「GODZILLA ゴジラ」を観る
今夜は盟友N氏と「GODZILLA ゴジラ」(2D字幕版)を観てきた。IMDbでの評価も高く、期待値を上げてでの鑑賞となった。なお16年前、ローランド・エメリッヒによるハリウッド版ゴジラ鑑賞時、トカゲとなった(ゴジラではなく)ジラとあまりにおバカな物語に飽き、途中爆睡したのが思い出される。万が一の感もあったので今回は昼寝をたっぷり取って、体調を万全にして臨んだ。
ビキニ環礁等かつての水爆実験映像に潜む影。物語は15年前に起きた日本での原発事故に遡る。そして現在、事故の原因に現れる謎の未確認生命体は太平洋を横断。サンフランシスコに上陸しようとしていた...巨大生物が巨大エネルギーを喰らうというプロット、ゴジラの身姿は同じながら内容は完全にリブートされた。したがって東宝平成シリーズにあるような第一作ゴジラとのリンクは存在しない。だからこそ”世界の”渡辺謙が言うセリフ、日本語読みの「ゴジラ」がオリジナルのアイデンティティーを放つ。
本作は新人監督ギャレス・エドワーズによって、ハリウッドモンスター映画に生まれ変わった。しかしゴジラを単体で出さなかった事、登場の必然性等、東宝怪獣映画のオマージュが感じられる。そして謙さんの存在が重要となる。敵か、味方か、GODZILLAたる戦い。今回のゴジラのキャラクター付けはそこが鍵だ。ラストシーンは神々しい。単なるパニック作に留まったエメリッヒ版との大きな違い。また着ぐるみの動きに加え巨大感を表す重さを感じよく表現できていた。テレビサイズではこの迫力は伝わらないだろう。
鑑賞中何処か既視感を持ち続けていた。新世紀エヴァンゲリオンの存在だ。優れた東宝怪獣映画のオマージュであるエヴァこそが本作のゴジラ、ムートーが使徒に思えてくる。冒頭の隔離区域はエヴァ参号機が暴走した松代そのもの。本作とエヴァは同じオリジンを持つ作品ゆえ当然かもしれない。ただハリウッドメイドの本作の場合、加えて家族愛だの何だのが絡むため、それが余計に感じる。純然たる怪獣映画にそんなものは必要ない。
確かに本作はよくできている。ただ東宝怪獣映画で育った者として期待値以上とは言い難い。製作が決まった続編ではモスラ、キングギドラ登場(あくまで噂と妄想)と期待に応えてくれるのではないか。今はもう一度東宝ゴジラシリーズを観たくなった。
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