2020年なので「AKIRA」を観る
2020年なので「AKIRA」を観た。本当はIMAX版を観るべく休みを取っていたが、ご存知の通り。金は賭けても命は賭けない。それが社会的責任。そこでシネフィルWOWOWで録ってあったバージョンを観る事にした。
物語は省略。かつて長岡鉄男さんが本作のLD評に「オペラやクラシックのようなもの」と書いてあったような。実に的を得ていたと覚えている。そもそも物語を追うような作品ではない。身を委ねて感じる作品なのだ。
「AKIRA」は実家の70インチでLDが擦り切れる程に何度も観た。LD盤のジャケットは今見ても最高だし、音は非圧縮デジタルサウンドのLD版が至高。10年ぶりに全編通してみると新たな発見、様々なメタファーが感じられる。
3.11を経験したからかもしれないが、制御できないエネルギー(実験体)はまさに原発。今般の(人為的変異と言われる)コロナウイルスをも思わせる。人類の手に余る力を制御しようと試みる、そして跳ね返される。そのトリガーたる鉄雄でさえ、最後は光に包まれ逝っていく。そこに至る勢い、描写は今見ても素晴らしい。
この作品で明確にしているものは若者と老人たちの対比だ。鉄雄の暴走を止めるべく動く金田、ケイにナンバーズ。世を憂いた大佐も同様。対して彼らを裏で操り私腹を肥やす政治家。「未来を作るのは老人ではない」はシャア・アズナブルのセリフだが、変革を求める時に必要なのは若い力。「AKIRA」でも同様に描かれている。
今般、コロナウイルス対策に出てくる人々は政治家も専門家会議も年寄りばかり。緊急事態宣言が遅れたのもそうした影響では。対照的に危機感を露わに先導するのは、北海道の鈴木知事や大阪の吉村知事のような若い力。果たしてその先に待っているものは....
閑話休題。今観ても「AKIRA」は凄かった。一方で大画面で観るべきだと再認識させられる。手書きアニメの限界たる繊細さ、動き、迫力ある構図、そして芸能山城組の音楽。大画面に大音量、それこそ映画「AKIRA」を嗜む流儀だと思う。
今は劇場へ行くのを諦める。だからこそIMAX版「AKIRA」にはコロナウイルス終息後、再上映をお願いしたい。「AKIRA」にはコロナを終息させる力を秘めているから。
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