「レディ・プレイヤー1」を観る
今夜はスティーヴン・スピルバーグ監督最新作「レディ・プレイヤー1」を観てきた。原作者アーネスト・クラインが共同脚本を手掛け、ポップカルチャーとVRワールドを最新VFXで描く。
2045年、オアシスと呼ばれる巨大VRワールドが席巻。オアシスの開発者ハリデーは3つの試煉を勝ち抜いた者に自らの遺産を授けるとしていた。だが未だ一つ目の鍵を手に入れた者はいない。そんな中、一人狼のウェイドはアルテミスというアバターと出会う。そしてウェイドは第一の鍵攻略のキッカケを掴むのだった。
世界観に関する期待に対し、実際に観た感想は微妙。意図的に現実世界との差を出そうとしているのか。登場するアバターの質感はまるで映画版「ファイナルファンタジー」。特撮にアニメのオールスター、どんなにカオスな世界観が繰り出されても、没入できない自分がいる。
その理由。PPGにしろ、FPSにしろ、この手のゲームってものに興味がないからだ。PS2時代、そんな自分を克服しようとドラクエやFFを買った事があるが、序盤でサジを投げている。元々謎解きが苦手。テレビゲームならシンプルなルーティンを繰り返す、ファミスタやダビスタの方がいい。
閑話休題。他に何がダメだったかといえば、VRでのカオスな部分が噛み合わないところ。元の世界観の違う同士のコラボの難しさ。例えばクライマックスでの総力戦。物量と描写で圧倒しようにも、カオスによる化学反応が起きてくれない。だから醒めてしまう。敵ボスが無双する中、日本人として大きな見せ場は訪れるのだが、期待は予告編を超えなかった。
音楽も80’sポップスを扱うが、効果は小さい。アラン・シルベストリのスコアもBTTFのアレンジは聴きどころだが、そこだけ。映像のカオスが噛み合わない理由に、コラボするスコアのアレンジに問題がある(そんなシーンも少なかったし)。こういう時は中途半端にアレンジで無くオリジナルスコアを使うべき。個人的には金田のバイクを出すなら、そのシーンだけでも芸能山城組で観たかった。
ちなみに描かれるポップカルチャーは年齢的にジャスト。セリフに出てくる、コアな映画ファンしか知らないであろう、バカルー・バンザイやビル&テッドも観ている。だがジャストミートしない。小説なら読み手の想像力で補えるが、この映画では主人公(アバター)の醸す熱さの無さと相まって心に伝わらず。
冒険というスピルバーグ亭の暖簾も今では通用しない。映画の小ネタもあり、飽きはしなかったが、最後まで興味を取り戻す事はなかった。原作はよりオタク度の高いカオスと聞く。それにどうせシルベストリの音楽なら監督がゼメキスだったらという思うが如何なものか...面白ければ次はIMAXと期待していたが、その必要はなくなった。
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