・シンガーによる新生「スーパーマン リターンズ」を観てきた。シンガーというと自らもアメコミフリークであり、「X-MEN」の映画化を成功させた実績を持つ。そんな彼が紆余曲折、様々な製作陣を経ての大抜擢。「X-MEN3」を泣く泣く蹴って、今回「スーパーマン」を復活させる事になった。「X-MEN」では映画としてのリアリティーに加え、深く掘り下げたキャラクターの造詣が目立っていたが、「スーパーマン」ではどのような手腕をみせるか、俄然注目された。

 オープニング、イントロダクションからオリジナルテーマ曲が流れると、思わず涙が出そうになった。多少リファインされているとはいえ、流れるスタッフロールにジョン・ウイリアムズのスコアと、まさにリチャード・ドナー監督による劇場第一作オープニングそのものなのである。シンガーの旧作に対するリスペクトは漏れ聞いていたが、この徹底ぶりはとても嬉しい。オープニングに限らず、いくつかのシーンでそう思わせるところも多かった。

 その一つがマーロン・ブランドー演じるスーパーマンの父が、リメイクの壁を乗り越えて登場した事だろう。シンガーはむしろ、リメイクというより旧作を埋めるエピソードとして存在させている。そしてその存在こそが本作と連結し、大きなテーマである父性を描いているのだ。さらにシンガーは物語に大胆なメスを入れ、ロイス・レーンの立場を変えた。フィアンセの存在、そして...スーパーマン・サーガに新たなベクトルを与えている。だがその精神は旧作を通じて全く変わっていない。

 先日観た「ユナイテッド93」と同じアメリカを舞台にしながら、180度違った描き方である。飛行機の負の側面を描いた「ユナイテッド93」、片やスーパーマンは「統計では最も安全な乗り物です」と言い放つ(オリジナルにも同じセリフ)。そこに大きな違いは神の在り方である。「ユナイテッド93」はアラー、そしてキリストに奇跡と信仰を祈るが、スーパーマンの劇中での人々にとって、彼こそが絶対であり、神なのだ。そして本作、ロイス・レーンはマグダラのマリアなのかもしれない。ただスーパーマンとて、けっして世界の紛争を完全に抑える存在ではないのだが...

 もちろんVFXにも興奮した。最初に遭遇するシャトル事故では、スーパーマンがまるで「超時空要塞マクロス」の板野サーカスばりの飛行シーンを魅せる。そこから続く映像の緩急も良い。そして観客からの喝采を受け、球場に降り立つ姿はまさに「スーパーマン リターンズ」なのである。惜しむらくはクライマックスが大味になってしまう点だが、それはこのシリーズ特有のもの。スーパーマンが超人であるがゆえに生じる物語の弱点である。

 ブランドン・ルースのスーパーマンは、クリストファー・リーブのインパクトに敵わないが、それでも彼なりの存在感がある。フィジカル面はもちろん満点だ。ケイト・ボスワースのルイスは、マーゴット・キダーより断然いい。ただ当時としても、キダーはあまり美人では無かったけどね。またケイトのルイス、タバコを手にするも喫煙しなかったのは、如何にも今の事情を語っております。ケビン・スペイシーのレックスは好敵手として充分。スーパーマンを痛めつける姿は憎たらしさ満点。そして「X-MEN」のグラサン野郎ことジェイムズ・マーズデンは、「X-MEN」「君に読む物語」に続き、またまたツライ立場ですなぁ。シンガーによる適材適所であります。

 間違いなくボクにはこの新生「スーパーマン リターンズ」は面白かった。エンディングでのオリジナルテーマ曲再びでも、聴いてて思わず泣きそうになった位だ。ただ世代的に今の子たちの目にはどう映るだろうか。スーパーマンの存在が滑稽に見えるかもしれない。スーパーヒーローに慣れてしまっているからね。でもその原点こそこの「スーパーマン」であり、単なる超人ヒーローでない深みを、ぜひ本作から感じ取って欲しいと思います。

060820

| | コメント (10) | トラックバック (28)

2006/08/19

ガンダムか、007か、そこが問題だ!

 年末にかけて、DVDはビッグタイトルが続きます。すでに次世代のHD-DVDが出始め、ブルーレイが待機する中、あえてDVDを買う理由は非常に微妙。もちろん遥かに超える高解像度の映像は手に入れたいが、それはマニアの領域だ。「あんた、マニアだろう!」とツッコミが入れられそうだが、DVD黎明期も手を出さなかったボクとしては、今はまだ成熟を待つしかない。プレーヤーも無いしね。それに昔と違って、DVDレベルの画質なら、今ではレンタルできるわけだからね。中継ぎとして充分です。

 年末注目したいビッグタイトルの一つはテレビ版「機動戦士ガンダム」。以前リリースされた映画版は『特別版』と銘打って、アフレコ(一部キャスト入替)と効果音を新録音にして、ファンからは総スカン。今回のテレビ版DVDのリリースでは、いまだ詳細のアナウンスが無いが、さすが株価を気にするバンダイビジュアル、同じ轍は踏むまい。しかしボックス1、2(2は来春発売)を合わせて定価ベースで七万円を超える価格。告知に一瞬、食指が動いた事だけは確かだ。

 それよりも目から鱗は「007 アルティメット・コレクション BOX」である。もう007のリマスターリリースは懲り懲りと思ったところ、正直ヤラレマシタ。それこそただ一点!
<ポイント>
●全タイトル 日本語吹替付!これまで吹替が付いていなかった16タイトルの日本語吹替えを新たに収録!(若山弦蔵、広川太一郎、他)[Amazon.co.jp:商品の説明 メーカー/レーベルより]

 コネリー・ボンドに、あの若山弦蔵の声が重なるのですよ。インディ・ジョーンズのDVD-BOXでさえも成し得なかったベストマッチング(何故だぁ?!テレビは若山氏なのに)。幼少期、月曜ロードショーを観て過ごしたボクにとって、何物にも代えられません。当時、荻昌弘氏の解説で年一回は放送されていた気がします。やっぱ刷り込みのせいか、「007は二度死ぬ」は若山=コネリー・ボンドなのです。さらに広川=ムーア・ボンドもパッケージソフト初登場。大味で物足らないムーア・ボンドも、広川太一郎の軽快な声で乗り越えられます。これはボンドファンとしても、吹替えマニアとしても絶対買いです。なるべく一部字幕だけは勘弁して下さいよ。

 という事で、ガンダムは見(けん)、007は買いという判断となりました。とはいえ、定価ベースではガンダムに負けず劣らずの六万五千円。しばらくは007預金に勤しみたいと思います。それと劇場版ファーストガンダム、そろそろオリジナル音声でリリースし直して下さいな。来夏頃が商売時ですよ、バンダイビジュアルさん。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2006/08/12

「ユナイテッド93」を観る

 今日は朝からシネマサンシャイン沼津で「ユナイテッド93」を観てきた。アニメや子供向け作品という夏休み興行の中、あの9.11を目前にして日本公開。そうこの作品は、2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロを題材としている。タイトルの「ユナイテッド93」とは、ユナイテッド航空93便の事を示したものだ。ハイジャックされた4機の旅客機の中、最後にその末路を辿った機である。

 9.11というと思い出すのは世界貿易センタービルへの旅客機激突、そしてその崩壊していく映像だろう。当時、ニュースステーションを観ていて、突然飛び込んできた映像に恐怖を感じつつも、何処か対岸の火事的に、現実として捉えるのに時間を要したのを思い出す。ハリウッド大作を彷彿とさせる映像に麻痺してしまっていたのだ。そして次々と飛び込む情報、死者の数、被害状況がやっと現実に引き戻していった。

 この「ユナイテッド93」は、10月日本公開の「ワールド・トレード・センター」他、ハリウッドが9.11を描く事になった一連の作品の一つ。そして本作を観る前は悪く言えば、アメリカの正義とハリウッドの貪欲な面が作らせたと思っていたのだが、エンターテイメント性を排除され、綿密に現実を追うよう物語は構成(脚本は監督自身が手掛けている)、我々の知る末路に向かっていた。彼らの向かう先とは『死』である。そして93便だけがテロリストの目的を阻止していた事実を思い出したのだった。あれから五年、自分の中で9.11が風化しつつあるのを知った瞬間でもある。

 当時の混乱は冒頭で描かれる管制、軍部のやり取りから汲み取れる。最新鋭の情報網を持ってしても、CNNの伝える映像に勝るものはなかった。交信を続ける管制室、四千を超える機影を追うレーダー網から一つ、そしてまた一つと連絡が途絶えていく。そして間もなく世界貿易センタービルから煙が立ち昇った。そうした出来事の一つ一つが現実に沿って描かれていく。

 それは93便の末路についても同じ。機内電話を介し、家族と最後の通話は観客に強く現実を突きつける。もちろん墜落に至る経過は想像の域を出ないが、テロリストの握る操縦桿に示された写真の今ある姿を思えば、これを阻止した事実は残る。ただ乗客たちはテロを防いだわけではない。生きるためにその瞬間まで戦った、そんな気がしてならない。テロ阻止の美辞麗句がテーマなのでは無い。現実を描く事、9.11を単なる墓標にしたくない意志は感じた。そして最後に流れるテロップは政府の不甲斐なさも語っている。

 スター不在の中、ボクとしては元機長の乗客に目がいった。何とコメディ「俺がハマーだ!」のデヴィッド・ラッシュだったのである。テレビ中心の彼がこの作品に出演している事からも判るように、興行よりもリアルに即したキャスティング、物語を重要視した表れと思う。奇しくもイギリスから旅客機爆弾テロ阻止の報が入った直後。ハッピーエンド不在、一般的に嫌なものは見たくない風潮はあるだろうが、あの9.11の映像と現実のピースを埋める作品となったと思う。

United93

| | コメント (15) | トラックバック (33)

2006/07/23

「日本沈没」2006年版を観る(ネタバレあり)

 今年、夏の大作というと洋画では「MI:3」が思い浮かぶが、邦画も負けていない。その一つが「日本沈没」である。TBS=東宝のタッグは「世界の中心で、愛をさけぶ」「いま、ここにいます」等の純愛路線が目立つが、今回は「黄泉がえり」組である草なぎクン、柴咲コウを据えた本格的な特撮SF大作。しかもリメイクであり、1973年は藤岡弘が主演した作品でもあった。そして何と今回は「ローレライ」の樋口真嗣が監督するのだ。

さよならと泣かないで。今は微笑みを。いつかまた、めぐり逢える光と風のように...

 ボクにとって「日本沈没」というと、まず小林圭樹演じる田所博士、そして竹内均東大教授(ホンモノ)、さらに五木ひろしの歌う主題歌「明日の愛」である。実は当時「日本沈没」は映画だけでなく、テレビシリーズも制作された。日本が沈没するプロット、田所博士が対時する構図はそのままに、村野武範と由美かおるのロマンスが置き替わっている。またテレビシリーズらしく、日本が沈没する過程が丁寧に描かれていた。もちろん深海潜水艇わだつみ号、そしてデザインが秀逸だったケルマディック号の活躍とSF色は強い。当時、視聴率は及ばなかったというが、東宝特撮チームの映像と相まってその迫力から、幼少期の記憶に残った、今も思い入れの強い作品でもある。

 そんな作品のリメイクだから、正直言うと今回の2006年版を観るのが怖かった。ただ思うのは、今日観てよかったかなぁと。一番は我が街である沼津市が、日本で最初に壊滅する都市として登場したから。そしてあのタイトルロゴと日本が沈んでいく姿だけでも悲壮感が漂い、我が琴線に触れる。予告編でも流れた数々のVFX、首都が、各都市が襲われるシーンは短いながらも迫力がある。「日本沈没」らしい、潜水艇わだつみの活躍もなかなかだったと思う。ネットの噂でダメダメかなぁと思ったが、そんなに悲観するデキでもなかった。

060723

 ただこの映画が語ろうとする「心」とVFXが上手く噛み合っていない。特に草なぎクンと柴咲コウのロマンスはありえない形で展開する。この作品を観ていると「今、二人の居る場所が一体何処なの?」と首を傾げてしまった。とにかく人間ドラマを語るには脚本が弱すぎる。出発するヘリから降りる草なぎクンと抱き合う柴咲コウ、そこに久保田利伸の主題歌が流れた瞬間、思わず興ざめ。それにしても何でこんな曲流すの?

 しかしキャストは主役の二人を除けばみな上手い。声の図太さが欲しかったが、豊川悦司の田所博士は良かったし、危機管理担当大臣の大地真央も物語を締めていた。また短いシーンながら及川ミッチー、ピエール瀧はいつも存在感があるなぁと思う。ボクだけがそう思うのかな。加藤武と國村隼がヒールとなっていたが、もっと抵抗勢力は居てもいい。ただ劇中の豊川、大地の関係って「インデペンデンス・デイ」に似てると思ってみていたら、総理の乗る専用機を襲う火柱といい、ラストの演説もそのまんま。やっぱりこの映画、脚本が致命的でした。何もそこまでパクらなくてもいいのに。

 樋口真嗣監督らしく、富野さんや庵野さんが出てくるは、「ローレライ」繋がりで福井晴敏氏も出ていたらしい。ちなみに福井氏は何処に出ていたか、全く気がつかなかった。そして「エヴァ」ファンならご存知、N2爆弾までもが登場する。そしてそのN2爆弾こそが改変した「日本沈没」のポイントであり、日本国民離散だけに終わった原作、73年版やテレビ版との大きな違いでもある。失望と喪失だけではない、国の再生こそが未曾有の震災が現実のものとなった今を問うという事なのだろう。でもそれだからこそ、ラストで「インデペンデンス・デイ」して欲しくなかったけどなぁ。

 この作品、国の危機管理担当部門が使うパソコンは全てアップルのマッキントッシュ。ノートもデスクトップもみなマックなのである。ただインテルマックでデュアルブート、ウインドウズという訳でもなく、全てマックOSでアプリが起動していました。そういえば「インデペンデンス・デイ」もパワーブックを使って、宇宙人の母船にコンピュータウイルスをぶち込んでいたっけ。やっぱこの手の映画となると『マックが日本を救う?』って事なんでしょうか(苦笑)。

Nc06

| | コメント (13) | トラックバック (29)

2006/07/22

「M:i:III」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今日は7月22日だけど、10日は盟友N氏と共に暑気払い、映画「M:i:III」を観てきた。かろうじて再放送ながら、ピーター・グレイヴスのテレビシリーズ「スパイ大作戦」(ただし再々??放送)を観ていたボクにとって、このトム・クルーズのシリーズはあくまで「ミッション・インポッシブル」であり、第一作から似て非なるものと理解している。特にジョン・ウーの撮った第二作は、単なるアクション作にしかなっていなかった。そしてシリーズ通して一貫しているのは、スーパー・トム君の大活躍である。

 正直言うとこの第三作もその傾向は強い。ただ第一作並みのチーム戦は確保されており、物語前半から中盤にかけ、「スパイ大作戦」らしいチームワークが展開されていく。しかし公戦から、愛する女性を救う私戦に移った瞬間、トム・クルーズ一人の「ミッション・インポッシブル」に変わる。みなその瞬間に思うのだ。やっぱりこれはあくまで「スパイ大作戦」のリメイクではないという事を。

 その存在感に他のキャストも霞んでしまう。他のキャラが立たないんです。ただ一番の問題は、相手として光るべき悪役が物足らない事だろう。今年オスカーを獲ったフィリップ・シーモア・ホフマンを配しながら、冒頭で思わせぶりでその存在感はアピールしても、もっと悪に徹して欲しかった。彼らしいサイコで最狂な死の商人なら良かったのに物足らない。脚本、演出からの造形も足らなかったかもしれない。ただ終わってみると結局は誰でも良かったのでは、と思ってしまう。それはこのシリーズに共通した欠点でもあります。

 監督にJ.J.エイブラムズを起用したためか、迫力は映画風ながらもかなりテレビっぽい作り。音楽の使い方もテレビシリーズを意識していて良かった。ただ一番危惧していた彼の手掛けたテレビシリーズ「エイリアス」のような、インチキアジアみたいな描写が無かった点は安心...「エイリアス」でジェニファー・ガーナーが日本人、しかも芸者になりすました一編は、「007は二度死ぬ」で日本人に変装したショーン・コネリー並みに奇妙だったのを思い出す。まぁしっかりコストを掛ければねぇ。

 盟友N氏が最も怒っていたのは、『なんでやねん』と思わせるクライマックス、そしてイーサンの婚約者の扱い。ただ途中で睡魔が襲ってきたというから、本作があまり興味の的では無かったのかも。イーサンの恋愛モード溢れるシーンに興ざめしていたようだ。まぁ観る人の心理的なシチュエーションによる部分はあるのだけれど。それと気になったのは、三作目も仲間の裏切りがあったという事。このシリーズ、仲間が裏切らなければ成り立たないのだろうか。アメリカはIMF[インポッシブル・ミッション・フォース]に国を任せていいのですか。

 トム・クルーズは「スパイ大作戦」のファンというが、結局はオレ流007をやりたいのかなぁと思う。アメリカ人である事、年齢的にも、いやそもそもボンド役に声が掛かりそうにも無いけどね。ただそんな彼の夢が「ミッション・インポッシブル」なんだろう。トムスマイルには飽きてきたけど、彼の観客を呼び込む力はいまだに凄いもの。『4作目で日本ロケ』も単なるリップサービスではあるまい。傑作ではないけれど、暑気払いとしては楽しめる作品に仕上がってます。

追伸.
 劇中登場するマスクメーカーはなんとデザイン界の御大、シド・ミード氏の手によるもの。かつては「ブレードランナー」のコンセプト、日本では「ターンエー・ガンダム」をデザインしている。どうもマスクの作り方が大袈裟と思えば...と観たエンドロールで納得したのだった。

Mi3

| | コメント (7) | トラックバック (18)

2006/06/04

中島哲也監督最新作「嫌われ松子の一生」を観る(ネタバレあり)

 今日はマイフェイバリッド「下妻物語」の中島哲也監督最新作、「嫌われ松子の一生」を観てきた。冒頭、いきなり木村カエラちゃんのアップから始まって、ちょっとビックリ。チョイ役だったけど、やっぱり旬なんですなぁ。確かに彼女の世界観は中島ワールドに近い気もするし。また彼女ばかりでなく、キャラの強い、いやキャラを生かした配役が目立つ。簡単に挙げていくとガレッジセールのゴリ、クドカン、劇団ひとり、もちろん土屋アンナ。ただボクとして一番のハマり役は木野花であった。ただ彼女もチョイ役だったけど。

 ボクはいつもの感想で、この作品は「純愛だけでなく、殉愛こそが彼女の一生」と称した。ここではネタバレを含めて本作品に迫ってみたい。まずこの作品を観て想起させたのは「フォレスト・ガンプ」と「ガープの世界」だった。主人公松子のジェットコースターぶりはフォレストに近く、しかも時代に寄り添った展開はまさにそのものだった。古きよきデパートの屋上、オイルショック、数々の歌謡曲、そして「平成」の二文字。ただサクセスストーリーだったフォレストと異なり、本作では流転、転落の人生が描かれていく。

 そして、そこにある人生の物悲しさと面白さは「ガープの世界」に相通じると思った。こちらは大昔に深夜放送されていたのを観て以来、大好きな作品である。ガープも母親、そして家族の愛に囲まれて、摩訶不思議な人生が描かれていた物語。ラストシーン、ヘリで運ばれるガープの姿は、人生をやり直そうとする松子の姿と重なるんです。また「嫌われ松子の一生」の描く人生はけっしていいものだとは思わないけど、その根底にあるのはガープと同じ人生賛歌に違いない。ただ「下妻物語」のようにボクの心を揺らす物語では無かった。確かにベクトルの違う作品だから仕方がないのだけれど。

 映像は冒頭からとにかく凄い。作り込まれた世界観、特に目を見張るのはデパートの屋上のシーン。リアルさでなく、意図的なデジタル箱庭感。それ以外のシーンも一本通った一体感があり、「下妻物語」同様に映像だけでなく、脚本も手掛ける中島監督らしさに溢れている。公開前に漏れてきた監督と中谷美紀との衝突。ただこの作品を観れば、それは当然だろうなと強く思う。この作品で彼女はあらゆる面で、ギリギリまで追い詰められていた気がする。心理面を表す演技を必要とされ、ましてあの人生。特にあのシーンはミュージカル仕立てにされているものの、まさに体当たりで過激さはやや残っていた。

 物語的には最後まで楽しめたものの、蛇足な点もあった。後半で出てくる光GENJIのくだりは、あまり必要さを感じなかった(海外向けにはカットされるのではないか)。あそこがなければ物語にコンパクトさが出てきて、印象は変わっていたと思う。もちろん感情移入という点でも物足りなかった。他にもせっかく古いカローラを引き出したのに、すれ違った車が時代と合っていなかった点は気になった(あれ、フィットだったよなぁ?あるいは意図的か?)。しかし要は好みの問題。それにボク的には黒沢あすかがいい味出してたよ。とにかく映像に注がれた物量、中島演出、中谷美紀の熱演と観て損はない作品だと思う。

Memoriesofmatsuko

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2006/05/21

映画版「ダ・ヴィンチ・コード」を観る(ちょっとネタバレあり)

 今日はトム・ハンクス=ロン・ハワードのコラボ三度(みたび)、ダン・ブラウン原作の「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。かつてのパートナーも今やオスカー俳優とオスカー監督、まさに彼らヒットメーカーに課せられたのは大ベストセラーの映画化である。しかも宗教学的にはセンセーショナルな内容。ただ既に議論されてきた面もある内容だが、これがコマーシャルベースとなると話は違う。しかも本作の配給元、ソニーピクチャーズの親会社、ソニー製品の不買運動も囁かれているほどだ。

 ただ本作は意外に大人しい。原作冒頭で「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と始まっていたが、映画版の中ではそうした触れ方はしていない。むしろ最後に「本作はフィクションであり...」と日本語字幕が流れる。当然と言えば当然、腫れ物に触るような感じがするが、作品の中ではテンポのいい謎解きが身上となって、二時間半があっという間に過ぎていく。多少、宗教的背景で置いてきぼりを喰らう人も出てくるだろうが、それを差し引いてもよくぞここまであの原作を、と思う。

 基本的な物語の構成は変わらない。滞在先、大学教授である主人公ラングドンが殺人事件に巻き込まれ、しかも容疑者として追われる立場となる。そんな逃亡の中、ソニエールが仕組んだ様々なアナグラム、そしてその先にあるダ・ヴィンチの存在。ダ・ヴィンチがキリストに関する事実を自らの作品「モナリザ」「最後の晩餐」を中心に織り込み、ラングドンは暗号解読官ヌヴーと共にその謎解きに挑んでいく。助け、裏切られ、二重三重のトラップがラングドンを待ち受ける。映画版になってもそのテンポ、エッセンスを強く感じた。

 原作にあったエピソード、気がついたものでは黄金率のくだり、キングス・カレッジでの情報収集等が削られている。ただ映画版となって、物語の本線に影響の少ないところであり、全く気にならなかった。一方、ロン・ハワードらしく感じたのがアナグラム、謎解きするシーン。「ビューティフル・マインド」を彷彿させる見せ方で、謎解きのプロであるラングドンの思考を上手く表していた。ただそこがわりに呆気ない反面、手に汗握るスリリングさは原作が勝る気がする。限られた尺の中、そこは致し方ないかもしれない。

 原作と比較、キャスティングの妙を感じたのは、サー・ティーピングを演じたイアン・マッケランだと思う。彼の持つ存在感、演技は謎解きでの大きな説得力に転換されていた。もちろん腹に一物持つしたたかさも巧く再現されている。ラングドンはトム・ハンクスで無くてもと思う一方、物語の節目に際するとやっぱ彼でなくちゃと思わせた。オドレイ・トトゥはつい最近、やっとあの「アメリ」の子だと気がついた。それ程に本作では大人びた美女に変わっていたと思う。黒髪がよく似合っている。登場人物への感情移入は描写が浅いせいか、少し物足らないかも。ただそれはこの作品の目的ではない。

 ハリウッド大作、エンターテイメント作品ながら、ロケーションとオドレイ・トトゥ、ジャン・レノらフランス人キャストを配したためか、独特の雰囲気で展開される。しかもロケ場所はルーブル美術館を始め、ほぼ原作どおり。ボクとしてはこの作品に本来と逆、原作の副読本的なニュアンスを感じた。そもそも原作の物量には敵わない。しかしこの作品のキモ、絵画は映像に頼らざる得ないのも事実。原作=映画版、お互いに補い合うのがこの作品の特徴なのかもしれない。まだ映画だけの方はぜひ原作も読んでみて欲しい。

追伸.
 ここ数日、この作品の公開に合わせ、ネタバレよろしくの特番が多かったが、どの番組も作品の根幹に触れるところがあったので、未見の人にはどうかと思う。ただ懸命な映画ファンなら、たぶんそういう番組は観ていないだろう。録画してあとで観るとかね。個人的には「誰ピカ」のスペシャルは面白く、天才ダ・ヴィンチの人間性に迫り、さらに彼の奥深さに圧倒された。

Thedavincicode

| | コメント (10) | トラックバック (33)

2006/05/14

今年のJRAブランドCM=イム・ヒョンジュ「序曲」を観る

 毎年、何気に競馬ファンとしてJRAのCMに注目している。しかし今年の中居クンシリーズは契約二年目のためかシンプルなドラマ仕立て、音楽もとってつけたような物足りなさであった。そして毎週GIが続くと、レース名だけを換えた手抜きも目立つ。正直、今年のCMは中居クンと井崎先生(お間違いなく「イサキ」先生である)のキャラがあっての事。過去、キムタクも出演したシリーズではあるが、タレントに頼った演出とそこからの脱却はなかなかできないようだ。

 JRAには、先のようなタレントを使ったCMともう一つ、ブランドイメージCMがある。数年前なら小田和正の「woh woh」「風の街」、そして一昨年はゴスペラーズの「街角-on the corner-」、そして昨年はヒトトッチこと一青窈の「影踏み」、彼らの曲をBGMに使った、タレント映像抜きのシリーズである。競馬にまつわるイメージ、例えば昨年の場合は牧場で生まれた産駒が、その後レースに出走し、引退、そして次の産駒に繋いでいく、まさに長きに渡り血統を紡いでいく、競馬の魅力を訴えた作りが好感だった。

 そして今年はいきなりアグレッシブな作りに変貌。いや、これがまたカッコいい。『競馬が教えてくれたこと』というテロップから始まり、『スタートは平等に与えられる』『一人で戦うのではない』『自分を信じよう』『プレッシャーを楽しもう』...『夢見ることは、戦いつづけることだ』と詩的に結ぶ。サラブレッドの一瞬を捉えた映像がインサートされ、まるで人生が重なってくる想い。そう競馬は擬人化される面も多く、そんな競馬の持つ魅力、攻めの姿勢が見事映像化されている。

 今回のBGMはカテゴリーならクラシック、イム・ヒョンジュ「序曲」という曲である。UMAPの盟友S氏が電話口でよく真似する、『アーァ、ア、アーァー』というボーカル部分はまさにオペラ、このCMを劇的に演出している。たった30秒のCMがこれほどの気分の高まりを伴うのは、この楽曲による部分が大きい。いや映像とガップリ四つに組んだ傑作。ちなみにこの曲は、歌っているイム・ヒョンジュの「ロータス」というアルバムに収録されている。そして聴いて『みんなで真似しよう』...アーァ、ア、アーァー...

060514

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006/05/05

「ブロークン・フラワーズ」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を観る(ちょっとネタバレあり)

 例年ならGWも出勤と来るところだが、今年は何も無く三連休となった。外はまずまずの天気、ただ車で出掛けるのも渋滞。まして誰からも邪魔されない休日ならと、静岡シネギャラリーへ電車で遠征する事にした。元々は盟友N氏が観たがっていたのが「ブロークン・フラワーズ」、ボクは前から「ヒストリー・オブ・バイオレンス」を狙っていた。ただ盟友N氏のお小遣いの限界があって不参加。ただボクとしては一日映画館で過ごすのも悪くないと、朝一番から「ブロークン・フラワーズ」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」の順で観ていく事にした。

 かつてのプレイボーイ、ビル・マーレイ演じるドンが、突然送られた手紙の下、昔の恋人たちと会いに奔走する物語。隣人の思わぬお節介から始まったロードムービーでもある。ただ"奔走する"といっても、ジム・ジャームッシュの作品であるから、非常に惚けた味の映画に仕上がっている。そして先日観た「春が来れば」と似た味わいで、物語に波がほとんど無い。とにかく淡々と、ただ人生の機微が、円熟のビル・マーレイを通して伝わってくる。ただビルってあまり好きな俳優には挙がり難い人。だからこそこの作品に合っているのかなと思う。

 そして劇中、ノーネクタイ、黒のジャケットを着たドンの姿を観て、思わずこの役をビートたけしが演じたら面白そう、と思った。ビル・マーレイの顔の皺(主人公に限らず、主題歌の中でも何となしに触れられていたっけ)は、今の俳優たけしにダブってくる。あまり語らず、それでいて頼りなさえげな風情。ラストはまるで淋しさを刺激されたような後味を残していく。たけしなら頭をかいて、思わず苦笑いしそうな物語だ。

 四人四様、ドンを迎える元カノたち。懐かしさの影にドンの真意がもどかしい。ピンクのタイプライター、ローブ、花、名刺に思わせぶりな展開、伏線はあっても推して知るべし。ジャームッシュの紡ぐ結末に明確さはない。シャロン・ストーン、ジェシカ・ラングらが脇を固める。役上の彼女の娘ロリータが可愛らしくて可笑しく、彼女のおかげでPG-12をめでたく戴いたのだろう。また端役、お惚けなジェフリー・ライトを含め、妙な可笑しさが漂う小品である。

Brokenflowers

 20分ほどの休憩をはさみ、デビッド・クローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」に臨んだ。クローネンバーグというと「ザ・フライ」等、キモい作品が思い浮かぶが、この作品も少なからずある。暴力の描写では北野武に負けず劣らず。死をビジネスとする日常と、一方の平凡な日常。物語は強盗に襲われたダイナーの店主が主人公。突然の出来事に間もなく彼らを撃退してしまう。一市民がヒーローに奉り立てられた瞬間、彼に近づく者たちがあった。

 ハッキリいうと実は...系だったという作品である。最近なら「Mr.&Mrs.スミス」あたりがそう。しかし本作の描く日常性があって、ほとんどエンターテイメントしていない。そこがクローネンバーグらしいところだと思う。でもグロさが爆発する描写のリアルさ、戸惑う主人公の家族たちの心理描写と相まって、僕の目には興味深く映った。また殺しの世界、一発必中の緊張感が伝わってくる。確かに地味な作品ではあるが、日常に潜む暴力が描かれていく。

 夫トムのもう一つの顔を知った妻エディが一旦は拒絶しつつも、彼と交わるところ。そこには女性としての性が見え隠れする。もちろんその根底に、優しい夫の姿が重なっているのだが、強く激しく変貌した夫に悦びで応える。そして別れ際、再び強い手で跳ね返すとその下では、下半身モロ出しの夫。しかし作品冒頭で夫婦生活に刺激を与えようと扮装する妻があった。その対比を考えると、妙に可笑しく感じた。妻の「ワタシって馬鹿ね」という本音が聞こえてきそうだ。

 他にエド・ハリス、そしてウイリアム・ハートを配している。エド・ハリスの堅実さは言うまでも無く、さすがはオスカー候補にもなったウイリアム・ハート。短い登場ながらも存在感をアピール。有無も言わさず、ぶっ放す怖さは圧巻。もちろんヴィゴ・モーテンセンは主人公の二面性を上手く演じている。ただ一番は彼の家族たちだと思う。対比される日常がしっかりと描かれていたからこそ、この作品に入り込む事ができた。前述の例を挙げるまでも無く、今はこの手の作品でエンタメしたものが好みでない。

 週末も続くGW。ゴールデンウイーク、元々は日本独自、映画会社が観客動員を目論んでこの連休に名付けたもの。だからこそやはりGWは映画を観たい。二作とも大作ではなく、全くエンターテイメントしていないため、一般的には絶対オススメと言い難い。しかし大人が観てこそ、何処かしらに興味が湧いてくる作品だと思う。大人の機微を楽しむのも由、また日常に潜む暴力に酔うのもいいだろう。二作ともキタニスト向きなのかもしれない。ただ二作連続、同じ劇場で続けてみると、ちょっとお尻が痛くなってしまった。椅子も悪かったかなぁ(苦笑)。

Thehistoryofviolence

| | コメント (6) | トラックバック (23)

2006/04/30

早朝割引で「Vフォー・ヴェンデッタ」を観る(ネタバレあり)

 今朝は盟友N氏と「Vフォー・ヴェンデッタ」を観てきた。地元の老舗映画館が朝七時からの上映で、レイトショー並みの入場料で観られるサービスにのった形。1,200円なので、映画の日ほどではないが、大きな劇場でN氏とボク、そしてもう一人の観客で貸切り状態。まぁ、それで差し引きゼロと思った。映画を観出せば、プラスアルファも出てくるだろうと。何てたってナタリー・ポートマン、坊主になってまでイレ込んだんだから...と高をくくっていたのが大失敗だった。ちなみに初見が最悪だった「エイリアン3」もシガニー・ウィーバーが坊主になっていたっけ。

 近未来のロンドン、「V」と名乗る仮面の男が民衆を扇動し、独裁者の下から解放しようと戦うのが物語の骨子。ヒトラーをモチーフにした役をジョン・ハートが演じている。ちなみに本作はイギリス=ドイツの合作という背景がある。なおかつてテレビシリーズ「V」というのがあったが、本作中に登場する赤スプレーで「V」と書くシーンがあるが、偶然の一致ではあるまい。たぶんナチスドイツの圧制の下、解放を願う人々が同じような行動をしていたのだろう。それが両作で描かれていたのだと思う。

...とここまで書くと、この作品は素晴らしいのかと勘違いされてしまうが、実際は残念な出来に終わっている。いや残念以上、何と言っていいのやら。とにかく面白くない。興味も沸かない。「マトリックス」の製作チーム=ビジュアルと勘違いすると、本作は大きな失敗である。まるで禅問答のような、字幕を追い駆けなければ解らないシーンが続く。その点は「マトリックス」に近いかもしれない。脚本はウォシャウスキー兄弟だけに、似た印象を得た。また独裁者、圧制と民衆の構図は、判で押したようにステレオタイプであった。

 仮面の男「V」を演じたのはヒューゴ・ウィービング。セリフ回しは彼独特。ただ彼の苦労も、作品そのものの興味を盛り上げるまでに至らなかった。彼の責任ではない。やっぱり面白くないのだから。ナタリー・ポートマンも坊主になるまで、この作品に出演する動機があったのだろうかと疑問に思った。確かに彼女でなければ、この作品をエンドロールまで観ようとは思わなかっただろう。それ程にB級度は高い。ただB級でも何か残る作品であればいいのだが、つまらなさまでもがB級となってしまった。ジョエル・シルバー印のハズレは目も当てられないね。

060430

追伸1.
圧制と民衆の構図、それならばイギリスを舞台にしたテレビシリーズ「プリズナーNo.6」のほうが断然面白い。突然村に拉致されたNo.6、目に見えない独裁者No.1との戦い。映画化が囁かれて数年が経ったが、実現の可能性は依然低そうだけどね。

追伸2.
「V」を見ていたらヴィンセントを思い出した。ツバの広い山高帽に白い顔。そう「Saku Saku」の白井ヴィンセント(写真のパペット)である。同じ「V」でも、断然ヴィンのほうが毒があって面白い。いずれ「Saku Saku」の中でネタになりそうな作品だなぁ。またキャラの著作権で揉めなきゃいいけど。

| | コメント (11) | トラックバック (19)

2006/04/26

ヨン様よりジャー様!「トム・ヤム・クン!」を観る(ちょっとネタバレあり)

 トニー・ジャー主演の「トム・ヤム・クン!」を観てきた。何とも摩訶不思議なタイトルだが、内容は「マッハ!!!!!!!」同様にアクションエンターテイメント。早回し、ワイヤーアクションはご法度、もちろんジャー様本人によるアクション満載である。一見、風貌からけっして強さを感じないジャー様だが、「脱いだら凄いんです」ではなく、「動いたら凄いんです」を地でいく作品である。なおタイトルに関しては始まって半ば、シドニーにある料理店名と同じ事に気づかされる。ええっそれだけかい(苦笑)。

 たぶんアクションの高みを「トム・ヤム・クン!」というタイトルに込めたと推測する。オープニングのタイトルロール、英題も「TOM-YUM-GOONG!」となっていた。例えるならかなりピリッと辛口風。そして前作以上に挑戦的なシーンも少なくない。倉庫で次々とジャー様に襲い掛かるチーマー(?)。これでもかの連続だが、相手はただジャー様のみ。そして圧巻は料理店「トム・ヤム・クン」で繰り広げられるワンカット、長回しのアクションシーン。あれだけの動き、殺陣を連続して5分以上あったと思うが、それをワンカットでやるというのは、ジャー様、そして相手するスタントマンたちの苦労がうかがえる。また回廊を上がりつつ次々と倒す姿は、のちの怒りに繋がっていく。

 単なるアクション作にあらず、何処かアジアンテイストを感じるのは、ジャー様が怒りの動因とする象にある。前作は仏像であったが、今回は幼き頃から一緒に過ごした象の親子を助けにいく。そしてジャー様が直面する結末が何とも哀しい。冒頭描かれた「星になった少年」と勘違いしてしまうほどに情緒的に進むシーンが、再び繰り出されてジャー様の心に火をつける。一目女性だが実際の性別不明、謎のボスとのバトルは最後、怒りのひと蹴り。おいおいそこまでやるのかと呆気にとられたが、エンドロールのメイキングで納得した。最後まで見逃さないで欲しい。

 さて問題は「マッハ!!!!!!!」を超えたかというところだが、回答は難しい。ボク的には超えられなかったかなぁと思っている。あまりに前作が衝撃的だったからだ。得体の知れない力は前作が上回る。ただジャッキー・チェンの後継は彼しかいないし、今後の課題は如何に彼らしさを作品の中で繰り出していくか。その一つが怒りだと思う。本作のラストはけっしてハッピーエンドではない。だからこそ次作以降も下手に笑いに流れるのでなく、真正面でアクションを描いていって欲しい。もちろんユーモアは盟友ペットターイ・ウォンカムラオに任せてね。

Tomyumgoong

| | コメント (4) | トラックバック (12)

2006/04/22

「ホテル・ルワンダ」を観る(ネタバレあり)

 今日は愛車オペルアストラを駆り、盟友N氏と静岡へ遠征。公言通り、静岡シネギャラリーで「ホテル・ルワンダ」を観てきた。行きは国一バイパスを西下。N氏ご愛聴のピーター・バラカン氏のラジオ番組を聴きながらドライブ(「ホテル・ルワンダ」はバラカン氏の推薦もあった事を付け加えておく)。約20分の渋滞を挟み、一時間半を要した珍道中となってしまったが、相変わらず脈絡の無い会話が妙に可笑しかった。確かにそこまでも現実、楽しかったのは事実。しかしこれからスクリーンで繰り返される出来事に、N氏共々打ちのめされたのだった。

 この作品を観ている途中、何度か泣けてきた。確かにドン・チードルらの熱演も素晴らしかった。でも泣かされて泣くのではなく、自然と流れた涙だった。これまで心を動かされた作品は数多くあるが、この作品に対してはちょっと違った。それは彼らに対する哀れみではなく、現実を知る、自らの無知への悲しみかもしれない。ただその具体的な理由は言葉にできない。

 まず驚かれたのは、フツ族とツチ族の間に起こされた偏見の理由である。鼻の幅、皮膚の薄さ等など、それは統治した諸外国が理由無く引いた線である(18世紀頃から何らか部族間のアイデンティティーはあったのだが、統治したベルギーがこれを利用)。それを発端にフツ族とツチ族は更に憎悪を深めていく。また憎しみの影にIDカードを持たせたり、一方的な思想教育がある(これだけが全てではないが)。その最悪の結果がこの作品の中で描かれていく。ただフツ族とツチ族が憎しむだけの存在でない事は、主人公のポールたち夫婦がフツ族とツチ族同士という事が裏付けている。

 本作は先日同じ静岡シネギャラリーで観た「クラッシュ」同様、偏見を扱った作品である。だが「クラッシュ」はたった一発の銃声の下に描かれる寓話だったが、本作は夥しい数の銃弾が描く現実である。もちろん映画という作り物の世界であるものの、その境界線は観始めて間もなく無くなっている事に気づく。それが先の現実を知る瞬間にほかならない。夥しい数の銃弾は山のような死体を生む。主人公ポールが乗るライトバンの踏んだ異物が何であるかに気づくのも、観ているボクらには時間の問題だった。そしてやっとホテルを離れるポールたちのトラックの横を、さらに夥しい数の難民が通り過ぎる。ポールたちは彼ら民族の中でも中流層以上だったのだ。民族の底辺は大虐殺の犠牲となっていく。

 この作品には救いがない。唯一あるとすれば、ポールたち家族が犠牲を伴いながら、逃げ果てた点だけだろう。しかしラストのテロップ、ポールたちの姿が母国にいない事を知る。生き延びた安堵感の反面、国に帰れない事実はもっと悲しい気持にさせられた。なす術の無い現実の中、この作品が作られ、そして訴えようとするものは、とにかく観て感じてもらうしかない。

 諸外国へ救いの手を求め、応えた僅かな機会がある反面、利権の伴わない出来事には見向きをしない現実も訴えてくる。ある大国が独裁者を追いやったと旗をふり、そして民主主義を広める名目には、石油という利権があった事を忘れてはならない。ルワンダでは先の偏見が生んだ大虐殺で100万の人々が殺されていった。世界の警察も見返りがなければ、けっして腰を上げることは無い。

 本作を観終わって、じっと黙って席を立ったN氏とボク。そしてもう一度、フロアーを上がり、作品の背景が説明されたボードを読んだ。とにかく偏見を助長したのは彼らではない。そこにこの日本にまつわる偏見の原点(受ける、こちらが与えたものに限らず)に似たものを感じる。だからといって何もできないが、知ることが大事といつも思う。「ホテル・ルワンダ」はその一つとして是非観てもらいたい作品だ。

Hotelruwanda

| | コメント (4) | トラックバック (16)

2006/04/20

「ダ・ヴィンチ・コード」をヴィジュアル愛蔵版で読む

 ここのところダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでいた。ご存知大ベストセラー、六〇〇ページに及ぶ前後編の大作。文庫が出たばかりだったが、先行発売されたヴィジュアル愛蔵版を選んだ。ルーヴル美術館で起こった殺人事件、巻き込まれた宗教学者、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に込められた謎。そしてイエス・キリスト。その展開もスリリングだが、歴史の出来事、さらに数々の文献をピースとしてパズルを構成、一つの物語に仕上げている。

 来月には映画版が公開を待つ中、描かれるキリストの在り方が物議を醸している。スコセッシの「最後の誘惑」(この本の中にも登場)、メル・ギブソンの「パッション」同様にある意味センセーショナルかもしれない。また宗教的に接点のない遠き東の島国だからこそ、興味を惹くのは言うまでもない。特に前述の作品に比べ、今回の作品はトム・ハンクスを主演に据えた娯楽作として公開される。日本人の観客がどのような反応を示すだろうか。既に本作登場以後、ムック本も多く出ており、更なるブームが見込まれている。

 さてヴィジュアル愛蔵版の強みは、登場する数々の絵画、写真、キーワード等が具体的に収録されているところにある。本というと作者と読者が共有するイメージの世界が重要。それが読書の楽しみでもあるからだ。しかし有名な絵画を除けば、想像力で補えない点も少なくない。ルーヴルのピラミッドはいかにもヴィジュアル愛蔵版らしい登場の仕方。クライマックスのキーポイントだけに、その美しいビジュアルはより説得力を強くする。またこれに限らず、キリストの謎に迫る過程もビジュアル愛蔵版ならではといえよう。今から読むなら断然、このビジュアル愛蔵版をオススメしたい。

 読んでいると謎解きはいうまでもなく、とにかくこの本の持つ知識とその物量は凄まじかった。そしてトマス・ハリスのレクター三部作を読んで以来、久々にこれでもかの薀蓄(ウンチク)に圧倒された。それがとにかく楽しいのだ。黄金比のネタなんて、会話のつかみにもってこいのように思う。これに限らず、ネタの宝庫が「ダ・ヴィンチ・コード」なのだ。読んでから観るか?観てから読むか?まるで昔の角川文庫のキャッチフレーズみたい。いやこの本って角川書店だったんですね。もちろん映画版も楽しみにしていますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/04/19

原田眞人監督 沼津映画WEEK「金融腐蝕列島 呪縛」を観る(ネタバレあり)

 今夜は原田眞人監督 沼津映画WEEKの最後、四作品目となる「金融腐蝕列島 呪縛」を観てきた。午後9時過ぎの時間ながら、今日を逃すと後はビデオ鑑賞となってしまうため、できればの思いで足を向けた。鑑賞中は仕事後の疲れから来る眠気は皆無。冒頭からテンションは高く、観ているこちらまで渦中に巻き込まれていった。まもなく頑張るサラリーマンたちの銀行再生が始まっていった。

 物語は1997年東京。逮捕された大物総会屋に対する朝日中央銀行(略称ACB)からの高額不正融資が発覚。検察庁のあくなき捜査は続き、銀行トップが次々と逮捕されていった。銀行の中堅を支える企画部北野ら四人は、いまこそ銀行の自浄、再生が必要と立ち上がった。しかし銀行を巡る様々な呪縛は彼らを苦しめる。果たして彼らの行動は報われるのか。高杉良のベストセラーを、原作者自身も参画した脚本を基に映像化された。もちろん監督は原田眞人である。

 まず思ったのは、この作品が金融アクションだという事だろう。活劇といっていいほどのテンポの良さ。アクションと言いたくなる所以はとにかく彼らが走る事だろう。役所広司演じる駅伝部あがりの北野を始めACBミドルに検察、そして彼らを追い駆けるマスコミも走る走る。そして反面、呪縛を断ち切れず、うごめく銀行首脳と相談役たち。そのコントラストが劇的で不気味。特に仲代達矢の佐々木相談役は、権力への執着がひしひしと伝わる。そしてその先には脅し、ゆすり、たかりの総会屋たちが待っている。彼らを見つめる「エクソシスト」風のエンディング音楽も怖い。

 不満な点、細かな点を言い出すとキリがないかもしれない。クライマックスとなる株主総会は、いち個人株主の発言から事態は好転。ちょっとご都合主義的なところもあった。またキャスティング的に、再生を目指し頭取に座った根津甚八と役所広司を比べると、あまり年齢差を感じず、それなりの違和感がある。またブルームバーグテレビがACBの再生を助けるように、次々とスクープを流す。ただ実際のブルームバーグはスクープ主体の放送局ではない...など等。しかしそれを気にするのに余りあるドラマが控えている。

 立ち上がる4人のACBミドルへの感情移入、サラリーマン頑張れの気持。その源は彼らの演技力。いやそれだけでなく、彼らを助ける弁護士を始め、多くの端役に至るまで画面を活気づかせている。それを束ねる原田監督の手堅い演出は、映画という格を感じさせるもの。原田作品はとにかく演技レベルが高い。やはりテレビでは物足らない。これまでの三作でも触れてきたが、常に映画というこだわりを感じる監督さんだ。まして直接、生の言葉を聞いた事は大きい。そんな背景を想像しながら、これからも原田作品に注目していきたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/18

原田眞人監督 沼津映画WEEK「狗神INUGAMI」を観る(ネタバレあり)

 シネマサンシャインは家から歩いてわずか数分。そんな気軽さから会社帰り、日曜に引き続いて原田眞人監督 沼津映画WEEK「狗神INUGAMI」を観てきた。「狗神」は公開当時、「弟切草」と同時上映になった角川映画(昔の角川春樹主導の頃とは違う)。「狗神」の後に「INUGAMI」と付くところがこの作品のミソ。すなわち海外コンペ向け、英語字幕版なのである。稀に邦画DVDは英語字幕が呼び出せるもの(例えば「太陽を盗んだ男」)があるが、劇場で観るケースはさらに珍しい。

 物語は四国、高知の山中、狗神(いぬがみ)と呼ばれる家系にある坊之宮家。和紙作りに勤しむ中年女性の美希はその一人であった。真夜中、母の声に目を覚ます美希。家族も皆、眠れぬ日々が続いていた。そんな中、彼女は村にやって来た奴田という教師と出会う。森を進む最中、二人は突然の雨に遭遇。雨宿り、だがその状況を彼女は過去に見た事があった。それは彼女の運命に大きく関わった出来事であった...

 この作品はずばりホラー。コケオドシ系は程ほどに、それでいて官能的であり、心理的な怖さも秘める。設定では中年、41才という天海祐希演じる美希。冒頭、ノーメイクで白髪混じり、枯れた感じが伝わってくる。ただ41才というには若すぎるかなと思ったが、やがて狗神であるゆえん、年齢を遡り美しく変わっていく姿を考えれば、過剰な演出はできなかったのだろう。特に奴田と結ばれる姿は官能的な描写で、いろいろな意味で刺激を受ける。濡れ場は何処まで天海本人か判らないが、かなり過激。R-15は当然かもしれない。原田監督の描く濡れ場は「KAMIKAZE TAXI」といい、本作といい、本当に刺激的である。

 人間関係や物語自体は結構読めてしまうところはある。ただそれよりも、物語を語る堅実な演出に惹かれた。とにかく最後までグイグイ見せてしまう。これは今回観た三作共に共通する点でもあり、特に本作は出演者の演技がハイレベル。それだけでテンションは高くなり怖くなる。村路和弘演じる隆直の得体の知れない怖さ、今やクセが強すぎる感の渡部篤郎も、本作では抑えた感じが印象よく受け取れた。また音楽のエフェクト、サラウンドの使い方もホラーらしく、重低音や動きを使った演出が目立つ。この作品は一見、地味に感じるが、ある意味徹底したエンターテイメントだと思う。

 ただ惜しまれるのはセリフ、方言の意味がやや伝わり難い事。一見するだけでは、この作品の流れをつかむのが難しい可能性はある。ただ今回は幸い、前述の英語字幕が言葉の意味を知る上で機能してくれた。またラストは明確なものを提供せず、はっきりした結末を求めた場合に物足りなさを感じるかもしれない。でもそれは監督の真意ではないだろうし、ボクとしてもその方が作品の怖さを楽しむ事が出来ると思う。それが和製ホラーの肝ではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/16

街にシネコンがやってきた!「原田眞人監督 沼津映画WEEKへ行く」

0604161_1 地元沼津に本格シネコンが誕生。そのこけら落としともいうべき、初日はWOWOW制作の「自由戀愛」(ビデオ化済)、さらに翌日はキャリア初期の作品「KAMIKAZE TAXI」を携え、原田眞人監督が地元沼津に凱旋。地元NPO法人が主催、その上映とトークイベントを観に行ってきた。このシネコンは首都圏中心のシネマサンシャインで、テナントに入ったBiViというビルのオープニング日でもある。座席をネット予約するという、このど田舎には似つかわないシステムが新味。地元の老舗映画ビルも脅威と感じたのか、早々にこのシステムを真似ている。だからといってこの近辺で珍しいだけであって、その他の使い勝手と含め、普段ボクの遠征する大手シネコンと大差はない。

 このシネコンの入口フロアー、オープニングデイに加え、時期的に子供向け作品の多いせいか、人も多い。そんな中、原田眞人監督はさすが地元の有名人だけあって、人だかりも多く、写真やサインに気楽に応じてらっしゃった。監督業途中12年間、節目の4作品(「KAMIKAZE TAXI」「金融腐蝕列島呪縛」「狗神INUGAMI」「自由戀愛」)、しかも少なからず地元沼津(静岡県東部を含め)が絡んだ作品群でもある。

 「自由戀愛」は大正時代を舞台にかつての女学校の同級生、富豪の妻と妾(めかけ)、その逆転の構図が描かれていく。いつの時代も男の愚かさ、そして時代の変革期、女性の進出する姿がたくましい。現実の社会事情とラップし、どこか悲しく、またどこか滑稽なところが興味深い。二度の会食のシーンも笑える。またロケハンに力を入れたという通り、その時代性に違和感がない。沼津倶楽部という場所も登場、筆者的に馴染みはないが、松の木と松ぼっくりで何となく伝わった。妥協は制作費だけと言っていたが、本格劇場物ではないハンデの中で力作となった。

 ハセキョウこと長谷川京子、木村佳乃、そして豊川悦司の三様ぶり。中でも木村佳乃は本当に巧いなぁと思った。時代を生きる凛々しさが伝わってくる。またハセキョウは演技が一辺倒な面は否めなかったが、監督が指摘したイっちゃった顔等々、見どころとなっていた。トヨエツの役は最も時代に、そして女性に遊ばれた男だった気がする。その点喜劇的だけど、ラストの姿は物悲しい。まぁ悔しいほどイイ男なんで、そういうのもアリでしょう(苦笑)。

 なおフィルムでないDLP上映のためか、ため息が出るほど映像は美しい。特に日光の射し込みの鮮烈さが印象に残った。この感じはフィルムでは出ないし、そこが大きな違いだと思う。映像もノイズなくソリッドである。重箱に盛りつけた料理もおいしそうだった。ちなみに本作はDLP用のソースしかなく、東京とここ沼津のこの映画館でしか上映されていない。今回に限らず、今後のDLP上映が楽しみになってきた。

 翌日の「KAMIKAZE TAXI」は盟友N氏と鑑賞。この作品はN氏が遠い昔、ビデオで観ており、その推薦もあって観に行くことになった。今回上映されたのは、その海外向けディレクターズカット版である。前日はトークショーが最後に組まれていたが、今回は作品の前。ただボクのように「KAMIKAZE TAXI」が初見という人が多いため、ネタバレはご法度。「KAMIKAZE TAXI」の前作からの反省、アクシデント、キャスティング、脚本作りと触れられていく。それでも現在までに多くの原田フリークを作った原点でもあり、気になっていた。ちなみに彼の作品は「突入せよ!あさま山荘事件」を観た程度、また役者としては「ラストサムライ」がある。

 面白く思ったエピソードが「KAMIKAZE TAXI」と「コラテラル」の関係である。トム・クルーズとは「ラストサムライ」との縁(「KAMIKAZE TAXI」のビデオを渡したという)、そして「コラテラル」の脚本家と原田監督は仕事をした経緯があり、オマージュを超えた描き方に困ってしまったという。全く相似性はないと思うが、言われてみて何となくその意を強くした。予告編しか観ていなかったがマイケル・マンの「コラテラル」、比較の意味で観てみようかなぁ。

 また脚本作り、一ヶ月で七度リライトしたというのに驚いた。その一方「ラストサムライ」に出演の際、長期かけて覚えた台本を撮入一週前、大半がリライトされたという。その時は相当にパニックに陥ったそうで、役者の気持を知ったのか、本読み以降のリライトは極力避けるようになったとか。ちなみに原田組の製作方針として、撮入前に全キャストで本読みは通例との事。ただ過去さかのぼって役所広司のなりきりぶりが圧巻だったという。その点は本作を観てよくわかった。

 作品はやくざの達男が愛人を殺され、組長の武器を片手に黒幕政治家から二億円を強奪。そんな道中、ペルー育ちの日本人タクシーと出会う。その過程を追うロードムービーであり、復讐劇でもあるバイオレンス作。ブレイク前、役所のペルーなまりがまず見どころ。冒頭、(たぶん実際の)日系ペルー人のインタビューの合間、役所演じる寒竹サンの片言セリフが登場するが、顔と肌の色共々違和感はない。会えば人柄、民俗音楽が聴こえてくるような、瞬間的に組長が魅せられるのもうなづけるキャラクターである。

 元々1995年当時、Vシネマ用に作られた作品で、前後編構成になっているものを劇場用に再編集。本作は約2時間40分にまとめられていたが、長いと思うような気はしなかった。前半は達男を演じる元男闘呼組の高橋和也が主役を張り、後半に至る過程でいつの間にか寒竹サンの存在がクローズアップされていく様が面白い。そして神風よろしく、最後の復讐が粋で、そしてラストは更なるユーモアで終わっていく。作品の持つ勢いも、監督の若さ、初期の作品らしい印象を強くさせた。今の高橋は中堅で頑張っているが、役者としてのキャリアの一つに本作がある気がする。とにかくイイ感じで切れている。

 バイオレンスというと本作と北野映画の類似点は多い。徹底してバイオレンスだけを描くのではなく、その背景にある日常、あるいはユーモアが対極にあり、その果てとして暴力を描く。その描き方に大きく共感した。出生は北野映画のほうがやや先だが、それを論ずるのは無用だろう。またバイオレンス、アクション、そして冒頭からのエロティックな演出共々、原田流を強く感じた。クライマックスを含め、この作品でのアクションの見せ方も巧い。それと粋なセリフといい、ユーモアとアクションという点ではボクの好きなアニメ「カウボーイビバップ」に相通じていた。

 どのキャラクターも興味深いが、個人的には組長の亜仁丸(ミッキー・カーチス)が面白かった。ジャズとやくざの組み合わせなんて最高。そして前述のラストシーンでのセリフは、ドリフのコント並みに可笑しい。そしてそんなシーンが、その世界観から違和感を感じさせない作りが見事だった。ちなみに原田監督は地元の超有名高校出身だけにインテリ。だからやくざだろうが、タクシーの運ちゃんだろうが、そのセリフに含蓄を持たせ、しかも説明し過ぎない作り方も共感。トークショーでセリフの足し算、引き算の話を聞いたが、その実例を思い知れされた気がする。

 もちろんロードムービーの側面も面白かった。まして地元、間近のロケが含まれている。観ていて90年代というより、80年代の日本映画を観ているような穏やかさ。それがこの作品の緩急のうちの緩やかさ、気持ちよさを感じた。なお達男が墓を磨くシーンがあるが、その時彼を取り巻く風、そして磨いた墓が原田監督の祖父のもの。監督のキャリアアップはこの時吹いた神風共々、その墓磨きに始まったと苦笑していた。そんな12年の節目の最初を飾った作品、そして昨日の「自由戀愛」共々、原田節を満喫する事ができた。機会があればこの期間中、劇場で残りの二作も観たくなってきた。

 なお原田監督の話ではいまだ未発売、「KAMIKAZE TAXI」のDVD化(ビデオ時のバージョンを含め)を進めているらしい。ただそんなに待っていられないボクはすかさずアマゾン、いやAmazon.comで輸入盤をポチッと押してしまった。さすが国際的に評判の高かった本作、北米盤はあったのですねぇ。リージョン1が観られる環境様々である。また沼津映画WEEKはこの沼津シネマサンシャインで21日金曜まで。明日の月曜日以降、「KAMIKAZE TAXI」が観られるチャンスは4回。アクションものの好きな静岡県東部周辺の諸氏、ぜひご覧になる事をオススメしたい。

0604162

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/15

NHK教育「新感覚☆キーワードで英会話」を観る

 今年に入って英語にハマっている。全く話せないワケではなく、でも話せますというには胸を張るだけの土台はない。仕事上で任される事もあるが、他がやらないので手が回ってくるだけの事。武器にするには更なる精進が必要となる。そんな気分の時、春のテレビ番組改編か、ふとNHK教育にチャンネルを合わせると、英語に関する番組が多い事に気づく。NHK総合では「英語でしゃべらナイト」が有名だが、本当に実になるのは、NHK教育。中でも面白いと思ったのが、「新感覚☆キーワードで英会話」である。

 この番組は毎日10分間、火曜から金曜まで、午後11時から放送されている。ただ春シーズンのボクはTXの「ワールドビジネスサテライト」(WBS)はHDD録画しつつ、午後11時には就寝。翌朝はこのWBSを視聴というパターンを採っているので、この時間の放送は観ていない。そこでお昼に再放送されている分を録画して、後日見るスタイルをとった。溜め込んでいても、週たった40分だけ。実は先週の日曜朝、この番組の第一週分をまとめて再放送していて、その時にこれは面白いと感じたのだ。

 まず中学英語からのステップとして、ポイントは押さえられている。その上で挙げた動詞、使われる意味をコアイメージと称しただ覚える事よりも、その言葉を感じるように置き換えたところが興味深い。初回第一週放送の中、採り上げた「have」。単純に持つという意味から、助動詞としての現在完了形等の扱いまで、非常に幅広い。この番組では一つの意味に収束するよう、コアイメージで表現。「何かを自分のところに持つ」とくくり、感覚的に捉えられるよう説明された。経験する事を持つ、考えてみれば当たり前の事だが、単純だからこそ目から鱗。イメージCGと説明が相まって捉えやすい。

 確かにこの番組を観ただけで、明日から英語が話せるという番組ではない。何しろ初心者向けの内容。しかし自己啓発の導入部、久々に英語を学びたいという動機付けには丁度いい。それとナビゲーターの安良城紅ちゃんがかなりカワイイので、それだけを見るのにも良いかも。いやいや、もちろん勉強しながらですけどね。まぁこの番組に限らず、とにかくNHK教育の外国語番組は旬だし、何かひとつ始めてみるのもよろしいのでは...と思います。

060415

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/04/01

「春が来れば」を観る(ネタバレあり)

 今日は四月一日、エイプリルフール。去年のような気の利いた嘘でもつこうかと思ったが、あまりネタも無いので映画を観てきた。四月一日は映画の日でもあるのだ。だが映画の日を公開初日にする映画は無いと思いきや、何とチェ・ミンシク兄貴の「春が来れば」が今日からとあって、そのために朝六時半から車掃除、その後になるよう時間を合わせ、観る事ができた。

 チェ・ミンシク兄貴といえば、日本では「シュリ」が初登場だったのでは、と思う。「シュリ」では命を乞わない北の工作員のリーダーを演じていた。そして最も強く印象づけたのはあの「オールド・ボーイ」の主人公オ・デスを演じた事。とにかくデニーロ・アプローチたる本編での変貌ぶりは目を見張る。途中のカッコ良さは通り越して、ぶつけようの無い悲しいラストは印象に残った作品だった。昨日はそのDVD「オールド・ボーイ」のメイキングを見ながら、明日は兄貴の映画を観ようと心に誓っていた。

 そんな「春が来れば」は兄貴が望んでいた「体重の変わらない役」。あらすじを簡単にいうと、音楽を通して生徒と交流、そんな中でハンパだった中年男に心の変化が訪れるというもの。内容は劇的さに欠け、ありきたりな物語にも思える。しかし観始めるとチェ・ミンシク兄貴がいいのです。中年のやるせなさが、何処か自分の中にダブり、感情移入してしまいました。ダメさ加減を見ていて、やがて自分が元気づけられていくというか。去年「サイドウェイ」を観た時の感覚に似ているかもしれません。

 冒頭、兄貴のダメさ加減はタバコの吸い方にも現れている。役所のカルチャーセンターで楽器を教えている兄貴。だが演奏中も窓辺でタバコを吸い、窓からポイ捨て。兄貴、それはいけませんよ!しかもダメさの溢れた前半はとにかくタバコを吸いまくる。状況問わず吸う姿に彼のお母さんからも叱られていた。だが心の変化の表れか、その本数も少なくなっていった。タバコではない、心のよりどころに気がついた事。意固地に離れていた彼女ヨニともう一度やり直す事である。その思いをつなげる音楽が使われ方と共にいい。浜辺でその曲と再会するところはヨニならずとも心にグッと来るだろう。

 炭鉱の町が舞台となると「遠い空の向こうに」を思い出す。もちろん頑固な親父も登場。ある生徒の父を説得すべく、目の前で演奏。そこで泣けてきた。ブルーカラーのつらい面を見せられると、それだけで琴線に触れてしまう。子供たちがいい顔で演奏しているし、兄貴も雨の中で指揮。その後、ゴリ押しの描写はないが、結論はおのずと判る。この作品では意図的にこうしたゴリ押しを抑え、観客に訴える。観る人によってはあっさりとしていると考えるだろうが、ボクはそれで十分だと思った。

 この作品では数多くの食が登場するが、ラーメンをすするチェ・ミンシクを見ていたら、何かお腹が減ってきた。映画を観終えて、早々にラーメンを食べに行ってました。劇中ではどうやら、インスタントラーメンをキムチ無しで食べていたようです。ただ兄貴、劇中で指摘のあったように、毎日インスタントばかりだと体を壊しますよ。ボクも学生時代、自炊の最中、毎日インスタントで一週間後、マジでぶっ倒れました。でも本当に劇中の兄貴、美味そうに食べてるんですよねぇ。

追伸.
 劇中の桜を見ていたら、こちらの近場の桜が見たくなりました。ちょっと写真を撮ってみました(写真下)。よく見るとまだ九分咲きではありますが、見事なものです。明日は散り雨に見舞わせる事を考えれば、ラストチャンスだったかもしれません。冬があっても「春が来れば」、きっといい事があるさ...

060401
          本編とは関係ありません。

| | コメント (11) | トラックバック (10)

2006/03/25

TOHOシネマズ小田原で「ブロークバック・マウンテン」を観る(ネタバレあり)

 今日は東へ遠征、久々のTOHOシネマズ小田原で「ブロークバック・マウンテン」を観てきた。昼よりただ一回だけの上映。田舎の劇場、テーマの難しさから、興行的に何度も掛けられる作品ではないためなのだろう。実際、観客は六分の入り。ただプレミアムシートでの鑑賞だったのは幸いだった。広く大きめ、そしてリクライニングできるシートはとにかく楽ちん。傍らにはアイスコーヒーを、そんな環境下で今回の鑑賞に望んだ。

 冒頭から夥しい数の羊の群れ、ブロークバック・マウンテンを背景に、とにかく自然が美しい。突き抜けた空の青さ、突然の雪、そして川のせせらぎに山の頂き。豆料理は辟易すると主人公たちは言うものの、カウボーイにはお約束の食事と続いていく。そんな折、ジェイク・ギレンホール演じるジャックのただならぬ視線。その後、突然の寒さと相まって、ヒース・レジャー演じるイニスと結ばれる。ここでの描写は短くとも、かなり衝撃的だった。異性同士ではなく、まして男性同士の行為。その二人の発する声に興奮とは別のものを感じた。やはり壁は越えられず。この作品のテーマを否定しなくとも、それは個人的な見解、偏見と言われても仕方ないです。

 その情熱的な抱擁と対極的に、彼ら二人の結婚した妻たちとの行為は非常にアメリカ的。あっけらかんとしている。あの「プリティ・プリンセス」アン・ハザウェイが胸をはだけ、とても積極的になってビックリ。ただ彼女が晩年を演じるところでの何ともいえない気だるさは、もう充分に大人の演技だった。彼女に限らず、少ないキャストそれぞれが、個性的にこの作品を彩っている。イニスの妻役だったミシェル・ウィリアムズも、感情の高ぶりを絶妙に演じていた。アン・リーは彼らの生活感、そしてその変化を上手く捉え、イニスとジャックの惹かれあう源流と苦悩に結びつけている。この点だけでも、アカデミー監督賞受賞は頷けると思います。

 観るだいぶ前、ヒース・レジャーという俳優にピンと来なかった。昔、彼の主演した「ロック・ユー」という映画のタイトルしか浮かんでこない。しかし本作を観て、キャスティングの妙を感じずにはいられなかった。とにかく彼の存在感が光る。トーンが低く、けっして口を大きく開かず話す姿は相棒ジャックと全く対照的。これも監督の狙った演出なのだろう。エンディング、イニスは思い出の品を前に本当の気持を吐露する。結局、直接に本当の気持を伝える事ができなかったゆえの後悔と安堵。それが目に溜めた涙が表していた。「カポーティ」フィリップ・シーモア・ホフマンに賞は譲ったが、ノミネート級以上の存在感に溢れていた。また助演のジェイク・ギレンホールもあの秀作「遠い空の向こうに」から、だいぶ年を経たのですね。とにかく二人とも難しい役だったと思います。

 本作を観て、印象的なセリフが一つ。ジャックの言った「どうせ会えないのなら、別れると言ってくれたほうが楽になれるのに」(だったかな。うる覚えです)。これは男女の恋愛にも通じる言葉だと思う。会いたいのに会えない、そんな恋愛上の苦しさが伝わってくる。そう思うって事は苦しさの極限状態なんですよね。実はかつて付き合っていた彼女に対し、似た思いをした事がありました。でも本当に別れてしまうと、もっとメチャクチャつらいものですけど(苦笑)。

brokebackmoutain

| | コメント (14) | トラックバック (15)

2006/03/18

静岡シネギャラリーで「クラッシュ」を観る(ネタバレあり)

060318 今日は本年度米アカデミー作品賞を受賞した「クラッシュ」を観てきた。しかも近場、静岡県東部地区での劇場公開はない。そこで静岡市にある静岡シネギャラリーへ遠征。約一時間、東海道線ひとり旅の果て、朝一回目の上映に間に合わせた。ミニシアターとなると、大昔銀座シネシャンテで「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」を観た頃が思い出される。ただこの静岡シネギャラリーはそんな派手な大きさの映画館でなかった。客席も三十人入れば十分という大きさ。座席中段でも、画面に対し頭を上向きで鑑賞しなければならないが、本作「クラッシュ」の内容に惹かれ、作品が始まるとまもなく、全く気にならなくなっていた。

 まずこの作品はアメリカ、そして人間の持つ嫌な面ばかりを見せられる。ちょうど劇場版「エヴァ」を観た時と同じ印象を与えていた。しかし両作品に共通、嫌なものの中から与えられる光明があるわけで、そこにこの作品の持つ意義を感じる。もちろんテーマ、言いたい事はこの二作で全く違う点は付け加えておく。「クラッシュ」、この作品のテーマは偏見の連鎖。ただ主な登場人物の中、本当の悪人というのは出てこない。それぞれが悩み、だが事実を受け止めて尖(とが)って、あるいは妥協して生きている。その最たるはマット・ディロン演じる警官の存在。職務質問中に言いがかりをつけ、その相手の妻を辱めてしまう。だがその一方、生死の境で再会した時、その影は微塵も無かった。間違いなく差別と偏見を理由に、彼は日常から逃げていたからだ。救出後、爆風の中でたたずむ彼の姿が何とも感慨深い。痛快さや優美さを求める大作ではないが、群像劇、人間ドラマとして、観ている観客の気持をつかむ魅力に溢れている。

 そして興味深かったのが、犯罪都市ロサンゼルスを描く中、放たれた弾丸はわずか二つだったという事。銃をバンバン撃ちまくる映画ではないのだ。しかもその一つは少女の背中へ、もう一方はラレンツ・テイト演じるギャングに。しかしその顛末は大きく違っていた。実は偏見の連鎖を複雑にしているものは、この銃社会というアメリカの恥部だったという事。かたや衝動的な行動は一つの愛に助けられ、一方では反射的な行動が悲劇を生んでいく。実は銃社会に対する警鐘が、この作品の隠されたテーマだと気づかされる。

 そもそも偏見や差別の無い世界なんてあり得ないのだ。偏見の無い世界を求めるのなら、それは偽善と言わざる得ない。でも、たとえ偏見と分かっていても、我々は生きていかなければならない。映画のエンディング、登場人物たちが至る大団円、そうした作者の気持が込められている。そしてもう黒人、白人の違いだけの時代ではない。この作品で描かれた、さまざまな人種間が関わった偏見はまだまだ消えそうに無い。そうした状況へのアピールも込められていると感じた。


 さて、静岡シネギャラリーは今後「ホテル・ルワンダ」「ヒストリー・オブ・バイオレンス」と観たい作品が続いていく。ちょうど年度末、募集中の年間会員になろうかと迷ったが、こちら東部でも観られる可能性は少しだけある。電車で往復一九〇〇円に考えされられた。とりあえず上映カレンダーだけを手にこの劇場を後にした。

 映画館を出ると静岡駅の駅ビル・パルシェで昼食。ここでは旭川ラーメンを食べてみた。ここは一風堂、河原成美さんプロデュースのお店らしい。同じ傘下の尾道ラーメンと店が並び、どちらにするか悩んだが、何となしに旭川のほうに並んだ。潜在的な北海道好きが選ばせたのだろう。しょう油味ながら、あっさりととんこつのコクがあって美味しい。スープを飲み干していた。そして店は手狭な感じながら、活気があっていい。次は「ホテル・ルワンダ」あたりで来ようかな、と思っている。

crash

| | コメント (11) | トラックバック (17)

2006/03/12

第78回アカデミー賞授賞式を観る

 先週WOWOWで放送された「第78回アカデミー賞授賞式」を観た。リアルタイムでなく月曜夜の字幕入りの放送。司会は自称、B級映画脇役俳優のジョン・スチュワート[写真]。彼は旬のコメディアンらしい。まずは豪華な登場VTRの後、司会お約束のアメリカンジョークが続いていく。時に真面目にほとんどを笑いにあて、硬軟、毒舌を織り交ぜたオープニング。特に政治色の強い笑いが多い。全てが笑えるわけではないが、とにかく客席を温めるのはよくわかる。そしてオスカー有力とされた「ブロークバック・マウンテン」を皮肉るような編集VTR。もしかしてこれはある種の予告だったのか。単なるアカデミー側の余裕なのか。実のところ、それはよく解らない。

 受賞式は笑い3、シリアス7のテンポで続いていく。受賞者の粋なコメントの合間、プレゼンターも笑わせる。特に可笑しかったのは視覚効果賞のプレゼンター、ベン・スティラー。「メリーに首ったけ」でお気に入りの彼だが、「視覚効果賞」ということで、全身緑色のタイツでグリーンスクリーンを想定した笑いを展開。要はテレビを観ている人は、「声はすれども姿は見えず」。でもそんな効果はテレビ画面で掛かっていない。ムービーマジックでも...そこが可笑しい。

 受賞者で最も熱かったのは歌曲賞の「ハッスル&フロー(原題)」"It's Hard Out Here for a Pimp"を歌ったラッパーたち。とにかく興奮しまくり、プレゼンターのクイーン・ラティファを巻き込んだ喜びよう。それ以外の各受賞者、78回の重み、やはりお約束のように長いスピーチ、そしてお決まりでスピーチを止めるように促す、ビル・コンティ指揮のオーケストラが授賞式を彩っていく。もちろん主演、助演各賞を受ける俳優たちのコメントも我々を惹きつけ、とても熱かった。

 とにかくショーを、いや映画文化を皆で盛り上げ、楽しんで、ステージと観客席、お互いに讃えあう気持が伝わってくる。全部で24部門。考えられるだけの人たちに賞は与えられている。中でも感動的に思えたのは、この一年間亡くなった映画関係者を紹介するVTR。この間、観客席の拍手は鳴り止まない。これも78年間の重みの表れだろう。毎度の事だが、感心する瞬間である。遠き島国で同じアカデミーの名を冠した授賞式に、同じ感慨を与える瞬間に出会えない。

 さて作品賞は「クラッシュ」が受賞。『差別問題と同性愛を天秤に掛けたら、前者を取った』と勘繰られそうだが、「クラッシュ」は近場で上映されてないし、「ブロークバック・マウンテン」は今週末から公開となっている。過去のアカデミー賞作品賞全てが妥当だと思えない面も少なくない。やはり賞に値するかは、この目で判断するのがいいと思う。ちょっと遠出になってしまうが「クラッシュ」、観て損はなさそう。「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家でもあるポール・ハギス、タダ者ではないからね。例年に比べると地味な授賞式だったかもしれないが、社会派揃いの今年らしい感じがした。

060312

| | コメント (6) | トラックバック (9)

2006/03/11

「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」を観る(少々ネタバレあり)

 今日は遅ればせながら「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」を観てきた。「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリー・ポッター」の後、老舗ディズニーが満を持して送り出してきた作品である。「ロード...」でファンタジーの世界を満喫した反面、「ハリポタ」は第二作「秘密の部屋」を最後に挫折。正直「ハリポタ」は冒険と成長の比重を考えた時、冒険に置かれている感じがしたからだ。確かに友情もいいが、第二作までそれ以上の印象を得られず。そして今に至っている。

 実は「ナルニア国物語」に同じ懸念を持っていた事は確か。だが七章に渡る長編、その第一作目だけは押さえておきたかった。まして前述の通り、ディズニーが送り出してきた作品である。また全米クリスマスシーズン、「キング・コング」と共に興行を盛り上げていた。公開まもなく「キング・コング」との逆転トップ入りもあり、評価も上々。客足は作品評価のバロメーターの一つでもある。そうなればとりあえず観に行こうと、タイミングを見計らった今日を迎えた。優等生な感想はこちら。ここではもう少し踏み込んで考えてみたい。

 この作品で最も重きが置かれているのが、ズバリ家族である。血の取り持つ絆、これは何者にも勝る。しかし疎開で仲たがい、その中で本作は若さゆえの次男エドマンドの行動を問い、彼ら兄弟姉妹に絆を深めるチャンスを与える。その結果、エドマンドは自らの精神的成長の証、女王へ刀を持って立ち向かっていく。それに呼応されリーダーシップを採るピーター、そして彼らを助ける妹たち。疎開から両親の下を離れる中、子供たちだけで生きていく力を身につける、その機会がまさにファンタジーの中で展開されていった。これはファミリー映画として非常に重要な点だと思う。

 CGは明るく大規模に展開。ただ「ロード...」に比べると物足りなさは否めない。ただスペクタクルよりも、前述の家族愛を重視しているのは間違いない。冒頭で最愛の母と、父とは戦地と引き離され、まさにナルニアでの親代わりが英雄アスランなのだろう。リーアム・ニーソンの声からそんな親心を感じる。そして成長を見届けた後、立ち去っていくアスラン。そのタテガミを見ると、CGの進化にあらためて驚かされる。着ぐるみや本物だけではここまでの作品にできなかった気がする。

 本作はファンタジーとして中庸、オーソドックスだからこそ、家族で安心して観られる作品。全七作を通してどのような物語が繰り広げられるか。ただ最も興味の的は、これだけのファンタジーを最後まで、ディズニーが映像化を続ける事ができるかということ(特に全作製作はディズニーから明言されてないようですが)。ただそうなれば二年おきのリリースで十三年、名実共に遠大なプロジェクトとなる。もし第七章があったとしたら、その頃は全てがフルCGになってるかもしれないなぁ。

060311

| | コメント (18) | トラックバック (28)

2006/03/08

「NIP/TUCK -マイアミ整形外科医-」Season2-16を観る(ネタバレあり)

 帰ってから昨夜録っておいた「NIP/TUCK -マイアミ整形外科医-」を観た。Season2となって、既に2クール目。Season1はわずか13話で終了、呆気にとられてしまったが、今回は16話までとの事...ってことは今回が最終回だったのか。実は今回の第16話『ジョーン・リバース』を観終え、ネットで検索。Amazonで発売されている輸入DVDだと16話までと英文で解説。何となしにSeason1と同じ終わり方、何となしに最終回と思いきや、ハッとさせるエピローグであった。

 外国のテレビシリーズは「24-Twenty four-」に代表されるように、打ち切りが無い限りは次の年もシリーズが続いていく。もちろん日本のドラマと同じように1、2クールで一旦終了。だがどのドラマもシーズン最終回は意味深な最後を迎えている。「24-Twenty four-」ならシーズン2、パーマー大統領が襲われて倒れて終わった。心臓の鼓動と共に終演したのは衝撃的であった。そして今回の「NIP/TUCK」、Season1と同じ宴、だがその最後はクリスチャンの枕元にあのカーバーが立ち、刃を振り落とすところで終わる。彼の運命やいかに...

 Season2の特徴は、生真面目なショーンと、開放的なクリスチャンの立場が逆転したところだろう。ショーンはSeason1でのエスコバルの一件、クリスチャンは愛息を奪われて以降、まるで性格が変わったようになる。ましてショーンはジュリアと別居、マットが実子でない事を知ってから大きく人が変わってしまう。だがクリスチャンは、自責の念に駆られながら、ショーンを親友として支えていた。しかしマットの恋人アバの真実を知り、ショーン、クリスチャン、ジュリアは結束、三人は再び元に戻るキッカケを生んだ。

 アバを演じていたのは、007ファンなら「ゴールデンアイ」のオナトップことファムケ・ヤンセン。でもまさか彼女が...なんて。医療技術は進歩しているのですね。しかもクリスチャンは触診というか、いやいや愛撫でそれを見破ってしまう。そんな展開がいかにもこのドラマらしい。そしてアバの元旦那が初代ジャック・ライアンことアレック・ボールドウィン。ラストはどこかミステリアスで、豪華なキャスティングとなった。Season1以来のエスコバルも(想像の中で)登場し、ショーンの引き金を後押し。でもそれが裏目に出るとは。たぶんカーバーって15話に出たアイツなんでしょうね。早くSeason3が観たいです。

060308

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2006/03/05

「シリアナ」「力道山」を観る(ネタバレあり)

 昨日は骨太のノンフィクション二編「シリアナ」「力道山」を観てきた。しかし両者のアプローチはあまりに違い、観ているボクの受け入れ方も違った。まずは「シリアナ」。冒頭の予告編から、劇場の音響に物足りなさがあり、作品が始まってからもセリフが聴き取り難かった。あまりに小さいため、わざわざ席を前に移動したほどだ。この劇場は大昔、「ゴッドファーザーPartⅢ」を観た時、途中でフィルムが乱れた経験があった。その点を憂慮しつつ、作品を観始めた。

060305-1 「シリアナ」はスティーブン・ソダーバーグ印の社会派サスペンス。ソダーバーグは主演のジョージ・クルーニーと共に製作に回っている。ボクの嫌いな「オーシャンズ11」のようにスタイリッシュだけを売りにするような映画ではなく、しっかりとしたテーマを持っている。アメリカと中東の関係、石油への執着である。しかしアメリカ人からすれば衝撃的なテーマだが、我々外国人からすれば、今のアメリカなら十分にあり得る話。ただそれが元CIA工作員から語られる点に意義がある。

 ただ登場人物が多くてあまりに話も複雑。接点の無い登場人物が、やがて結末に収束していくところは面白みがあるが、そこまでが非常に疲れる展開だった。途中、拷問を受けるボブを観て、やっと目が覚めるほど。正直眠かったのだ。ドライなドラマ作りに定評があるソダーバーグの作風が反映された形。ただ監督のスティーブン・ギャガンは「トラフィック」の脚本を手掛けたわけで、単純にそうだけとは言い切れない。ただ観ていてソダーバーグっぽいと思った作品だった。


 「力道山」は同じ劇場だが、簡単に昼食を挟む事ができた。「シリアナ」がちょっとお眠な作品だったが、「力道山」は同じ長い尺ながらも見応えのある作品であった。まず惹かれたのが、力道山を演じたソル・ギョングの存在。セリフの一つ一つが彼の言葉になっているのだ。もちろん全てのセリフがスムーズといえないが、そこが力道山のアイデンティティーと重なる。時代に乗った力道山ではあるが、そのバックステージでは苦悩する日々が待っていた。

 相撲界、今では国籍を問わずに横綱になれる時代。だが十数年前でも小錦の例のように大関止まり。まして力道山に対する隣国出身の差別は悔しさの度を越えていた。しかし出世のため、常に彼はしたたかな計算を持っていたわけで、そこが「たった一度きりの人生、善人ぶるな」の言葉に集約されている。ただ荻原聖人の側近、同郷の弟子キム・イルを前にその心中が告白された時、孤高ゆえの苦悩が明かされていく。

 そして負けられない宿命、興行主との対立。だがその裏側、街頭テレビに熱狂した世代にはつらい秘話も多い。今では格闘技との差別化がなされ、その立場は認知されつつある。しかし当時は強い事、勝ち続けて人々の思いを奮い立たせるのが大事だった。もちろんそんなリング上の苦悩も描かれており、ソル・ギョングの演技もまさに体当たりだ。また本作の描く男が惚れあって築いたプロレス界の黎明期は、とにかく興味深かった。しかしながらいまだに「リキの空手チョップは凄かった。今のレスラーは甘い」と信じて疑わない父に、何と言えばいいのだろうか。

 さて007ファンにはご存知のオッドジョブ。映画「ゴールドフィンガー」で殺し屋を演じたハロルド坂田が、何と力道山のプロレス進出のきっかけを作っている。何かそんなエピソードが嬉しかったり、その坂田を演じているのがあの武藤敬司だったり。彼以外にも秋山準(ノアの選手の出演が多い)や船木誠勝、そして昨年亡くなった橋本真也が出演している。記者会見での橋本の不敵な笑み、そしてデビュー以来と思われる黒パンツ姿に驚かされる。プロレスファンは必見だろう(ただ父の背中を見ているはずの百田少年の姿は無い。一応最後に事実を基に創作...とエクスキューズはあるが)。

 涙を引き出されるところまではいかなかったが、この「力道山」は「ALWAYS 三丁目の夕日」と同じ時代を描き、非常に興味深い作品である。ラストは高い志を胸に、桜の下を抜けていく力道山夫妻。希望を持つ事、「ALWAYS...」とこの点も相通じる。また全般的に「ALWAYS...」のこれでもかの演出よりも自然で、むしろ熱狂の光と影を描く上でそんな描き方が良かった。隣国からの冷静な目、ソン・ヘソン監督の手腕による面も大きい。熱狂、光の向こうには必ず影があるのだという事を教えてくれる。

060305-2

| | コメント (21) | トラックバック (36)

2006/03/03

日本アカデミー賞の日テレ偏向に思う

 毎年恒例、日本テレビで日本アカデミー賞授賞式が放映された。局アナの打ちつけなインタビューは相変わらず、だがその一方で、脚本家市川森一の意味の無い最優秀賞予想は無くなっていた(毎年、何でこんな賞で予想が必要なの?と思ったものだ)。気になったのは邦画が元気と思いつつも、賞のかかる作品はインディペンデント系よりも、大手映画会社の作品ばかり。その点は本家米国アカデミー賞と同じだが、やはり前述の通り、授賞式は単なる表彰式の域を出ていなかった。

 各最優秀賞の結果を見ると、日本テレビ製作「ALWAYS 三丁目の夕日」が受賞のオンパレード。さすがに主演女優賞は吉永小百合に譲ったが、技術、芸術関係の部門賞から始まって、助演男優賞、助演女優賞、主演男優賞、監督賞、そして作品賞まで全て制覇という結果に終わっている。この作品に感動したゆえ、別に文句を言うわけはないが、でもそんなに受賞するのは出来過ぎじゃないの?という気がする。そのシラける理由、授賞式が日本テレビによって放送されているからだ。

 授賞式を放送するのが日本テレビゆえ、日本テレビ製作の作品が強い...そんな意識が今では映画ファンだけでなく、一般の人にまで浸透している。かつては製作会社の持ち回りの受賞とささやかれた時期もあったが、邦画の興行収入では東宝の一人勝ちとなった今、その意味もあまり無くなった。ただ東宝自身も日テレに限らず、フジやTBSと組む事が少なくない。でもこの日本アカデミー賞授賞式だけは興収や評価に関わらず、日テレ中心に動いてきた。

 番組の最後、ナビゲーターの坂下みきが、やや失笑気味に「ALWAYS 三丁目の夕日」を称えていたが、それは映画ファン誰もが同じ気持だったと思う。こういうのを自作自演っていうんだよ。授賞式司会者から何度も繰り返される「今年No.1の作品」というフレーズが虚しい。米アカデミー賞なら受賞でギャラが急騰とか、作品の評価が上がるなんて事があるが、こちらの賞は受賞すらを隠したくなるような恥ずかしさを伴う。もし来年もこの賞を続けるのなら、"日本テレビアカデミー賞"に改名すべきだろう。

| | コメント (10) | トラックバック (10)

2006/03/01

三月にDVD「四月物語」を観る

 この前の日曜、久しぶりにDVD「四月物語」を観た。"久しぶり"と書いたのも、ちょうどこのサイトを始めた時、扱ったDVDがこの作品だったからだ。画面の大きさは変わらずとも、当時の再生環境とは大きく異なっており、今は本格三管にDTS再生環境となった。そしてちょうど一時間ほど合間ができた中、この作品の収録時間がぴったりとハマった気もする。プロジェクターを温めた午後八時、プレーヤーにディスクを差し入れ、鑑賞を始めた。

 楡野卯月(にげのうづき)は、北海道の高校から東京の大学へ進学する事になった。そんな間もない四月、上京先での生活、ひとり暮らし、入学式、サークル、彼女にとって何もかもが新しい事ばかりだった。しかし彼女がこの大学を選んだのには大きな理由があった。それを彼女は「愛の奇跡」と呼んでいた...これが物語の骨子。主人公は松たか子が演じ、初々しさが漂う演技をみせる。そしてそれを引き出すのは岩井マジック。DVDらしい解像度とソフトフォーカスの狭間、それがこの作品の映像の持ち味。ボケボケにならない程度に仕上がっている。音もDTSだとレンジが広く、クリアーだ。

 この作品は一見、四月という旅立ちの季節だけを追っているようにみえるが、実は恋の成就(あるいはその始まり)を隠されたテーマ。その彼女の生活の中の不器用な一面と一転、一途だからこそ起こした奇跡。そしてその奇跡が達成された時の喜び。奇跡を祝福するような雨、そしてもうワンシーン。傘を扱った掛け合いが微笑ましい。そんな武蔵野をめぐる恋はさわやかで心地いい。文学的要素を感じるのも、岩井俊二作品らしいテイストだと思う。

 さて、この作品を三月に観る意味とは...それは四月に観た時、実はその本当の旬を過ぎているという事だろう。観た直後、こんなスタートを切ってみたい、恋愛をしてみたいと思ってみても、一面を華やかに彩った桜は散り、まもなく五月病が訪れるというズレが生じている事に気付く。それならば絶対、旬の前に観て、来たる四月に備えたい。まぁ全てが映画通り、上手くいくとは思えないが、今年はそんな期待をすぐ先に、感じる春を迎えてみたい。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2006/02/26

DVD「頭文字(イニシャル)D THE MOVIE」(中国語版)を観る

 昨夜はDVDで「頭文字(イニシャル)D THE MOVIE」を観た。昨年劇場で観た作品だが、今度は主な出演者たちの原語である中国語(広東語)による鑑賞。この作品、実写化にあたっては原作の再構成、そして我々日本人からみれば、その言葉の壁が大きな話題を提供した。ボクは原作を全く知らないので、原作との構成の違いは判らない。しかし後者、言葉の問題なら印象を伝える事ができる。今でもこの中国語が、この作品の取捨選択を決めている点として挙がっている事実も踏まえて、だ。

 中国語による演技、違和感を感じない人はいないだろう。他の映画で聞き慣れているとはいえ、いきなり涼介と毅が広東語で話し始めると奇妙。いやエディソン・チャンとショーン・ユー(「インファナル・アフェア」の若い日の二人)なんだから映画ファンとしてみれば平気。ただ心の中でその境界線が、始まってしばらくせめぎあっていた。ただアンソニー・ウォン演じる拓海の父が登場、いつものBボーイぶりを披露する頃には、ある種の割り切りができていた。ただここに至るプロセス、普段映画を、特に香港や中国映画を観ない人たちには高く厚い壁なのかもしれない。

 公開前の情報から各出演者の演技は、それぞれの言語で行っている事は知っていた。そこでもう一つの壁が登場する。ヒロインの鈴木杏ちゃんは明らかに日本語のセリフで演じている。しかし広東語でアフレコされ、でも口元は明らかに日本語というギャップ。正直、このギャップが一番堪えた。劇場で観た時は日本語吹替版だったが、その時は普通に観れた不思議さ。ハリウッド作品に出演する日本人俳優はほとんどの場合、英語による演技を強いられる。英語でアフレコされた演技というと、「ブラックレイン」の若山富三郎くらいか。巧く口元と合わせていたようだが、先入観が微妙な違和感を生んでいたのを思い出す。

 この作品はボクら、観客の持つ先入観に評価が左右されると思う。これは彼らの話す言葉に限らず、物語も含めてである。ボクは物語に関して、全く先入観無く観る事ができたため、この作品を楽しめた。原作もの、ことさらマンガやアニメの実写化となれば、必ず積み重ねてきた世界観はつきまとう。限られた枠、時間となれば再構成は余儀なくされる。もちろん換骨奪胎し過ぎたり、またオリジナルの持つテーマが抜けてしまったりと、そういう作品になってしまう事は避けて欲しい。その点、この「頭文字(イニシャル)D THE MOVIE」は、その骨である青春ものとカーアクションをピュアに両立した佳作だと思うのだ。

画と音.
 音はやはり日本語DTSが最良。広東語DD5.1chは若干割り引く必要がある。広東語で観た場合、換装後のハチロクの変化を音で一応知る事はできるが、劇場で観た時のような明確な差を聴き取る事ができなかった。大多数の購入者、鑑賞者は日本語吹替で観ると思うので、大きな問題ではないが、原語を大事にしたい映画ファンとして、何かもったいない気がした。また大画面だと画はややソフトフォーカス気味。ナンバープレートの画面処理と合わせ、気になるところだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/02/18

「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」を観る

 今日はホアキン・フェニックス主演、「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」を観て来た。主演の二人がゴールデングローブ賞(ミュージカル・コメディ部門)を獲るなど、前評判からも見どころが高そうな作品である。物語の主役、ジョニー・キャッシュは日本では馴染みがないかもしれないが、プレスリーと同時期にスターになった人だ(本編の中でプレスリー役も登場)。ただ彼の名前、刑務所でのライブを出来事として知ってはいても、歌声となると聴いた記憶が無い。ボクの洋楽体験は80年代以降が中心だったため、今回の作品は興味深かった。

 物語は60年代が中心、音楽によって得る大きな成功と影。昨年の「Ray/レイ」と比べられそうだが、ちなみにこちらの作品は出演者が演奏、歌を自ら歌うスタイルを採っている。声質が近いせい(本人たちの歌声はエンドロールで流れる)もあるが、トレーニングの甲斐あってそのパフォーマンスが素晴らしい。アップとなるホアキンの表情とギタープレイ、リーズ・ウィザースプーンのハイトーンボイス、そして彼らのデュエットはオリジナルにも負けない迫力。

 今日、そんな作品を観ていたら、ジャズ映画でチャーリー・パーカーを扱った「バード」、デクスター・ゴードンが主演した「ラウンド・ミッドナイト」の二本を思い出した。前者は「Ray/レイ」のように、模倣したパフォーマンスにオリジナル音源を加えたスタイル、一方の「ラウンド・ミッドナイト」はプロ演奏者でもあるデクスター・ゴードンが演じる(その他の出演者も同じ)というアプローチだった。確かにどちらが上、こっちのほうが素晴らしいというのは一概に言えない。ただ個人的に後者のほうが、映像に観入る動機付けが高かったように思う。今回の「ウォーク・ザ・ライン」はその点でも気に入った点である。

 もう一つ気がついたことが、オープニングでテロップされるキャストにロバート・パトリックという名を見つけた。そうあのT-1000だったのだ。ヘリコプターに飛び乗って「Get out」と吐いた最強ターミネーターの彼である。ちょっとゴツイ感じ、そして年を経た表情に冷徹なターミネーターの面影はない。セリフは少なかったが、息子ジョンとのぎこちない交流を上手く演じていた。そんな彼を観ていたら、年をとったのだなと強く感じている自分がいた。もうあの熱狂から、十五年経ったのですねぇ。

060218

| | コメント (8) | トラックバック (21)

2006/02/13

アソブネスタイル八年目突入あいさつ&「CASSHERN VS デビルマン」

 アソブネスタイル(ホームページ版)もその前身「趣味の殿堂 遊舟」から1999年の今日スタート、今朝午前二時でまる七年を越し、八年目に突入しました。これまでも趣味の世界にまい進し、『映画を観た後で』、『ちょっとだけ勝手に言わせてもらいました』が『古馬任三郎』のように斬れるコラムを書きつつ、『デイリー・ソフト・レビュー』していきたいと思います。ブログ版共々、これからもよろしくです。

 さてあいさつはそんなところにして、昨夜はテレビ放送された「CASSHERN」を観た。「CASSHERN」といえば、鳴り物入りで製作されたアニメ原作の実写化作品。監督は紀里谷和明。PV製作が縁で彼の奥さんとなった宇多田ヒカルが主題歌を手掛けた。そんな背景から公開当時はいろいろと酷評された。でも意外に骨っぽい作品で、紀里谷監督自身が脚本も手掛けている。ボクはこの作品を劇場で観ている。ただその骨っぽさがセリフに頼った演出を生み、もったいないと思った出来だと思った。最初に観た当時、VFXも凄いなぁと感じたが、昨夜改めて観るとちょっとチープに思えた。たった二年で陳腐化してしまう映像技術の宿命だろう。ただ全般的に酷評するような作品だと思わなかったのは、今回観ても同じであった。

 そして世間的に比較されたのが、同じ年に公開された実写版「デビルマン」。こちらは映像化不可能と言われた作品を、怖いもの知らずで映画化した。劇場公開後は総スカンを喰らった理由は数知れず。今や跡形もなくなった主役アイドルの演技、プレステ2に毛が生えた程度のVFX、『原作完全映画化』と言いつつ端折られた世界観など等。ただ最もいけなかったのが、原作者永井豪氏(自身も出演)のお墨付きと思いきや、物語は単なるハルマゲドンに収束し、肝心の脚本が原作のテーマを語りきれなかった事だ。近年エンドロールの途中で立ち去った作品は、本作以外に記憶がない。

 両作品は有名アニメ、漫画の実写化であったが、実はそのアプローチは大きく違う。「デビルマン」は最初から偉大なる原作を意識した映画化で、結果その重みに押し潰された作品となった。一方の「CASSHERN」は「人造人間キャシャーン」の映画化ではなく、あくまで「CASSHERN」という別物と認識できる作品だという事。実際、一部は拝借しているが、原作アニメからかけ離れた世界観で、ティム・バートンの「猿の惑星」並みにリ・イマジネーションされていた。ボクは始めに原作ありきな点は揺ぎ無いが、別に全くの別物でもかまわないと思う。ただ大事なテーマは残して欲しい。そんな時「BSアニメ夜話」で「人造人間キャシャーン」を採り上げた際、怒っていたアニメ発行人氏の言葉を思い出した。ちょっとそこが「CASSHERN」には足らなかったんだな。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/02/12

「没後10年 司馬遼太郎からの”手紙”」を観る

 今日は家でのんびり。そんな午後、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」を観ていた。いつも前売りオッズを取りつつ、「スーパー競馬」の前に何となく観てきた番組だったが、今回扱っていたのが司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」。生前、司馬さんが教科書のために書き下ろした「洪庵のたいまつ」、そして当時この作品を授業で扱った教師、二十六人の子供たちのその後を追ったドキュメントである。始まってまもなく、いつも以上に身を乗り出して観ている自分がいた。

 製作当時、大阪の出版会社と司馬さんの意向が一致、小学校向け教科書と司馬作品というコラボレーションが実現した。しかしこの教科書を採用する小学校が無かったという。そんな中、瑞穂第一小学校のある先生が「洪庵のたいまつ」を扱いたいと出版社に打診。文章のコピーを得て、授業を進めたのだという。授業は一行一行を読解、解説しつつ進められていく。最後、そんな授業を受けた子供たちによる感想文は、一冊に厚く纏められ司馬さんのもとへ。そんなやり取り、そしてその後が紹介されていた。

 二十六人、全ての子供たちが影響を受けたのかと言われれば、それは当時の気持を持ち続けるのが難しいのは、この番組から垣間見えた。もちろん授業の影響から夢を追う者、歩き始めた者と様々な姿があった。ただ観ていて思ったのが、そんな授業を受けた彼らがうらやましかった事だ。ボクが小学校というと、奇をてらった授業を行うクラスも少なくなかった。そしてそういうクラスに限って、楽しく思えたりする。まぁ、隣の庭ほど良く見える、そんな発想も無い事もないが。しかしながら自分の受けた授業、教科書の散々たる姿を思うと、それは場違いな発想だったかもしれないけど。

 司馬さんが前述の先生との文通、最後に宛てた手紙の中、「変電」という言葉が扱われていた。司馬さんの文章を現場の教師たちが、翻訳してくれる期待を持っていたようだった。もちろんその結果、今回の授業である。感想文のエピソードで、司馬さんの喜ぶ姿が重なるとちょっと涙腺を刺激された。ただ「変電」できる教師、底辺の拡充は不可欠だろう。ひたすら改革を訴える、この国の宰相に欠けているビジョンの一つである。さて番組として興味深かったが、正味45分あるかないか。良質のドキュメントとして、もう少し観ていたかったなぁと思わせた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/02/06

これぞスピルバーグの底力!「ミュンヘン」を観る

 昨日はスティーブン・スピルバーグの新作「ミュンヘン」を観てきた。正直、本作は観に行こうと腰を上げるまでに時間が掛かった映画だ。その理由はいくつかあるが、直近にあの「宇宙戦争」という、何とも『スピルバーグよ、一体どうしたの?』と思うような作品を手掛けたからだ。でも今回、この「ミュンヘン」を観て、ちょっとだけ考え方が変わった。あくまで「宇宙戦争」は本作を作るためのある意味、資金稼ぎのような仕事。「ミュンヘン」のようなテーマの難しい作品を作ろうと思っても、ヒットメーカーたるスピルバーグとて簡単ではないのだろう。

 スピルバーグの作るいい話の部分は好きでない。「シンドラーのリスト」のラスト、ユダヤ人たちが墓前に花を手向けるシーンや、「プライベート・ライアン」の途中からラストにかけていい話を作ろうという意図が見え見えだった。案外面白かった「マイノリティ・レポート」もラストになって、スピルバーグの人の良さが出てしまって興ざめ[予知能力者は3人で隠れて仲良く暮らしました、とさ]。あそこは描かなくてもよかったのでは、と思ったものだ。スピルバーグは得意の子供じみた毒を持っていても、ヒューマニズムという点ではちょっとした余計な仕事が少なくなかった。

 でもこの「ミュンヘン」はとにかく違った。人の良さと感じられるシーンは皆無に等しく、徹底して主人公たち、そして観ている観客さえ冷酷に突き放した。特に主人公のアブナーは、妻を抱きつつもその使命たる悪夢から逃れる事ができない。ど派手なエンターテイメントが目立つスピルバーグらしからぬ描写に唖然とした人も少なくないだろう。この作品には国のイデオロギーのぶつかり合いが描かれているが、意外に人の欲に関しパーソナルな部分に突っ込んでいる。アブナーやパパらの食に対するこだわりにも現れていた。如何わしいパリの謎の組織がルイ、パパ共々、ファミリーな雰囲気とその反面で行なわれる仕事に恐れ入る(ルイとパパを演じた役者さん、とっても良かったっす)。

 エリック・バナの演技も堂に入っており、その表情、葛藤、苦悩が見事映し出されている。「ハルク」の時とは違いますね。ジェフリー・ラッシュはさすがにオスカー級の演技で迫ってくる。最後まで何処かしら怖いです。ダニエル・クレイグは次期007という事で余計に気になったけど、今回のスマートな仕事ぶりは間違いなくボンド向きと思えた。ホント、彼はいいかもしれません。さて本作、スピルバーグらしさという点は後退したかもしれないが、その底力、堅実な演出と映像はオスカー監督らしい手腕だと思った。彼はとことんエンターテイメントするか、あるいは本作みたいにダークで迫るか、極端なアプローチのほうが良いのだろう。

munich

| | コメント (15) | トラックバック (42)

2006/02/05

「インファナル・アフェア」三部作完結...音楽の話だけれど

 やっと「インファナル・アフェア」三部作が完結した...ってもうとっくに終極無間してましたが、あくまで音楽の話です。「インファナル・アフェア」のサントラはシリーズ通して一作に一枚で計三枚。しかし主題歌となるとビヨンドが歌った「長空/Lonely Sky」が第二作「無間序曲」のサントラに入っているのみ。一作目ともなれば、劉徳華(アンディ)や梁朝偉(トニー)のアルバムを介してしか主題歌「無間道」を手に入れる事しかできません。そこでボクはトニー・レオンのアルバム「風沙」を買いました。

 そして第三作「終極無間」の主題歌。これも第一作同様、サントラには収録されませんでした。今回もまたレーベル、権利の関係なんでしょう。幻を見続けるラウ、そしてあのオーディオショップにつながるラスト。そして終演、そこに掛かる楽曲「自作自受」を探すとありました。ジャケットには謎の二人が写り、左麟右李(ズオリン・ヨウリー)の『楽壇双雄』というアルバムが現れた。でもこの二人、いや一方なんだけど何処か見た事がある。

 まず「自作自受」を歌うのは李克勤(ハッケン・リー)。たぶん彼は左側の人物だと思う。だって右側は譚詠麟(アラン・タム)だと気がついたからだ。大昔に観た成龍(ジャッキー・チェン)主演の「サンダーアーム/龍兄虎弟」に出ていた彼を思い出した(ちなみにこの作品はジャッキーが復帰を危ぶまれた大怪我をした作品として有名)。グループ名の『左麟右李』は彼らの名を組み合わせたようだが、ジャケットを見るとその名通りの並びではない事に気づいた。どうでもいいけど、何処か気になります。

 DVD「終極無間」を観つつ、その訳詞を読むととにかく重い。まるで三作に渡るラウの道程を語っているようだ。「自作自受」というタイトルも、その漢字の意味から推測すると、そうした背景が反映されているようにも思える。そして歌詞付の主題歌で作品が終わるのは伝統、如何にも香港映画らしい。適材適所の陳光榮(チャン・クォンウィン)の音楽が映画を盛り上げ、さらに三作ともそれぞれ主題歌で終演。そんな「インファナル・アフェア」三部作の主題歌が好きなのである。

060205

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2006/01/28

「単騎、千里を走る。」を観る

 昨日、綾戸智絵コンサートを観た後、盟友N氏と焼肉を食べに行った。生ビールに牛ホルモン、ナンコツ、塩タン、カルビに仕上げは冷麺。久々の"肉"にそんな席、明日は高倉健さんの「単騎、千里を走る。」を観に行くと話すと、「自分の小遣いと相談、後で」と連絡を待つ事に。彼は今、家を建てている最中、その上所帯持ちのつらさである。とりあえず奥さんの許可を得たとの事、翌日の今日、朝一回目の上映を一緒に観に行くことになった。

 健さんというとボクにとっては「ザ・ヤクザ」「ブラック・レイン」などが思い浮かぶが、そればかりに収まらないのが健さんの魅力。ただ若い層にはピンとこないかもしれない。前日の綾戸っち的に言うと「老若男女の皆さま」とまではいかず、ほぼ埋まった客席のほとんどが年上の方ばかりだった。健さんというと寡黙、不器用(あくまでCMからの発想)というイメージだが、本作もそこを踏襲しつつ、チャン・イーモウによる高倉健作品になっていた。

 ボクはイーモウ監督というと「初恋のきた道」が好きだが、今回はその健さん版といった感じ。あの作品ではまだ当時新人、チャン・ツィイーのアイドル映画の側面を持っていたが、今回監督が熱いまなざしを送る先にいるのが健さんなのである。実際は親子、人々を取り巻くやり取りがもう一方、そのテーマなのだが、監督自身が公言している通り、彼にとって高倉健はアイドル。中国篇で健さんを追う映像は、そんな意思が溢れている。ちなみに国内篇は健さんの盟友、降旗康男監督によるもの。邦画の香りがするのはそんなシーンだけであった。

 とにかく映画は健さん一色だ。アップになる表情、しわ、手のシミ。そして電話に出るときのひと言「高田でーす」は思わず真似したくなる。役名は高田ながら、そこには高倉健その人がいる。でもそれでいいのだと思う。名優には常に新しい役柄に挑む人、そして自らの個性を押し通す人と二つのタイプがある。健さんは明らかに後者だ。作品の持つテーマ、場所、主人公の名を問わず、健さんの映画になる。たぶん健さんの映画を撮る監督さんは皆、健さんその人を撮りたいと思うのだろう。画面からもそんな意思が伝わってくる。

 この作品の弱点があるとすれば、淡々とした地味な作品だということ。極論でお涙頂戴とか、しょっぱい話だと断ぜられるかもしれない。ただドンパチ系、派手な作品に食傷気味なボクに本作は心地良かった。素人を使ったイーモウ監督の演出の巧さ、そこにシンプルなテーマを映していた。また世情と違った中国と日本の関係に疑問を持つ人もいるだろう。ただ親日なイーモウ監督の目を通した健さんとキャストの間には、少なくともウソはあるまい。盟友N氏もウルウル来ていたそうだが、ボクも再び刑務所に戻ったあたりから涙腺を刺激された。ちなみに同じイーモウ監督のDVD「あの子を探して」を観たウチのオヤジが観終わった後、『教育テレビみたいだった』と言っていたが、同じテイストのこの作品を観たら何と言うだろうか?オヤジもまだ若いのかなぁ(苦笑)。

いつもの映画コラムはこちらへ

060128

| | コメント (15) | トラックバック (29)

2006/01/23

ボクは今回で輪舞終曲にしたいと思います

 韓流、華流、映画ファン、そして一部の世間では物議をかもした日曜劇場『輪舞曲』-ロンド-。昨夜、第二章も観たが、最後まで印象は好転しなかった。やはり「インファナル・アフェア」色は薄まらず、より潜入捜査官としての主人公の立場が浮き彫りにされたのみ。家族と拒絶された苦しみ、だがそんな辛さに留まった設定に白けてしまっては、今回の展開にも惹きつけられる事も無かった。気がつけば今回のラスト、ウェンツ瑛士が首を吊って死んでいた。

 パクリでなく「インスパイア・アフェア」(こちらから引用)な点は置いといて、第二章で唖然とさせられたのが、前回にも増して映像エフェクトを多用したところ。合間にバリバリのビデオ映像を銀塩処理、たまに意味の無いカメラワーク(可変速で被写体を追うやつ)を織り込み、映像の新しさを印象付けようとしていた。極めつけは高速道路ではこれ見よがしにCGを用い、「凄いカメラワークでしょう!」と玄人を唸らせようという考えがあったのだろうか。それにしてもCGで作られた車、案外気がつくものですよ。あんなもの、テレビでやるものじゃありません。

 だが何よりチェ・ジウの扱いがぞんざい過ぎる。健気な姉という立場、シン・ヒョンジュンから闇雲に襲われ、時にとってつけたような日本語のセリフを喋らされている。過去、出演した韓流ドラマでは華のある彼女だったが、このドラマでは主演ながら与えられるシーン、今のところはわずか。今回の第二章に至ってはかなり少なく感じた。物語的に常に彼女が絡む事は難しいかもしれないが、それならばむしろ企画倒れだと言いたい。何のために招いた主演女優なのだろうか。

 そして外面だけ体裁を整えても、肝心の中身は前述の通り。とにかく相変わらず物語が弱い。第一章の二時間、そして今回の第二章を介しても、物語の進行は少ない。あのテンポで1クール続けるつもりなのだろうか。また連続ドラマゆえに緊張感もズタズタ。さらに警察、マフィア共にお互いの潜入者を"もぐら"と称し、次回から裏切り者探しが始まるようだが、本家「インファナル・アフェア」では実はそれ程、内通者探しに重きを置いていない。本来、物語が描きたい点で無いからだ。この『輪舞曲』に今もって「無間道」のような深みはない。

 パクリの件は今後も論議されると思うが、それに「すがってまでも」というのが今のTBSの実力なのだろう。何せ一昨年リメイクの名のもとで「逃亡者」を作った彼らが、「24 twenty-four」をパクっていたという顛末もありますから。たとえ「インファナル・アフェア」の認知度が低いとしても、やがて本家のハリウッドリメイクが公開された時、世間的には「あれっ?」って事になるのでしょう。いやその前にこのドラマが記憶に残る作品かは別です。とにかくボクは今回で輪舞終曲にしたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

2006/01/22

日曜劇場『輪舞曲』-ロンド-[第一章]を観て

 遅ればせながら昨日、日曜劇場『輪舞曲』-ロンド-の第一話を観た。マフィア、彼らに潜入する捜査官、そして日韓、国を越えたロマンス。「冬のソナタ」のチェ・ジウが日本のドラマに主演。とはいえ日韓共作ドラマ、もちろん彼女のセリフは韓国語。これから少しずつ、ポイントとなるシーンで印象的に日本語のセリフが使われるのだろう。このような異文化を描くドラマでは重要なポイントである。

 ドラマのTBSと韓流の融合は、フカキョンとウォンビン主演の『フレンズ』以来だが、こちらは連続ドラマ。しかもサスペンス色に複雑な人間関係を与えている。ただそれだけだったらよかったのだが、竹野内豊演じる主人公西嶋ショウが「潜入捜査官」という時点で、オイオイと思ってしまった。これではまるで「インファナル・アフェア」ではないか。警視庁にいる彼の上司、井崎(石橋凌)も、身内の中にもマフィアへの内通者が居る事を第一話にして匂わせていた。確かに竹野内豊のヒゲは無精でないにしろ、トニー・レオンに相通じるところがある。

 これまでもドラマのプロットを映画から得るケースは少なくない。また最近は映画公開、間もなくドラマ化という新しいパターンも生まれているが、それはあくまで映画を原作としてという前提に成り立っている。しかしこの『輪舞曲』の場合、明らかに「インファナル...」のプロットをそのまま頂戴とは言わないが、明らかに大きな影響を受けているわけで、あの屋上のシーンまで登場。ケータイを多用するところやBGMの雰囲気まで似通っていて、それが不快に思えてしまった。野島伸司ドラマの一部には「やり過ぎでは?」というパクリもあるが、同じくらいにつらく感じた。

 ただ悪いドラマではない。相変わらずチェ・ジウは魅力的だし、いろんな人が絡み合い、このドラマを形成している。特に冒頭に述べた通り、異文化のぶつかり合いはお互いの国を知る上で大事なこと。下町、アンダーグラウンドな社会、そして言葉。韓流との融合ながら、演出やドラマぶりはTBS流に収まってる。もちろんドラマの印象は今後の展開で充分好転する事もあり得る。とりあえず今夜の第二話以降を観て、その判断をしていきたい。

060122
「インファナル...」のトニー・レオン(右)、似てませんか?

| | コメント (9) | トラックバック (6)

2006/01/18

楽園のドア

 先週、金曜ドラマTOKIOの松岡クン主演の「夜王」の第一回を見ていたら、久々に南野陽子が出演していた。ホストの大口顧客、エステサロンの社長という役柄。ちょうどビジネスパートナー役には伊藤かずえが配役され、ついかつての大映テレビ「アリエスの乙女たち」を思い浮かべてしまった。彼女たち二人とも、最近は二時間ドラマに出演するなど、かつてのアイドルも今はすっかりバリバリの中堅女優さんである。

 ボクら世代、南野陽子というと「スケバン刑事」二代目麻宮サキ。その劇場版「スケバン刑事」の主題歌は「楽園のドア」だった。正直、彼女の歌は上手くない。しかしルックスとそのイメージにあった楽曲を歌う事が重要。それがアイドルがアイドルたるゆえんだった。しかし今、アイドルという存在自体、死語なのかもしれない。モーニング娘。もかつての勢いを失い、アイドル界全体が低年齢化、ボーダレス化、アイドルという言葉は失われつつある。そんなボクらに古きよきアイドルソングが「楽園のドア」だった。

 今やドアといえば『ライブドア』である。しかも日本経済だけでなく、海外市場を巻き込んで、株価を下落させる『ライブドア・ショック』を引き起こした。ホリエモンの野望は「ヤフー越え」であったが、その知名度だけはヤフーに肉薄、いや国内だけなら充分と叶った形。しかしながら昨年までの時代の寵児も、今は完全に市場のヒール(悪役)として悪しき歴史を残す事になった。たった一社の事件をきっかけに、わずか三日で東証株価平均を千円近く下落させ、企業、そして投資家を窮地に追い込んだ。

 これまで度重なる株式分割の果て、そのたび多くの個人投資家がライブドア株に殺到。それは打ち出の小槌、人気のIT株という条件に加え、ホリエモンのネームバリューにすがる、すなわち彼らにとってはそんな「楽園のドア」だったのである。しかしそんな楽園も地獄の様相。売るに売れない事態、上場廃止も噂されているからだ。そんな今、彼らの恨み節が聞こえてくる。ホリエモンは昨年末の流行語大賞受賞の席で、「また来年も...」とコメントしていたが、今年早くも『ライブドア・ショック』で見事ノミネートとなったとさ(ウソです)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/01/15

「THE 有頂天ホテル」を観る(少々ネタバレあり)

 おとといから、風邪で両親共にダウンしてしまった。家族が一人でも病気になると大変なのに、二人もとなると心許ない。今日も朝からおかゆを作り、お昼のご飯を準備。そして「THE 有頂天ホテル」朝一番の回に行って来た。そんな最中に映画なんてと思われるでしょうが、両親も幾分か良くなってきたので。なお家から映画館まで僅か15分に満たない距離、映画を観てすぐに帰宅している。それに今日はこちらの映画館独自の『千円の日(ジョイランドの日)』だった事を知り、少し気分だけは特をした。もちろん映画の中身を含めてもね。

 まずはいつもの当たり前な感想はこちら、ここではこの作品のハマったところに触れてみたい。何にハマったかといえばそれは「ニン!」、伊東四朗である。たぶんこの映画、観た人それぞれ気になったキャラがあると思うが、ボクにはベンジャミン伊東、いや伊東四朗なのである。古くは「お笑いオンステージ」や「みごろ!食べごろ!笑いごろ!」、そしてドラマ「ムー」「ザ・チャンス」へと続いていく。今ではベテランの域だが、元々はてんぷくトリオで生粋のコメディアン。伊東さんにとって今回の作品は、その原点に帰ったような役柄であった。

 そんな役どころは作品の舞台である、ホテル・アバンティの総支配人。別に「ニン!」が付くからではない。この作品の合間に登場、その展開が可笑しくハマってしまった。
「今...にいる。洗顔クリームを持ってきてくれ」
その決めゼリフと真面目な表情。もちろんこの顔は伊東さんでしか成り立たない。ボクにとっては昔、小松政夫とコントをしていた伊東さんの姿が重なった。そして三谷さん。伊東さんにこんな顔をさせるなんて、この作品の成功は約束されたものです。そしてボクにとって三谷映画三作目にして、心から面白いと思える作品となりました。ボクにとってこの作品の最優秀男優賞は、伊東四朗です(女優さんはみな素敵でした)。

 もちろん伊東さんに限らず、「ガイアの夜明け」を地で行く役所広司の演技、意外性の佐藤浩市、謎を残した『くねくねダンス』他、笑いのツボを突くアイテム、エピソードが数々登場。またこれだけの数のキャラを余す事無く使い切り、そして極上の群像劇に仕上げられた。確かに100パーセントの傑作ではなく、何処かしら欠点はあったりする(例えば唐沢寿明の使い方の物足りなさ、やや長めの上映時間など等)。でもそれを上回るくらいの楽しさと笑い、夢と希望を秘めている。是非、新年の初笑いを、と思われる方にこの作品をオススメしたいと思います。そして皆さん、今年の風邪にはくれぐれも注意しましょう。

060115

| | コメント (20) | トラックバック (51)

2006/01/13

新作登場、木曜ドラマ激戦区を観る

 昨日の木曜午後9時10時、ここで三作の新作ドラマが始まった。テレビ朝日は松本清張の「けものみち」、フジは柴門ふみの「小早川伸木の恋」、そしてTBSは東野圭吾の「白夜行」と中身の濃いラインナップ。しかも「白夜行」は初回二時間という力の入れよう。さらに「けものみち」は60分オーバーで、「小早川伸木の恋」の冒頭数分を観る事ができなかった。したがって当日三本をすべて観るのは不可能なタイムテーブル。とりあえず「白夜行」はレコーダーに残し、先に「けものみち」「小早川伸木の恋」の順で観る事にした。

 「けものみち」は遠い昔、NHK土曜ドラマ、和田勉演出で観た記憶がある。当時、松本清張フリークの両親と一緒に観ていたと思う。タイトルと名取裕子が出ていたのはおぼろげに覚えているが、それ以上頭に残っていない。いや残っていたら大変な事だ。そしていま今回の「けものみち」を観て、こんなにも官能的な描写(NHK版にもあったとの事)があったのかと驚いたほど。もちろん僅かなものであるが、そのチラリズム