映画「スティーブ・ジョブズ」(2013年公開:日本語吹替版)を観る
Netflixで「スティーブ・ジョブズ」を日本語吹替版で観た。今回観たのは2013年に公開されたアシュトン・カッチャー主演のもの。ガレージから会社を起業、一代でAppleをIBMに対抗するコンピュータ企業に成長させた姿を描く伝記映画。
映画として内容はオーソドックス。これまでジョブズのドキュメンタリーはいくつも見たが、残念ながらこの映画はそれらを超える事は無い。ただドキュメンタリーならナレーションで終わるものを、当事者たちが目の前でどのような葛藤、判断があったのかが繰り広げられる。ジョブズの冷淡ぶり、一方で喰らう仕打ち。そしてAppleへの復帰。体制を整えたジョブズの姿をもって映画は終わっていく。
映画の見どころはキャスティング。主役のアシュトンはもちろんの事、登場人物が皆そっくりぶりに驚かされる。盟友ウォズニアックも激似。意外だったのが、ジョン・スカリーを演じるマシュー・モディーン。かつてのYAスター、「プライベイトスクール」や「ビジョンクエスト」観たなぁ。エンドロールで彼が演じてる事に初めて気づいた。あとAppleの出資者を演じるJ・K・シモンズのカツラ姿が何とも微妙で可笑しくて。
映画を観て改めてジョブズに関し思う事。本当、才能に恵まれた人だと思う。それはジョブズ本人だけでなく、周りの人々についても。ウォズニアック無くしてジョブズはコンピュータを作る事は無かったろうし、その後の拡大は才能多き人々ありき。ただそこにジョブズの舵取り=カリスマが航路を導き出す。Appleを追い出されNeXTでの一頓挫は映画の中で一瞬。実はこの時を追ったドキュメンタリーにジョブズの本音が見えていたりして。
あとジョブズらしい哲学、美学に共鳴する。ウォズニアックの半田付けに美しくないと諭したり、シンメトリー重視の助言をしたり。物事、システム、人間関係に至るまで無駄を省く事に美が生まれる。映画の中、そして現実、ジョブズの判断の速さは理にかなっている。コロナ禍の今、果たしてジョブズならどんな言葉を発するのだろうかと思う。
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