東京競馬場で第38回ジャパンカップを生観戦する
今日はウマ組合の盟友と会うため、東京競馬場でジャパンカップを生観戦してきた。仕事で前日の宴には参加できなかったが、当日入厩でメンバー4人での観戦となった。
観戦場所はダービー同様、盟友S氏の元同僚が譲ってくれたそうで、ゴール100メートル前の絶好の位置。ダービーの本馬場入場ではかなり近い位置で撮影できた。
さて前日に出馬表を印刷し、おおよその買い目を決めていた。5レースから馬券を買うつもりで、午前は東京競馬場を散策。実は敷地内の競馬博物館で、武豊騎手のJRA通算4000勝記念とメジロ牧場の足跡を振り返る二つの展示が行われていて、どうしても見たかったのだ。中は撮影禁止なので、入り口だけパシャり。
まず武豊騎手の展示は彼の足跡であると同時に、我々の競馬歴とほぼダブる。一つ一つの勝ちが、我々の馬券になったりならなかったり。ただそれらレースと記憶に残る出来事を思い出すたび、競馬ファンとして何か嬉しくなる。まだまだ頑張って欲しいし、武豊のいない日本競馬は考えられない。今年のジャパンカップの騎乗馬が無くなってしまったのは残念だ。
一方、メジロ牧場の展示は歴史の長さ、そしてオーナーブリーダーとしての足跡を振り返ったもの。一つの時代を作り、名馬の血を繋げていった。有名なアサマーティターンーマックイーンの天皇賞親子三代制覇、初の牝馬三冠、長距離王国を揺るぎないものとした反面、サンデー以降の血統勢力を跳ね返す事ができなかった。
記憶に残る出来事といえば、秋天のマックイーン降着に尽きる。その後、瞬発力勝負でJC、有馬と苦杯を舐めることになる。だがそんな馬が京都のコースレコードを叩き出して引退、オルフェーヴルの母父として脚光を浴びるとは。馬産地として余力のあるうちに牧場を畳んだ事は残念。だが現在の競馬界を見れば賢明な判断だったのだろう。武豊、横山典弘、吉田豊を育てた事も忘れてはならない。
展示に見入って競馬の奥深さを再認識した次第。東京開催は終わったが、展示は続くため、機会があったら如何でしょうか。(武豊展は12月9日、メジロは来年2月17日まで)
さて馬券に戻り、5レースからスタートとしたものの、5、6、8、9レースは鳴かず飛ばず。ゆえにやる気満々だった7、10レースは見。周りから赤の他人の「当たった」という言葉が心に刺さり、モチベーションは下がるばかり。11レースのジャパンカップはキセキ、アーモンドアイの3連単2頭軸マルチの買い目の多さに絶句。ただ馬体重発表前にマークだけはしておいた。
キセキはプラス8の504キロ。連対馬体重ではないものの、好走した毎日王冠と同じ。それならと腹を括った。鞍上川田にも期待したかった。
アーモンドアイはマイナス8の472キロ。大幅プラス体重の前走からの究極の仕上げとみた。予定通りに馬券はこの2頭から。
レースはスタート。予想通り、川田のキセキが主導権を握っていた。1,000メートル通過が59.9秒と平均か、やや緩め。2番手以下に対し絶妙な距離を維持。そして早め2番手争いにアーモンドアイが付ける。そのまま直線になだれ込み、半ばでキセキを交わして先頭。そのまま上がり34秒1で突き放してゴール。勝ちタイム2分20秒6はレコード。体にはアルカセットが駆け抜けたターフの興奮がよみがえっていた。
観る側からすれば、馬券が当たって、こんな興奮するレースが見れて嬉しい。完璧に仕上げた陣営、それに応えたルメール。アーモンドアイ、父ロードカナロアの伝えたスピードはクラシックディスタンスを凌駕した。最後に有馬でルドルフに捧げられた「もう日本でする競馬はありません」が妥当だろう。
あとはヨーロッパの馬場適性次第。それにしても先週までの東京の芝は速かったが、今週も異常。全馬無事であって欲しい。
それにつけてもキセキ。度胸の据わった川田の騎乗も讃えたい。馬券を買う側としては満足。例年なら間違いなく逃げ切っていただろう。相手が悪かったと言わざる得ない。是非、来春の古馬戦線では主役を張って欲しい。
今日の馬券、トータルではちょっとプラス。大儲けといかなかったが、こんなレースが観れて十分。残った3人、東京競馬場を後にした帰りの晩餐、思わず中華料理をご馳走したのだった。
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