「プリズナーNo.6(09)」を観る
オスカー監督となったクリストファー・ノーランの次作にあの「プリズナーNo.6」リメイクの噂が出てきた。それで思い出したのが、2009年に製作されたリメイク版ドラマ。これを2016年11月に観た時の文章が出てきた。あげてなかったのでアップする。以下、当時の原文ママ。
先日イマジカBSで放送、録画してあった「プリズナーNo.6('09)」全6話を観た。60年代後半に放送されたオリジナルに魅了された身としては、どのようにリメイクされているかが気になっていた。ただそんな期待も不安、今や不満が大きく上回ってしまう結果だったような気がする。
渓谷の真ん中で目が覚めた男。傍らには老人がいた。老人は「脱出した」と男に呟くも間も無く死ぬ。そこから逃れるように進む男がたどり着いたのは”村”と呼ばれる場所だった。村の長が現れ路頭に迷う彼を「6」と呼ぶ。この村は人の名が番号で呼ばれた場所だったのだ。6は村からの脱出を試みるため、長であるNo.2と対決する。
ストーリー紹介だけでいけばオリジナルと同じと思うだろうが、あくまでそれだけ。ティム・バートンがリ・イマジネーションした「猿の惑星」のような作りになっている。一部設定だけオリジナルに範をとっても内容は全く別物と言っていい。特に時系列、舞台は二転三転するため、観る者の混乱を誘うが、その理由も最後まで見ると解ってくる。ただその作り、演出が成功しているとは言い難い。
とにかくこの作品はオリジナルにあったユーモアがない。ほんと欠片もない。No.2演じるところのイアン・マッケランが僅かながらそれを受けるがほとんどシリアスで暗い。痛々しく主人公演じるジム・カヴィーゼル共々、物語を観ている側としては息苦しくなる。
そんな物語は第4話ぐらいまでエンジンも掛からず、テンポも悪く正直苦痛に感じたほど。リ・イマジネーションされ、映画「マトリックス」以降の世界観、映画「インセプション」に近似するコンセプトであるが、出来が伴わず非常に勿体ない。
そもそも本作に「プリズナーNo.6」のタイトルは必要だったのだろうか。オリジナルにあった組織との戦い、No.2との頭脳戦、そして自分、自由とは。不条理というオブラートに包んだこれらのピースが、残念ながら今回のリメイクでは微塵も感じられなかった。
リドリー・スコットによる映画版リメイクの噂も出ているがどうだろうか。改めてパトリック・マクグーハンの構築した「プリズナーNo.6」は自分にとっていまだオンリーワンな作品だと痛感させられた。
さてバック・トゥ・ザ・現在。当時はリドリー・スコットがリメイクしようとしていたけど、今は「エイリアン」にご執心。ノーランが「プリズナーNo.6」に手を挙げたのは必然。「インセプション」「テネット」を生んだ想像力がマクグーハンのメッセージを引き継いでくれると期待したい。
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