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2009/05/31

2009年ダービー生観戦記

 朝、地デジテレビのdボタンを押すと、東京の降水確率20%だった。「これなら天気はもってくれるはず」と思ったものの、その希望は午後になって打ち砕かれた。良馬場、好時計で走った皐月賞組を上位にとっていた予想は、白紙に戻さざる得ない。とは言うもの、簡単にはいかない。直前の芝レースむらさき賞の上がり38秒2、若干でも外から差し脚が決まる馬場を望みに、皐月賞上位組ボックスを中心。さらに皐月賞惨敗で買う事を止めていたロジユニヴァースを、馬体重回復から追加...とそこまでは良かった。

 レースはマイルカップを勝ったジョーカプチーノの果敢な逃げ。外から早々二番手につけたリーチザクラウンがつける。横山典ロジユニヴァースはそれを見た三番手。アンライバルドら皐月賞上位組は中段待機。悪化した馬場、前半ハイラップで進むジョーカプチーノの逃げは、明らかに自殺行為。武豊リーチの位置こそ本来踏むべきラップ。先頭とリーチの位置取り差は徐々に広がり、このレースの主導権は武豊に握られた。

 最後の直線に入ると、ジョーカプチーノは簡単に交わされ、リーチ先頭と思いきや、ロジユニヴァースが内からすり抜け引き離す。後からは何も来ない4馬身差、2分33秒7とまるでヨーロッパ競馬のような勝ち時計。全ての馬が上がり40秒前後にとどまり、序盤の位置取りで決まったダービーであった。生観戦、ウイニングチケットの勝ったダービーから16年。ここまで極悪馬場のダービーは観た事が無い。速い馬アンライバルドら皐月賞上位組の運は尽き、今年は格言通り、運の強い馬が勝った。

 歓声に包まれ、1コーナーをウイニングランする横山とロジユニヴァース。鞍上は信頼に応えたベテラン、やっと届いたダービージョッキーの座。ファンの前で帽子を取り、静かに頭を下げる横山典弘。当然、彼の勝利を喜ばない競馬ファンはいない。リーチを外したため、馬券は当たらなかったが、嬉しい瞬間に立ち会えてよかったと思う。今年のダービー、間違いなく主演は横山典、助演はもちろん武豊だろう。

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2009/05/21

「スラムドッグ$ミリオネア」を観る

 今年の米アカデミー作品賞、ダニー・ボイル監督「スラムドッグ$ミリオネア」を観てきた。オスカー作品ながら、誰一人ハリウッド俳優は出ていない。登場人物は全てインド人であり、物語の前半、多くの部分で英語字幕が現われる。一見、外国語映画賞の対象となってもおかしくないが、青年となった主人公たちは英語のセリフが中心となるため、割合として外国語映画の規定に引っ掛からないのだろう。

 物語は主人公ジャマールを軸に、貧困から悪の道に手を染める兄サリーム、同じ貧困の中育った少女ラティカの運命が描かれる。全世界で放送される「クイズ$ミリオネア」はその糸口の一つであり、重要なのは彼らが育った過酷な環境、半生にある。それはインドの辿った歴史でもある。そこに善を通して生きるジャマール、相反するサリームが重なり、ある意味、インド版の「フォレスト・ガンプ」的な面もある。ただ時にユーモアを交えるも、本作のほうがシリアスな作品だ。

 「クイズ$ミリオネア」のホスト(日本のみのもんた並みに曲者!)、構成は各国独自であるが、番組ルールは共通。もちろんこの作品中、番組テーマやジングルまで同じなのである。それゆえ舞台がインドながらも、物語のとっつき易さを生んでいる。だが個人的には問題を解き続けるよりも、その後に待っていた運命に感動した。やはりこの作品は人間ドラマである。またここで描かれる兄弟関係にも心に来るものがある。この感情は「ラ・バンバ」以来かもしれない。

 舞台はインドながら、映像はスタイリッシュ。それこそダニー・ボイルの真骨頂であり、構図の一つ一つも印象的。もちろん音楽の使い方も上手い。エンドロールに用意されたボリウッド映画らしい演出も憎い。音楽は「ムトゥ・踊るマハラジャ」のA.R. ラフマーン。日本では「インドの小○哲哉」とプロモートされた時期があったが、今となっては随分失礼な話。ちなみに彼は本作で最優秀作曲賞、歌曲賞をW受賞している。本作は物語、画作り、音楽と三拍子揃った傑作だ。

P.S.
 もし本作が外国語映画賞の対象だったら、「おくりびと」と争っていたかもしれない。しかし日本人として「おくりびと」の与えてくれる感慨は、けっして「スラムドッグ$ミリオネア」に勝るとも劣らない。だがこの二作を並べ、評価する事自体、意味の無いものではある。

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ペンタックスk-mを買ってみた

 春先、長崎ハウステンボスで行なわれた、妻の弟の結婚式に出席。この際、手持ちのキャノンPowershotS2iSが活躍...したかに思えたが、様々なシーンでコンデジの限界を味わされた。狙いたいシーンでピンボケ、またはシャッターのタイミングがずれ、いくつかの決定的瞬間を逃した事が大きい。この結婚式に限らず、息子の成長を撮影する中、特にそれを痛感してきた。今しか撮れない瞬間のため、今こそ替え時なのかもしれない。その意を強くしたのは、長崎から帰ってそんなに時間を要さなかった。

 実はボクのPowershotS2iS、去年の終わりにCCD故障で入院している。それがあってなかなか次の一手といかなかった。だが仕事で交流のある業者さんに「k-mいいですよ」と話をしてもらう機会があった。ただその時はPowershotからの流れもあり、「やっぱ一眼はキャノンでしょ」とアウトオブ眼中。ただ長崎帰りを前後して、もらったパンフにはkissX2、Fの他にK-mも含まれていた。ちなみに先の業者さんの影響で、オペルアストラを買った事も付け加えておく。

 ただ一眼に関しては素人。キャノンは幅広く人気は高いものの、使いこなせない恐れもあった。むしろk-mにはそんな敷居の高さはなく、ボディの小ささ、そして何よりレンズキットでも価格の安さが光っていた。これなら失敗してもいいだろうとも。とはいえ、ダブルズームキットで6万円の投資。ただk-mの利点はバッテリが単三電池。S2iSからの資産、エネループを受け継けるのは大きなメリット。お決まりの液晶保護フィルム、レンズプロテクター、除湿保管ケースもあわせて購入している。

 桜の季節に間に合わせ、使い始めて約二ヶ月。コンデジとは違う世界を満喫している。Powershotに比べ、けっして軽くは無いが、持ち出し易さは大事。これは一眼ながらのk-mの利点である。やはりカメラは撮ってナンボだからだ。ただ、まだまだ使いこなしているとは言い難い。そこで愛読しているのが「デジタル一眼」上達講座という新書。オーソドックスだが、ビギナーたる自分に丁度いい。何度も読み返して、次の撮影に反映させる。

「いい写真だ」

そう呟く日が多くなった気がする。

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2009/05/03

波乱の天皇賞・春

 忌野清志郎が亡くなった。日本ロック界の影響は言うまでも無く、その先見性と破天荒な姿が消える事が寂しい。個人的に、いや競馬ファンとして彼の曲「競馬場で会いましょう」は傑作だと思う。清志郎と競馬のミスマッチ感覚を通り越し、独特の世界観に溢れていた。シンプルな曲調は競馬ファンの琴線に触れる。この曲がリリースされた頃、タイマーズとしての活動時期(再結成)と重なるが、何処か郷愁を誘う味わいがあり、両者は似た雰囲気を持っている。今も競馬ファンはこの曲を愛している...合掌。

 そんな週末、春の天皇賞が行なわれた。かつては序盤は淡々と、後半は熱くなる杉本アナの実況が重なり、多くの名勝負を生んできた。メジロマックイーンやテイエムオペラオー、最近ではディープインパクトがこの天皇盾を制している。だが、そんな最強古馬決定戦の趣きがあったのはひと昔前の事。特にここ数年、同じ長距離戦であるクラシックの菊花賞と共に、やや格が落ちた感は否めない。そう思う競馬ファンは少なくないはずだ。

 人気のGIウィナー二頭、アサクサキングスとスクリーンヒーローは、直線見せ場も無いまま、馬群に飲み込まれていった。アサクサは昨年三着だったが、やはり前走のタフな競馬が相当応えたのではないか。スクリーンヒーローは同じ理由も当てはまるが一方、父の活躍距離からすると、今回の三二〇〇メートルはやや長かったかもしれない。また今年のように混戦と言われる年ほど、春天は活きのいい四才馬が活躍するものだが、出走馬自体二頭と物足りなく、勝ち馬の影を踏む事すらできなかった。

 勝ったのはマイネルキッツ。メイショウサムソンと同じ世代、六才馬である。父チーフベアハート、その産駒をみてみると、春天の距離は不向きに思える。しかし本職ステイヤー不在の中、前走日経賞二着の実力から何かしらの可能性はあった。でも勝ち切るイメージまでは至らず。経済コースを通り、アルナスラインを抑えて勝った姿に驚きを隠せなかった。買った馬券は日経賞組、アルナスラインからの馬連数点、アルナス=マイネルからの三連複数点。当然、そのヒモにドリームジャーニーは押さえていた。春天スタートから3分14秒後、買った馬券は勝った馬券になった。本当に久しぶりのロングショット。何を隠そう、そんな自らの姿にこそ一番驚きを隠せなかった。

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2009/05/01

イーストウッド主演最終作?「グラン・トリノ」を観る

 今日は映画の日。盟友N氏と時間を合わせ、クリント・イーストウッド主演(出演)最終作とさせる「グラン・トリノ」を観てきた。朴訥(ぼくとつ)として、時に毒を言い放つ姿にこれまでの主演作が重なるが、そんな彼も今年で79才。「目には目を...」を体現してきたアンチヒーローも年齢には勝てない。しかしただそれを描く事は本作の真意でない。また彼の監督作を観れば、描かれる人生観と懐の深さは伺い知れよう。そんな例に洩れず「グラン・トリノ」もイーストウッドらしさに溢れた作品となった。

 隣人は異人種が当たり前となった街に、妻の死から心が孤独となった男。そこから生まれるコミュニティー、変化がこの作品の鍵となる。イーストウッドの毒を楽しむもよし、師弟関係や友情を楽しむもよし。物語はシンプルだが、深読みしていけば想う事は多い。ただ主人公の言動やケジメをそのまま受け止めては、この作品を楽しむ事ができない。むしろ不快感だけを持つだろう。そこに遺こしたものが大事なのだが、それはひと言で言い表せない。

 例えばエンディング、主人公の手を離れたグラン・トリノが駆け抜けるシーンは特別だ。友情の証でもあるし、新たなコミュニティーへの象徴のようにも取れる。タイトルの「グラン・トリノ」とは、今やビンテージカーとなったフォードの車。無骨で不器用、洗練さとは無関係。そんな「グラン・トリノ」と主人公は同義の存在にある。最後、何処か清々しい気持になるのは、そんな関係が成り立っているからなのだろう。物語の経過から変わらないもの、変わるべきもの、そのコントラストがこの作品の面白さだと思う。

 この作品を楽しむもう一つの要素、それは製作者イーストウッドの姿勢だ。人種差別的な描写もあるが、それは"媚びない"姿勢の表れでもある。むしろ現実のアメリカなのだろう。 そして主人公とイタリア系散髪店主のやり取りをみれば、イーストウッドの考えは十分に伝わる。真摯な姿勢、大人の余裕、「グラン・トリノ」はそんな映画人クリント・イーストウッド、集大成のような作品である。

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