「ロザリー」を観る
今日は「ロザリー」を観て来ました。生まれた時から多毛症だったロザリーの姿を描いた作品。作中、時代は明確にされていませんが、チラシによると1890年のようです。ただそれは重要でなく、むしろ時代が移り変わってもその背景は今も変わらない事を知らされます。
舞台は遠方の村、カフェを営むアベルの下へ嫁いできたロザリー。戦争で傷を負ったアベルに金を渡すロザリーの父。それだけで不穏な雰囲気が流れますが、ある日アベルはロザリーの体に触れた瞬間、その姿に拒否を示します。それが多毛症であり、やがてロザリーはカフェのために身を削るある事を実行するのですが…
この映画は「サブスタンス」と同じルッキズムを扱いつつ、アプローチは真逆です。しかも物語は多層構造で村カースト、人が織り成す情報、嫉妬、そして夫婦関係までが描かれていきます。特に夫アベルに対し、ロザリーが発した「孤独」というセリフが刺さりました。
前述の通り、そのまんま今に繋がる物語。村の中でロザリーの存在、行動は異分子。好奇心を持って迎え入れた人々も村の有力者の言葉一つで態度を変えていきます。ロザリーの孤独が更なる行動を掻き立てる事になりますが、ネット時代で言えば炎上行為。でもロザリーの気持を察すれば止める事もできません。
そして映像のタッチに惹き込まれました。日本の時代劇だとセット感があったり、VFXで誤魔化されたりと映像に厚みを感じ難いものですが、この映画はフランス、ベルギーの合作で映像を通して時代性が伝わってきます。文化、建物、風景と違和感無く、写真、新聞が始まった時代設定も絶妙でした。
個人的にはこの作品は夫婦の物語だと思います。どうしてもポスタービジュアルのインパクトが強過ぎてそこばかりに目が行きがちですが、紆余曲折の末、二人の演者(ナディア・テレスキウィッツ、ブノワ・マジメル)ともども心が近づいていく過程が良かったです。
| 固定リンク



コメント