「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を観る
緊急事態宣言明け、2ヶ月ぶりの映画館へ。そこで「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」を観てきた。コロナ禍で公開が一年以上先送りになったダニエル・クレイグ最後のボンド作品。だからこそ物語共に花道を迎える。やっと「カジノ・ロワイヤル」に並ぶ作品が出てきた。
ブロフェルド逮捕の後、愛を深めるボンドとマドレーヌ。だが彼らには今もスペクターの手が伸びていた。その理由と疑念の下、マドレーヌと別れるボンド。5年後、ある研究所から特殊なウイルスが盗み出された。そしてダブルオーを辞職したボンドに親友フリックス・ライターから連絡が入る。
15年前、ダニエル・クレイグの初登場「カジノ・ロワイヤル」は鮮烈だった。当時は「ボーン」シリーズに代表されるアクション回帰の流れ。クラシック・ボンドらしい大味感を備えつつ、徹底したアクションで見事応えた。
ただその後がダメ。世間的に評価を得た「スカイフォール」でさえ物足らなかった。まして二作目「偽りの報酬」に前作「スペクター」はシリーズと原作の世界観を台無しする出来に思えた。ずっとボンドが好きだという動機、007の様式美が無かったらとてもじゃないが観ていられなかった。
そして今回「ノー・タイム・トゥ・ダイ」(死ぬ暇もないという意味)というタイトル。これまで「これが最後のボンド」と謳って演じた俳優はいない。本作を観終えた今、それらの背景が反映された結末だと感じる。それでもまだ気持ちを鷲掴みされる事は無かった。
だが、その直後に流れる聞き覚えのあるイントロ。瞬間、涙が溢れてきた。物語を含めて禁じ手とも思しき二度と使えない演出。60年近い歴史を持つボンドシリーズ、それを知る身だから琴線に触れる。エンドロールの流れる中、ここで心を掴まれるとはあのボンド作品と同じでは無いか。きっと観客のボンド歴で本作のツボは違うのでは無いかと思う。
実はその伏線を感じていた。物語の中盤、さりげなく流れるフレーズに気づく。スコアを手掛けるのは大作引受人ハンス・ジマー。でもこれがとてもいい仕事。ジョン・バリーやデビッド・アーノルドのようなボンド映画の王道を踏まえつつ、彼らしいオケを聴かせる。これだけで本作に没入できた。
アストンマーチンの使い方も時を追う流れで巧く、それぞれに見どころがあった。ガジェットはソニーの手を離れ、007らしい大人の遊び心が戻った。ボンド映画は物語を含め、荒唐無稽とリアルのバランスが大事。本作はその点でもマル。加えて歴代Mの絵画が出てきた時は堪らなかった。
キャリー・フクナガ監督の演出はボンド映画のピースに溢れている。セリフの数々にもそれを感じた。原語でわかればより楽しめただろう。M、Q、マネーペニーにダブルオーらによる群像劇。ヒロイックを感じるのは観客だけ、ボンドとある諜報員との会話はまるで現代を映すようだ。
同じくレミ・マレック演じるラスボスも現代的でこれ以上無い悪。だからこそボンドを追い詰める事になる。そのアジトはまさにボンド映画というロケーション。対照的に和を意識したビジュアルは監督のオリジンだけでなく「二度死ぬ」を感じずにいられない。
本作は総じて出来がいい。長尺でお尻が痛くなっても気にならない。ただ一つ惜しまれるのはアナ・デ・アルマス。彼女とっても良かったです。むしろもっともっと観たかったけど、この物語と構成では仕方無いか。
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