「ドリーム」(原題:Hidden Figures)を観る
今日は映画「ドリーム」を観てきた。原題は「Hidden Figures」。隠れた人々、肖像、数字など。本作を観た後だと尚更、その意味合いが深いものだと感じる。あえてこの作品の欠点を挙げるなら、安易な邦題だけだ。今年観た映画の中で屈指の出来である。
1961年アメリカ、NASAに勤める黒人女性のキャサリン、メアリー、ドロシー。時は公民権運動の最中、彼女たちは社会や職場での差別を受けつつ逞しく生きていた。だがアメリカはソ連との宇宙進出競争も世界初の有人宇宙船開発で遅れてしまう。テコ入れを図るNASAの中で組織と戦いつつ、彼女たち3人は徐々に頭角を現わしていく。
50年経った今だからこそ、まるで滑稽に思えるエピソードが続くが、肌の色、男女間等、彼女たちを待ち受ける壁ゆえの出来事。当時立ち向かう心中は計り知れず。だが自らの才能を活かし、新たな挑戦へ時代を開いていく。NASAへの貢献はエピローグの通り。本作はもう一つの「ライトスタッフ」だ。
本作を観ると、NASAがソ連に遅れをとったのも納得いく部分もある。その象徴的な出来事としてコンピュータの導入が描かれていくが、そこが何とも。ドロシーの先見の明が無ければ、どうなっていたのだろうかと思う。
ディテールは理系だが、本作の魅力は時代を生きた彼女たちの姿にこそある。とにかく3人を演じる女優、タラジ・P・ヘンソン、ジャネール・モネイ、オクタヴィア・スペンサーが素晴らしい。時に笑わせ、だが強く意志を通す姿は心に響く。特にキャサリンが隔離された事務所との行き来の果て、ハリソンに直談判する姿は涙無しに観れない。
60年代、差別の時代の反面、その氷解も感じる。発射準備中のグレン飛行士の言葉が心強い。この作品の描くアメリカは好きだ。良いアメリカを象徴する秀作である。
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