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2023/09/10

「レザボア・ドッグス」を観る

今日はクエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」を観た。1992年公開のアメリカ映画。タランティーノのデビュー作品ながらも一躍その名を世界に知らせた。タランティーノは監督、脚本、出演と三役をこなし、ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、スティーヴ・ブシェミらキャストが名を上げた作品でもある。

実を言うとこれまでこの作品は未見だった。理由はこの作品のキモ、裏切り者が誰かを(人から聞いたか、ネットだったか...)知ってしまったからである。この手のクライムサスペンスでネタバレは御法度。「レザボア・ドッグス」のタイトルを聞くたびに「XXXXなんだよなぁ」と脳裏をよぎり、つい観ようとする気が失せてしまっていた。

でもこの金曜からタランティーノのドキュメンタリーの公開が始まり事態は変わった。やはりデビュー作を見ずにそのドキュメンタリーは観る事ができまい。作中最もフィーチャーされるだろうし。そして観終わってそんな事は杞憂に終わり、さすがタランティーノとその内容に唸った。

語り口はその後のタランティーノ作品の原形。意味のあるようで無いようなセリフの羅列、だが物語そのものがトリッキーで部分部分のインサートにやがて全体像が見えてくる。そして衝撃的なラスト。映画ファンならこんな作品を作ってみたいと夢想するだろう。タランティーノ自身映画オタク中のオタクであり、まさに本作はその結晶。

本作はタランティーノ監督作の中でも最も短い100分の作品。登場人物も限定的で舞台劇然とした雰囲気もある。特に犯罪作ながら強奪シーンはほぼ出ずにわずかな暴力描写と膨大な"意味のあるようで無いようなセリフ"で描き尽くす。冒頭、濃密な関係性を匂わしつつ、実は...というところはタランティーノの構成力。むしろキモはこちらのほう。

時系列に頼らない物語の組み替えは次作「パルプ・フィクション」でより進化していくが、その骨格は本作にも感じられる。だけどクセになるのはやっぱり"意味のあるようで無いようなセリフ"何だよなぁ。本作でもパム・グリアの名が出てしまうと「ジャッキー・ブラウン」を観たくなる。いや、観た事ないタランティーノ作品って多いんだけどね。

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