「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」を観る
今日は「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」を観てきた。
本当は盟友N氏と観る予定だったのだが、彼が突然「ブルータリスト」と日程を入れ替え、本人は先に本作を観ていた次第。車で迎えに来た時、ひと言でも触れなかったら劇場でパニックになっていた。ちなみに同じシネコン、開始時間も似た感じなので大事に至らなかったが。SMSを介して連絡しているが、時々閉じているN氏。ちゃんと常時開いておいてくれよ。
さて本題。この作品はイスラエルの一集落、ヨルダン川西岸のマサーフェル・ヤッタの出来事を追ったドキュメンタリー。活動家だった父の下で育ったバセル、そしてマサーフェル・ヤッタを訪れた人権派イスラエル人ジャーナリストのユーバールらの活動が描かれる。
イスラエルとパレスチナ問題の発端は一朝一夕にあらず、古代から綿々と続いてきた。だが今を生きる人々はその軋轢に巻き込まれ、生活の場を追われる。国家権力を盾に立ち退きの強要と住居を破壊していく。力に屈する者は離散、この映画は抵抗する者たちの記録となる。
マサーフェル・ヤッタの人々は生活の場を求めているだけ、野菜と家畜を育てる静かな生活。だが重機と銃器を持って静寂を断するイスラエル側。無抵抗の者に銃器…この映画の中でも二人が銃弾に倒れた。その怪我で息子が四肢麻痺に陥った母親の苦痛。西側メディアも取材に訪れるが、物見遊山な面は否めない。
イスラエルは彼らの苦痛を受け止めなくとも、世界的有力者(某国首相とか)の意見は受け入れる。第二次大戦後の国の成り立ちからすれば、そうした本音と建前の使い分けは心得たところだろう。一方でマサーフェル・ヤッタの教育の場をブルドーザーで破壊、子供たちが泣き叫ぶ。
そうした政治力をもって今のガザ地区侵攻に至る。この映画の重機、いや銃器がミサイルに替わっただけだ。この映画も再開されたガザ侵攻の始まりで終わっていく。この映画の出来事の全てを受け入れるのは難しくとも、知る事は大事。そして知の場を奪う光景は許せない。学びを奪う事で同時に抵抗力を奪いたいのだろう。
この映画が一石を投じた事、その波紋に期待したい。
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