「スポットライト 世紀のスクープ」を観る
今夜は一人でアカデミー作品賞受賞作「スポットライト 世紀のスクープ」を観てきた。ボストン・グローブ紙のスクープしたカトリック教神父たちの子供への性的虐待報道。その道程と真実に近づく中の彼ら4人、スポットライト班の葛藤をマーク・ラファロ、マイケル・キートンらをキャストに迎えて描く。
2001年、ボストン・グローブ紙新局長にマイアミから来たバロンが着任する。バロンは”ロビー"率いるスポットライト班に神父の性的虐待の調査とその記事制作を託す。ロビーらは被害者、教会、両者の弁護士らに接触。やがてその深刻さと広がりは、彼らの想像を超えていた。単なる虐待事件に非ず。ロビーは記事を介し、巨大な”教会”=システムへの戦いを試みる。
邦題はサブタイトルに「世紀のスクープ」と謳っている。ある意味正しいが、ロビーにとって目的はスクープで無い事は分かる。自分たちが見過ごしてきた事実、それに苦しむ被害者たち。氷山の一角から調査を進めて明かされる教会側の闇。最大規模を持つ組織。その結果、エンドロールに唖然。宗教にコミュニティー、閉鎖的な側面が被害を広げる。巨大組織は妨害も仕掛ける。だからこそロビーは焦らず、機を待つ。自分の過ちを繰り返さないために。
被害者たちの組織はその生き残りを”サバイバー”と称した通り、死を選んだ者も少ない事を教える。アカデミー賞での受賞スピーチでこの悲劇を訴えていた事を思い出される。宗教とはある意味、性善説の元に成り立っている。盲目的、無知の怖さ。組織の起こす事件程、質の悪いのは世の事実。一人の子の親として、組織やコミュニティー相手に守る事はできるかと考えさせられた。スポットライト班だけでなく、キャスト陣の熱演に静かだが、骨太なノンフィクション作に引き込まれた。
| 固定リンク
コメント