「ゼロ・ダーク・サーティ」を観る
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さてそんな新春一本目、ずっと前にWOWOWで録ってあった「ゼロ・ダーク・サーティ」を観た。「ハート・ロッカー」のキャスリン・ビグロー監督作品。相変わらず女性監督と思えない非情さに満ちた作り、いや女性だからこその冷静さが成せる業なのだろう。9.11の首謀者としてアメリカが追うウサマ・ビン・ラディン。物語は任務に就いた若き女性CIAアナリスト、マヤの姿とその攻防が描かれていく。
出来事は(ほぼ)ノンフィクションであるため、物語に飾りがない。プロパガンダ色は極力薄く淡々と進んでいく。捕虜への拷問、ロンドンバス自爆テロ等の事件映像が挿入され、生々しさは増す。ただその中でなかなかビン・ラディンを追い込めないCIAが重要情報源とする男との接触、失敗を境にマヤはより冷徹に任務を遂行していく。命を狙われようが、上司との対立があってもめげない。ビグロー監督はそんなマヤに自分を映したようにも思える。
タイトルの「ゼロ・ダーク・サーティ」はラディン確保の作戦遂行開始時間である午前0時半を指す。作戦がいよいよという頃に差し掛かるところ、最初明るい部屋のテレビで観ても何が起こっているか判らなかった。すぐさま照明を消し、部屋を真っ暗にして鑑賞を続行。途端、映像のディティールが見えてきた。時に暗視メガネの映像が挿入され、銃撃の中、次々とラディン側の人間が倒れていく。そしてその瞬間は訪れる。
聖戦対アメリカの正義。部下に檄を入れる上司、その手にはゴルフクラブ(かくいうオバマもそんなとこがある)。アメリカの正義に疑問を持つミスマッチ感覚。そんな端所に妙なリアリティを感じつつ、テロによる3,000人の犠牲者は事実。ただその背景を知るのにこの映画は触れていない。9.11への報復とラディン殺害までに描写を絞った事が客観性を生む。ただあくまでも本作がエンターテイメントである事は忘れずに。
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