「レザボア・ドッグス」を観る
今日はクエンティン・タランティーノ監督の「レザボア・ドッグス」を観た。1992年公開のアメリカ映画。タランティーノのデビュー作品ながらも一躍その名を世界に知らせた。タランティーノは監督、脚本、出演と三役をこなし、ハーヴェイ・カイテル、ティム・ロス、スティーヴ・ブシェミらキャストが名を上げた作品でもある。
実を言うとこれまでこの作品は未見だった。理由はこの作品のキモ、裏切り者が誰かを(人から聞いたか、ネットだったか...)知ってしまったからである。この手のクライムサスペンスでネタバレは御法度。「レザボア・ドッグス」のタイトルを聞くたびに「XXXXなんだよなぁ」と脳裏をよぎり、つい観ようとする気が失せてしまっていた。
でもこの金曜からタランティーノのドキュメンタリーの公開が始まり事態は変わった。やはりデビュー作を見ずにそのドキュメンタリーは観る事ができまい。作中最もフィーチャーされるだろうし。そして観終わってそんな事は杞憂に終わり、さすがタランティーノとその内容に唸った。
語り口はその後のタランティーノ作品の原形。意味のあるようで無いようなセリフの羅列、だが物語そのものがトリッキーで部分部分のインサートにやがて全体像が見えてくる。そして衝撃的なラスト。映画ファンならこんな作品を作ってみたいと夢想するだろう。タランティーノ自身映画オタク中のオタクであり、まさに本作はその結晶。
本作はタランティーノ監督作の中でも最も短い100分の作品。登場人物も限定的で舞台劇然とした雰囲気もある。特に犯罪作ながら強奪シーンはほぼ出ずにわずかな暴力描写と膨大な"意味のあるようで無いようなセリフ"で描き尽くす。冒頭、濃密な関係性を匂わしつつ、実は...というところはタランティーノの構成力。むしろキモはこちらのほう。
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