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2018/09/15

久しぶりに「その男、凶暴につき」を観る

仕事前、朝から「その男、凶暴につき」を観た。言わずと知れた北野映画第一作。何度も観た作品。初見は劇場だったか、DVDだったかは覚えていない。何しろ突然、この一週間「その男、凶暴につき」のメインテーマとグノシェンヌが常に脳内再生、頭を離れなかったからだ。仕事の行き帰りでサントラを聴き込む。そして早朝、観たい欲求に駆られ、録画ブルーレイを取り出した。

脚本は野沢尚によるもの。だが最近YouTubeで森プロデューサーの回顧インタビューを見て知ったのだが、たけしが監督受諾の条件で大幅に変えてしまったらしい。野沢氏がスタッフロールから外して欲しいと言うほど。だから改めて観ると、セリフがキタノ節になっているのが判る。秋山見学者とのやり取りなんてたけしのコント。一方でオリジナル脚本が何処まで活かされているかは判らない。

この作品で秀でているのは日常の狂気、その描き方だ。30年近く前の作品なのに違和感が無い。例えば夜の街、我妻を襲う流れ弾が女性の脳天を突き抜ける。凍てつく瞬間を割く絶叫。突然の出来事を見事に捉えたシーンだ。それに限らず、一つ一つの暴力シーンで観る者に痛みを伴う。今や何事もコンプライアンス。この作品がテレビ放送されなくなったのも頷ける。

本作で40代前半と思われるたけし。脂ののった時期、洗練されたいい男だ。あの事故前(サングラスで)表情を隠す事も無い。セリフはキタノ節、足りない事はあっても無駄なセリフはない。だから想像力をかきたてる。我妻が金を借りた後輩刑事が逃亡犯に殴打されるまでの描写。これだけで後輩刑事の人となりが見えてくる。しかもその行く末は追わない。そしてあのカーチェイスに繋がる。

カーチェイスの顛末は明らかにたけしが考えたものだろうな。これも巧いんだ。我妻のラストシーン、消灯を含め、画作り、構成が巧いんだよ。たとえところどころ気になる点があっても、その後の北野映画にはない粗削りなところ、それすらこの作品の魅力になってしまう。

白竜、寺島進、平泉成、遠藤憲一、それ以外のキャストの一人一人見どころがあり、作品を支える。寺島が製作当時、「この映画は凄い事になる」と感じ取ったのも結果、現実となった。

バブル期に素人映画監督が乱立、乱造。当時、その一作と思われていた。しかし生まれたのはこの傑作。深作欣二の降板でたけしが監督したのは天命だったのか。今も「その男、凶暴につき」は彼の作品の中でベスト3に入る。

今のたけしをみると、もう映画を撮らないだろうな。事務所のドタバタ、これまで森さんプロデュースあっての映画製作を思えば、そこから離れて絵画や小説のような別の創作に向かう。自らの小説を是枝裕和監督に撮って欲しいと言ったのもそうした経緯、本音かもしれない。もう十分、あえて新作の期待はしない。これだけの作品群を生んだたけしはやっぱり凄いよ。

180915

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