「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を観る
今日はどうしても、どうしても劇場で観たい衝動に駆られ、久しぶりに一人で「猿の惑星:新世紀(ライジング)」へ行ってきた。前作の感想でも書いた通り、「猿の惑星」はオリジナルを含め個人的に思い入れの強いシリーズ。実は先週の金曜、ニコ生で組まれた「猿の惑星」シリーズを語る特番を観て以降、火が付いたまま一週間燻っていたのだ。いつもなら盟友N氏を誘うのだが、予定を組まずに夕方になってしまった。そしてレイトショーへ向かうのだった。N氏、申し訳ない!
前作から10年後、猿インフルで人間が激減した世界。金門橋の先で王国を築いたシーザー達の前に人間の生き残り、マルコムらが現れた。エネルギーの備蓄を失いつつある彼らの狙いはダム。自分達の住む街に送電する事が目的だった。ダム再開を拒めば人間との戦争になると考え、シーザーはそれを了承するのだが...物語は両者の理解と共存を鍵に進んでいく。しかしそれを阻むものが人間、そして自分達の中に現れる。オリジナルシリーズのエッセンスを散りばめつつ、この猿の惑星:新世紀シリーズは流行の他人気作品のリブートと一線を画す。物語としてもオリジナルを超えた面は多い。
原題は「DAWN OF THE PLANET OF THE APES」であり猿の惑星の「夜明け」を表すが、邦題の「ライジング」でも大意は間違いない。だが実際に本作を観るとラストシーンとその余韻から「夜明け」の方が適する事が解る。姿は猿であっても内容は厚い人間、いや人間以上の猿ドラマ。前作から大幅に進化した映像と深化した物語がセリフを重み付ける。ラストに向けシーザーが放つセリフが出色。国、社会、家族、親子、猿と人間、二つの世界の対比に大差無い事を思い知らされる。
物語もさる事ながら、アンディ・サーキスのモーションキャプチャ演技はアカデミー賞級だ。まずハリウッドは主演男優賞に彼をノミネートして欲しい。観る者は感情移入を強くし、そのセリフと身振りに心を熱くする。特に子の親となってシーザーの姿が自分に重なる。それだけでなくリーダーとしての悩み、仲間の前の姿と妻だけに見せる本音の部分は心を打つ。ラストカット、表情アップにみる決意。各国の宰相はここまでの悩みを極めているだろうか。鍵となる理解と共存は理想だが、世の永遠のテーマでもある。その答えはきっと次作以降に委ねられるのだろう。
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