首相に足りないもの
年も押し迫り、二〇〇四年も終わろうとしている。今年を表す漢字が『災』と決まったが、思い起こせば夏のオリンピックを除けば、そんな印象は強い。中越地震、夏の台風大挙来襲、海外に目を向ければイラクでの邦人殺害もあった。また形は違うが、プロ野球の合併問題も選手たちにとっては大きな災いであった。結果は両成敗的な流れとなったが、新潟に新球団が生まれた一方で古巣の球団が一つ消えていった。しかし最も問題と思うのは政治の信頼回復不足であり、政治を発端とした災いでいまだに見通しが立っていない。
喉元過ぎれば感覚で、国民の頭から年金問題が消えかけようとしている。春先に始まった国会議員の未納問題は与野党問わずに伝播し、野党第一党の民主党管代表の首を獲る形で福田官房長官(当時)が辞職、一旦幕を閉じたかに思えた。そして間もなく小泉首相自身の未納問題が発覚。社会人時代の空白期間を含めて「人生いろいろ、会社もいろいろ...」の発言に至った。その後のあいまいな政治方針、年末に入り定率減税の段階的解消と次々に不安な政策が見えてきた。
小泉政治は常に海外に目を向いていた。確かに聞こえはいいが、あくまでアメリカの顔色を見ながらであり、対イラク政策はそうした面が強い。その全てを否定はしないが、確固たる姿勢を感じるかと言われれば疑問。疑問を感じるその一つに対北○○政策がある。早々に主導権をとられた平○宣言、拉○被害者完全奪回にも弱気。挙句の果て、次々と出させた偽情報も黙って経過を待つ始末。そこに駆け引きはない。世界の国々、それぞれの首脳、全てが正しいわけではないが、惹きつける力があってこその政治家ばかり。それに対して我が日本、世界の中でもここまで主張なき指導者も珍しい。
そんな時、小泉首相に足りないものを考えてみた。政治力、指導力、いやいやそういうものではない。それこそファーストレディ、奥さんがいない事だ。首相はバツのついた人だが、現時点で女性の影は一切無い。いたとしてもパートタイムラヴァーか。ただ何故、奥さんがいる事が大切なのか。まず男性と女性の経済観念は違う。具体的な表現は難しいが、みな何処か感ずる部分はあるのではと思う。昔から言われる『我が家の大蔵大臣』とはいいえて妙な言葉だと思う。首相に舵取り役がいない事はわが国にも舵取り役がいない事に等しい。人間、大仕事をする時、舵取り役は絶対必要。首相にそんな懸念を感じるのは自分と同じ立場だから。ちなみにボクはバツがありませんけどね。
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