« 「ザ・タウン」を観る | トップページ | ヤシマ作戦とradiko全国開放 »

2011/03/12

平成23年3月11日

これまで感じたことのない揺れだった。しかもなかなか収まらなかった。突然の停電、言われて気付いた程度だったが、いつまでも止まらず気持ち悪い。外で仕事をしていたが、間もなく多くの人が建物から出て来るのがわかった。彼らはすぐに整列を始めた。

工場内に避難招集が掛かった。ルール、これまでの訓練通り、人が集まってきた。テキパキと人員点呼と安全確認。しかし訓練と異なり、終わる見通しはない。余震は続いている。家族の安否、ソフトバンクの会社ケータイでは繋がない。事務所にあるドコモのマイケータイが恨めしい。4時からの交替勤務者も集まり、大所帯。約一時間、晴天の寒空、ただじっと待つしかなかった。

午後4時、会社の災害対策委員会より休憩所で待機するよう指示が出た。断片的に聞いていた情報はテレビの映像で直接目に届いた。驚きと絶句の繰り返し。想像を遥かに超えた事態がそこにあった。横に座った先輩が、「妻に連絡をとったけど、出先で地震に気付いていなかったよ」と驚いていた。この横揺れ、場所も変われば受ける印象も違う。

午後5時、日勤者に帰宅命令が出た。4時からの勤務者は指示があるまでこのまま待機。既に電力会社より段階的に電気供給は再開されていたため、会社として生産再開の準備が必要だった。この間、家族との連絡が取れ、無事を確認。結局、帰宅は午後8時となった。帰ろうと思った頃、帰宅したはずの後輩が事務所に戻ってきた。「会議の資料を作り終えてくれ」と言われたらしい。思わず『サラリーマン残酷物語だね』と言うと苦笑いしていた。

|

« 「ザ・タウン」を観る | トップページ | ヤシマ作戦とradiko全国開放 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58265/51105990

この記事へのトラックバック一覧です: 平成23年3月11日:

« 「ザ・タウン」を観る | トップページ | ヤシマ作戦とradiko全国開放 »