「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」をおかわりする
ふたたび「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観てきた。当初目的だったIMAXが全てコナン新作に奪われてしまい、仕方なく通常スクリーンで再見。公開後、本作絡みで色んな情報が出てきてその答え合わせもある。ただそれを意識したのも最初だけ。二度目のシンエヴァはやけに沁みた。
冒頭のパリ戦。マリのセリフ「第4波は多勢に無勢」はまるで今、この瞬間を物語るよう。彼女の口ずさむ歌は全て昭和生まれ。何気に感じる昭和感はマリのせい。新劇場版は宇多田ヒカルのED曲を除けば、スコアも含めて昭和の曲が多い。スコアは鷺巣詩郎一色だが、楽曲セレクトは監督が知った曲を使うタランティーノ的アプローチだと気づく。
余談だが、吉田拓郎さんやユーミンさんがそれぞれのオールナイトニッポンGOLDで、自分の曲がシンエヴァで使われている事に感謝を述べていた。特に拓郎さんは世代を超えて歌われる事こそ上京する理由と結んでいただけに、さりげない曲の使われ方と相まってリスナーとしても感慨深い。
もちろんNHK「プロフェッショナル」を見た後だから、アングルのこだわりに目が行く。戦闘シーン以外は止め絵風のカットは多いが、庵野さんの言う通りに飽きさせない。それだけに第三村のシーンはセリフ、そのやり取りに聞き入ってしまう。ここで観客の心を動かさなければ、シンジは最終決戦での覚悟に至らないだろう。シンジ=観客の物語でもあるから。
エヴァとは成長と覚悟の物語。そもそも成長するとは覚悟が必要。特にシンエヴァで描かれるのは責任を持つという覚悟だ。ミサトや加持の最後の決断は子供たち、家族や同志のために身を投じていく。いつの間にかシンジではなく親目線でエヴァを観ているとは。シンジを抱きしめるミサトを見てつい涙腺が...一度目の鑑賞では泣かなかったのに。
現実、今はコロナ禍。仕事をする、家族を守るのも簡単で無くなった。そのための覚悟は持っていても、もっと大きな力がそれを許さない。本来覚悟を持って欲しいのは政府や社会だ。第4波と1年間無策の歯痒さ。いまだオリンピックと聖火リレーに現(うつつ)を抜かす背景、そんな気持ちが交錯してつい悲しくなったのかも。
さて世間ではゲンドウが吐露し過ぎと言われる点だが、今回観るとそうは思わない。テレビシリーズ、旧劇とシンジ以外、救済されているとは言い難かった。その中で人類補完計画の主犯、ゲンドウの真意を引き出す事こそ、シンジの成長と言えるのではないか。第三村でケンスケがシンジに問うセリフあっての成長と覚悟。
確かにシンエヴァは旧劇のような驚きは少ない。あの映像と衝撃には敵わないから。ただ旧劇に無かったもう一度観たいと思わせる何かがある。繰り返しの物語と言われたエヴァに「気持ち悪い」と突き放されて終わった旧劇。旧劇と同じ結論もそれを大きく超える清々しさ。実はシンエヴァとは我々の成長を映す鏡ではないだろうか。[終劇]
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