「グエムル -漢江の怪物-」を観る(ネタバレあり)
水曜の夜、巷で評判の韓国映画「グエムル -漢江の怪物-」を観てきた。CM、予告編等でチラリとクリーチャーを登場させ、好奇心を煽っている反面、一見怪獣映画と関連のない、ポン・ジュノ監督とソン・ガンホ主演による作品という事も興味深い。それだけに期待を込めてこの作品に臨んだのだが、かなりの肩透かしを喰らった気がする。この作品は果たして、怪獣映画なのだろうか?映画が始まって二時間、その疑問はエンドロールで氷解した。
実はこの作品はパニック映画だったのだ。ボクはハングルが判らないので原題は知らない。しかし英題には「THE HOST」とあり、それを見た瞬間に「あぁー」とため息が漏れた。意味は『ウイルスの宿主』、あくまで主役はソン・ガンホなのだ。『グエムル』=怪物は物語のきっかけであり、ソン・ガンホ演じるカンドゥの扱いこそが、監督がこの作品で描きたかった事なのだと感じた。もちろんキャスティング的に至極当然ではある。ただ細菌という見えない敵との戦いという作品のキモ(結果はデマな上、無害。いや人の作る噂、情報こそが敵という例えもあるかも)ではあったのだが、その怖さがあまり伝わってこなかった。
その理由として、可視化された怪物に目がいく事が、逆効果だったように思う。怪物に娘が奪われるというプロット、派手に人を襲うビジュアルを狙ったのだろうが、むしろこの映画に怪物は必要なかった。またこの監督ならば、怪物無くとも別の形で、親娘愛を成立させる物語は作れたように思う。ならば登場させるクリーチャーが大事だったのだが、これも物足らない。またこの怪物に対しても、全く悲哀を感じないのもマイナス。ただ本能の下、人を襲い、やがてその肉を喰らう事を覚えていく描写は興味深かった。でも高度になったCGとはいえ、その使いこなしは難しいと思う。シーンによっては違和感が残った。
興味深かったのは監督の視点。国や世界を巻き込んで、人々が群がる姿は滑稽。僅かな情報で膨れていくパニックを皮肉っている。意味ありげに検査される主人公、ただ頭にドリルを入れられるところは、ちょっとやり過ぎかもしれない。ましてあれだけ振り回されたカンドゥに残されたものを思うと、その末路は悲しい。日常で始まって、日常で終わる中、主人公の変化は髪の毛の色に留まらない。ただこの手のパニック映画は『自分にはハマらないなぁ』が鑑賞後の印象だった。
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コメント
こんばんは!
残念でしたね。あたしは反対。
単なるモンスターパニックとして見ました。
おもしろかったです。
またよろしくお願いしますね。
投稿: 猫姫少佐現品限り | 2006/10/04 00:31
猫姫さんこんにちは。
コメントありがとうございます。
>単なるモンスターパニックとして見ました。
日本でモンスター映画を作ると、怪獣だけを話の中心に置いてしまいがちです。邦題のせいもあって最後まで怪獣映画として観てしまいました(^^ゞ
投稿: でんでん | 2006/10/04 05:40
でんでんさん、こんばんは。
コメント&TBありがとうございます。
ゴジラに始まり怪獣映画の怪獣は社会に対する災いの象徴しているもので、結果的に公的なもの(公的組織であったり、公的に委託された個人であったり)に取り除かれることが多いのですが、「グエムル」ではほぼ公的な組織が機能していません。
そのかわり終止カンドゥ一家によるプライベートな戦いが展開されているのが、怪獣映画としては新しいなあと思いました。
投稿: はらやん | 2006/12/07 22:57
はらやんさんこんにちは。
コメントありがとうございます。
>終止カンドゥ一家によるプライベートな戦いが展開されているのが、怪獣映画としては新しいなあと思いました。
政府、軍隊と対照的。ただ本当の怪物は「カンドゥ」自身なんでしょうね(^^ゞ
投稿: でんでん | 2006/12/16 09:20