« 「バベル」を観る | トップページ | 古馬任三郎、2007年ダービーを考える »

2007/05/18

「ロッキー・ザ・ファイナル」を観る

 金曜の夜のレイトショー、「ロッキー・ザ・ファイナル」を観てきた。上映最終日の最終回、ギリギリのタイミングで間に合う事ができた。「ロッキー」といえば、シルベスター・スタローンを一躍スターダムに押し上げ、アカデミー作品賞を受賞した作品。そしてシリーズ化され、これまで五作が作られた。だがスタローン人気の陰りと共にシリーズも沈滞、個人的には第五作「ロッキー5/最後のドラマ」を観ていない。

 邦題は「ロッキー・ザ・ファイナル」だが、原題は「ROCKY BALBOA」。すなわち最終章にはロッキーの名が冠せられている。「ロッキー3」「ロッキー4/炎の友情」では、強いライバルをぶつける事でストーリーを構成してきたが、本作は違う。初心に帰るかのような自分との戦いがテーマだ。燻るファイティングスピリッツ、愛妻エイドリアンの命日に再び戦う事を誓うロッキー。『小さなリングでいいから...』の想いはふとしたきっかけで、現ヘビー級チャンプとのエキシビジョンマッチに挑む事になる。

 実年齢が還暦のスタローン。そんな彼演じるロッキー(劇中役の年齢は不明)が、現役バリバリのチャンピオンとフルラウンド戦う事自体あり得ない。現実、ジョージ・フォアマンが45才で最年長世界チャンピオンとなったが、さらに15才も上。ただ本作中、現チャンプが腕を負傷するアクシデントを発症、ロッキー得意の重いパンチと粘り強さが功を奏し始める。多少の現実性はあっても、寓話的なのは否めない。

 ただ本作が言いたいのはそんなヒーロー像だけではない。ロッキーのスピリッツ、人柄が生む人間ドラマ。不良を更生させたり、かつての不良少女を雇ったりと、人懐こい『ほっとけない』人柄が爆発。ただそれはただ一人の女性エイドリアンへの想いに同じ。それが彼の人生である。そして愛する息子に身をもって前進する姿をみせていく。それはロッキーを見る全ての人々へのメッセージ。シリーズ第一作に立ち返る想いも込められている。スタローンはそんな不器用ながらまっすぐに生きるロッキーを一体感をもって演じている。いやロッキー=スタローンなのである。

 そんな中、重要なのがご存知「ロッキーのテーマ」、ビル・コンティの名曲である。お約束、ロッキーのトレーニングシーンのモンタージュにテーマが映える。全盛期をとうに過ぎた老体ながら、リングに上がり戦う姿に胸熱くなる。それは第一作から観てきた者にとって、非常に感慨深いものとなろう。ロケのほとんどがフィラデルフィアなのだが、下町を醸すロケーションが素晴らしい。エンドロール、フィラデルフィア美術館を駆け登るファンの映像が流れた後、思わず駆け出したくなるが不思議。気持が高ぶるのだ。

 この最終章の価値、存在意義に疑問を持つ人も多かろう。『「ロッキー」は終わった』『何を今更?』。しかしここに描かれる前進する姿が全て。気がつけば寓話的な印象は消えている。そして観る者は背中を押される。それがロッキーの魅力。インサートされる旧作のシーンも心を打つ。この最終章なら羽佐間道夫もいい声充てるだろうなぁ(苦笑)。

Rockybalboa

|

« 「バベル」を観る | トップページ | 古馬任三郎、2007年ダービーを考える »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ロッキー・ザ・ファイナル」を観る:

« 「バベル」を観る | トップページ | 古馬任三郎、2007年ダービーを考える »