「ダービースタリオンGOLD」を考える
ダービースタリオン久々の新作、3DS向けの「ダービースタリオンGOLD」を手に入れた。最後にプレイしたのはPSP版が最後。第一弾をやりたくてファミコンを買い、以後スーファミ版、Windows版と没頭。このゲームの配合、調教、レースという単純なルーチンワークは競馬ファンにとって麻薬。しかし最初のPS版を頂点にリリースのたび、劣化していったダビスタ(悪名高きDS版はパスしたので不明)。今作は果たして不安を晴らしてくれるのだろうか。
プレイした印象はPSP版よりマシ。だがPS版(1st)には遥か及ばずといったところ。理由はダビスタのキモ、レースシーンにある。今作も逃げ、先行での前残りは厳しい。この点はPSP版以降、顕著だ。一方で差し指示で引っ掛かり、結果逃げ残るケースは散見される。現実の競馬でも指示通りはあくまで人の理想であり、実際はそういかないし、そんな事は競馬ファンの大多数がわかっている。だがダビスタはゲームだ。リアリティーの追求は歓迎しない。
同様の問題がラストスパートでの壁による失速だ。これも実際の競馬である事だが、包まれたり、失速した馬が壁になり抜け出せなくなる。PSP版と同等か、かなりの確率で発生する。トップジョッキーに騎乗依頼しても回避できない。しかし現実の競馬なら直線、隙を狙う事も少なくない。それがジョッキーの技量と時の運。ただダビスタGOLDは時の運が圧倒的に勝負の鍵を占めている。
ダビスタ劣化の始まりはレースシーンの3D化された頃と一致する。徐々に3D化され、先に挙げたリアリティーの追求が可能となり表現力は高まった。レースで起こる出来事は表現できる。時同じくダビスタの人気で開発者の薗部氏は馬主になった。ダビスタで起こる出来事は全て園部氏の経験なのだと思う。愛馬がスタート後に引っ掛かり、直線包まれた事もあったのだろう。初期のダビスタにあった直線ぶっちぎりなんて現実、ほとんど見られない。
最初のダビスタはレースシーンから作られたという。競馬ファンはその作りに呼応するようにダビスタにのめり込んでいった。それはレースシーンにストレスが無かったからだ。今のダビスタは先のストレスだらけ。所詮はゲームなのにモチベーションが保たない。ブリーダーズカップが無くなった今、最強馬作りの意義も無くなった。スタートは良かったものの、こちらの気持ちが失速しそうなダビスタGOLDだった。
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