「ぼくのお日さま」を観る
今日は仕事帰りに「ぼくのお日さま」を観てきた。第77回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門正式出品…とはオープニングで知ったが、先週の佐久間宣行ANN0のエンタメコーナーで採り上げていた事が観るきっかけに。吃音のある少年がフィギュアスケートと出会い少しずつ変わっていく姿を描く。
舞台は日本だが、洋画の雰囲気を持つ作品。岩井俊二作品のようでやはり違う。主人公の少年タクヤの「お日さま」とは、それを示すような映像表現。主人公の技術向上と共にその成長が画面を通して伝わってくる。コーチを演じた池松壮亮を含め、違和感無くその姿に見入ってしまう。
そして映画は多くを語らない作風、説明的な描写もない。北の町としつつも具体的な舞台は不明。また時代設定も不明確。ただ一つ、内気な主人公がフィギュアに取り組む姿が清々しい。それこそ池松演じる荒川がタクヤの姿に魅せられたわけで、彼にとっての「お日さま」だったかもしれない。
佐久間Pがラジオで本作の描く多幸感を語っていたが、それは諸刃だという点も忘れてはならない。たった一つの出来事で関係性は脆く崩れてしまう。またそれは思春期特有の脆さ、残酷さと重なる。ただ主人公たちにフィギュア(あるいは….)との出会いはかけがえのないものだとラストに繋がってくる。
多幸感の象徴が凍った湖のシーン。ここで描かれる姿に年齢も性別、立場の壁はない。この瞬間が永遠でないところも人生の難しさであるかと。
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