BSアニメ夜話「新世紀エヴァンゲリオン」
とうとうパンドラの箱を開けた...と言っては大げさだが、昨夜のNHKBSアニメ夜話で「新世紀エヴァンゲリオン」が取り上げられた。エヴァは自分にとって、今もってトラウマを残す作品。司会の岡田斗司夫氏との関係(製作会社「ガイナックス」創設メンバー)もあって、果たして取り上げるのかなぁと思っていたが、第三弾にして登場となった。むしろ近い人間ゆえ、その発言も期待された部分がある。実際、この一時間で新たな見方が生まれたのも確か。
特に驚かされたのは、エヴァ=純文学論である。テレビシリーズ終了後、様々な解説本が登場したが、あまりに広い物語、背景、裏設定を深読みし、これぞ決定版というものは少ない。そもそもエヴァ=純文学論は、視聴者からのメールにあったコメントが発端。SFロボットアニメの皮を被った純文学という見解が新しい。何となく毛色の違うロボットアニメとして始まったエヴァだったが、主人公を始めとするキャラの内面世界に入り込み、結果として二つの人類補完計画(テレビ版、劇場版)に行き着く。
しかしながら二つの補完計画は同じストーリーテリングを踏襲しながら、展望を持って終わるテレビ版と、徹底して観客を精神的に追い込む劇場版。ただ両者に共通するのは純文学的アプローチ。結局、エヴァはロボットアニメや物語を見せたいのではなくて、心を描く文学。岡田氏も唐沢俊一氏も一致した意見。自分も大きくうなずいた点である。あまりに気持がピュア過ぎる、あまりにカッコつけない主人公の葛藤、心の堂々巡りはリアル過ぎた。
自分にとってエヴァがトラウマになってしまったのは、実はその点である。心の壁は作品中でも描かれたが、人と人の間を埋めるものだけでなく、人が成長する過程の中でも必ずぶつかるもの。ネガティブに陥った時、碇シンジ的心境にラップしてしまう。ただテレビ版にしろ、劇場版にしろ、あくまで私の解釈として、今もその結末に『自我の確立』と『現実回帰』を促すように感じている。特に宮村優子が語る劇場版最後のセリフ「気持悪い」に至る過程は、『現実回帰』の結論を強くする理由を感じた。
さてこの番組では、劇場版エヴァの第25話「Air」の自慰描写まで登場。NHKとはいえ、地上波と違ったハードな内容にビックリした。しかもゲストの若手作家氏が、エヴァ初号機並みに発言が暴走。それを見ていて何処か、それがエヴァがエヴァたる所以を感じたような気がする。そして番組の締め、エヴァの仕掛け人大月俊倫氏が語る当時の達成感と、それを突き放したような現在の心境は興味深かった。
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