その貪欲さはある意味、単なるタレント議員...では
いよいよあさっては衆議院選挙である。七月からヤマを迎えた小泉劇場はフィナーレに進むか、新シリーズを迎えるかの瀬戸際である。とにかく郵政民営化だけを言い続ける総理に驚いたが、気がつけば就任からはや四年、毎日テレビに出続ける総理のほうにもっと驚かされた。毎日会見を続ける総理はまるで「笑っていいとも」のタモリ、帯番組を持つタレントのようでもある。時に静かに語り出し、たまにユーモアを交え、そして静かに怒る。また今やファッションリーダーとして、クールビズを牽引する才能ぶりである。
そういえば昔テレビを見ていたら、にしきのあきらがトーク番組でこんな事を言っていた。バラエティで人気再燃、スターにしきのとして見事復活した当時のこと。そんな時、ファンの生の声を感じた彼は、やはりテレビに出る事こそが重要と改めて認識したという。タレントの人気のバロメーターはやはりテレビ。実際、テレビから消えたタレントは最悪、死亡説まで出るくらい悲惨な状況である。どんな小さな仕事でもいい...にしきのはテレビに出る事に貪欲になったそうだ。
にしきのの言葉は、小泉総理のテレビ出演に対する貪欲さに当てはまる。激戦を制した総裁選以後、総理はマスコミの中でもテレビを多く利用した。靖国参拝、突然の北の訪問、度重なる問題発言、年金未納問題、そしてワンフレーズ・ポリティクスと常に話題を提供し、時に墓穴を掘りつつも、テレビに出続ける事でその人気を維持してきた。そもそも支持率50%を行き来する姿をタレントに例えれば、充分Aクラスのギャラが得られる立場。多くのタレント議員を擁する自民党も、一種の芸能プロダクションと大差ないようにも思える。女性候補ばかり、刺客に対する演出もそんな面が浮かんでくる。
かつて西川きよしを毛嫌いしたように、タレント議員は大嫌いだ。彼らこそ税金の無駄遣い。議員の仕事を片手間に、タレントを続ける姿は政治という仕事をなめているように思えたからである。政治手腕よりも、テレビでのパフォーマンスばかりが目立つ小泉総理。ある意味、総理の姿はタレント議員と変わらない。確かに不完全ながら郵政民営化は賛成。ただボクはなかなか執念深く、あの時の事を忘れていない。気安く『人生いろいろ』とは何なんだ。確かに長いものには巻かれる覚悟はある。ただ投票日は自分の意志を通し、本来問われるべき政治手腕を頭に入れて投票したいと思っている。
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