「ホドロフスキーのDUNE」を観る
TwitterのTL上に現れたのがきっかけで、ドキュメンタリー映画「ホドロフスキーのDUNE」をAmazonプライムビデオで観た。
デビッド・リンチ版公開から遡る事10年以上前。アレハンドロ・ホドロフスキー監督を中心にフランク・ハーバート原作のSF大作「DUNE」映画化が計画されていた。だが監督独特の作風に加え、膨大な予算に大手映画会社は製作に消極的。やがて企画は頓挫していく。本作はその過程をホドロフスキー自身、関係者のコメントから振り返る。
「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」でカルト的に知られたホドロフスキー監督。彼は企画実現のため、様々な人材やキャストを採用していく。特にキャスティングされた大物に驚かされる。監督のイマジネーションが引き寄せ、交渉の末に契約。だが底なしの交渉に予算は逼迫を来たす事になる。
頓挫した理由。それは当初より大きくなった予算に加え、作品が長尺となってしまった事。ホドロフスキー曰く10時間でも足らない。今ならテレビシリーズや配信等の選択肢もあるが、当時は芸術性より興収を重んじる映画会社は手を引かざるえない。結局ディノ・デ・ラウレンティスの手を経て、デビッド・リンチが映画化する事になる。
デビッド・リンチ版の感想で「その後のSF作のエッセンスが詰まった感じ」と書いたが、このドキュメンタリーを観ると原作というよりホドロフスキーの企画そのものにあったのだと思う。ホドロフスキーが交渉のために用意した分厚い企画書は大手映画会社に配られたという。内容とクオリティが素晴らしい。このまま映画化されたら歴史が変わっただろう。
もし...のない現在でもその影響は計り知れない。それはホドロフスキーが招へいしたスタッフで判る。ダン・オバノンにH.R.ギーガー、そうあの有名SFシリーズのキーマンである。ホドロフスキーの先見性と人材の惹きがなせる業。
今もホドロフスキーは映像化の夢を諦めていない。アニメーション問わず、自分の死後でもいいと言う。あれ程の企画書、設定資料、ストーリーボードがあれば不可能ではあるまい。映像化権さえあれば、Netflixあたりがやってもおかしくない。
印象的なのはデビッド・リンチ版を苦悩の末観たホドロフスキーの心境とその変化。悲喜こもごもの回顧に感情移入。そして未完であるホドロフスキーの「DUNE」こそ映像化の最高傑作(予定)なのかもしれない。
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