Netflix「カウボーイビバップ」を観る(ちょっとだけネタバレあり)
今日、Netflix「カウボーイビバップ」シーズン1を日本語吹替で観終わった。実写版として期待より不安が大きかった。そんな先日、早々次シーズン製作キャンセルの報。しかも話を観進めるにつれ改悪ばかりが目立ってしまったので、個人的にやむ無しと思う。
世間ではキャスティング云々と言われているが、演者の年齢やポリコレと製作発表時に判っていた事。まして日本のファンなら吹替で観てしまえばその問題は小さい。むしろ問題は別のところにある。
その一つは物語の改変だ。スパイクの好敵手ビシャス、そして謎の女性ジュリアが全10話に登場。製作者がこのシーズンはスパイク、ビシャス、ジュリア3人の物語ですと宣言した事になる。
これで物語が面白くなればいいが、残念ながらそうならない。キャラの立場さえも改変した。さらにアニメ版で行間を読むように扱った3人の関係が余計な描写とセリフで台無し。しかもスパイクに「フィアレス」なんて名を与えなくてよかったのに。
この余波は他にも及ぶ。アニメ版で一話毎、さらっと扱ったキャラ達が何度も出てくる。ジェットに子が居るし、ビシャスはそれをスパイクを呼び出す人質に使う。だが最も余波が大きかったのは4人目のビバップ、エド。最終話、最後の最後に登場。「これなら!」と思わせ、もっと早く出てればシーズン1全体を面白くする存在だったかもしれないのに。正直、出し惜しみが仇になった。
もう一つは音楽。タイトル通り、ビバップ最大の魅力は音楽と言っていい。Session 1でも指摘したが、あくまで菅野よう子の音楽が前提。オリジナル(アニメ版)は曲先での楽曲制作のように物語が紡がれていた。だがこの実写版は物語優先で音楽の後付け感が強かった。もっとアニメ版の音楽=物語をリスペクトして欲しかった。
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