iPhone狂想曲とソニーの凋落
iOS8が無料配布され、早速iPod touch(5G)にインストール。空き容量が足らなそう時はWi-Fiを使わずiTunes経由でのインストールがいい。先週木曜の朝、出勤前に仕掛け、帰ってきたら無事インストールが終わっていた。使ってみてややもっさり感を感じなくもないが、所詮iPod touchでそれほど恩恵は多くない。ただカメラに露出調整機能が付く等見逃せない点もあった。
OS8登場と共にiPhone6が登場した。相変わらず熱狂的なAppleファンに支えられ、発売には徹夜組が現れる程の行列となった。とはいえ、それは作られたニュース。世間では冷静に論じられている。むしろ今回のモデルチェンジはその大きさに対する評価が賛否を分けている。より画面が大型化された6Plusもさることながら(店頭で触っても”かなり"大きく片手使いは困難だった)、ノーマルの6でさえ否定的な意見が出ている。タブレットと違い、常用を強いられるゆえに熱心なAppleユーザー程コメントは厳しい。
その根底はiPhoneに限らず、スマホを必要とする人々の心理に行き着く。ネット端末、突き詰めればネット接続への要求。常時接続できないWi-FiのiPod touchでなくあくまでiPhone。セルラー版以外のiPadを「大きなiPod touch」と揶揄する知識人まで現れている。技術の進化、ネット環境からそう思う事は否定しない。ただ個人的にそこまでの境地に達してはいない。春先、2週間入院した時も、朝晩数分のネット接続とそのキャッシュで十分こなせている(活字とテレビの垂れ流しに助けられた事もあったが...)。
先ほど報告されたソニーの業績見通しは暗い。長いトンネルを抜け他電器メーカーが黒字に転ずる中、対照的だ。ソニーはテレビ事業の分社化、VAIOの売却を行った際に何より優先されたのが、スマホ事業を中核に据えた戦略だった。一方でリーマンショック以降、他電器メーカーは選択と集中から白物家電等に軸足を移した。その違いは"生活に必要であるか否か"ただその一点。そもそもソニーは白物を扱っていない。生活必需品となる家電製品も存在しない。好調を訴えるプレステ4、ゲーム事業でさえ、生活必需品とは言い難い。ゲームが無くても大多数の人々は生きていける。
ソニーはスマホを市場の成長に生活必需品と見誤った。そもそも今現在のスマホの立ち位置は生活必需品に達していると思っていない。情報強者の見る幻影だと思う。”売れるモノを作る”が一流企業の常だが、それまでソニーを支えてきた体とは異なる。今のソニーは金融や保険事業というある意味、生活必需品が屋台骨を支えているという捨て難い事実。そもそも人間は生きるために何かを切り捨てている。残念ながらエレキのソニーは存在そのものが世間から、いや個人的にも切り捨てられてしまった。個人的な選択と集中。そしていまだ高い定額パケット料金より、気兼ねない常時接続をとる。
以上、情報弱者の遠吠えでした。
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