2016/09/24

「ハドソン川の奇跡」を観る

 今夜は久しぶりに盟友N氏と合流し、クリント・イーストウッド監督最新作「ハドソン川の奇跡」を観てきた。トム・ハンクスを主演に迎え、2009年1月15日、離陸後に出力を失ったエアバス機を無事にハドソン川へ不時着水させたサレンバーガー機長とその出来事を追う実話である。あくまで原題は機長の愛称”SULLY”。邦題の「ハドソン川の奇跡」は確かにその通りなのだが、実際の作品と比べるとややミスリードを誘う。

 機長の自叙伝が原作。映画は96分とコンパクトで密度が濃く無駄が無い。9.11以後の航空機事故の爪痕、トラウマ、航空機に携わる責任感、そして個人的な事情が機長にのしかかる。155人の乗客、乗員全員を救った英雄と世間が見つめる中、事故調査委員会は機長と副操縦士を聴問会に掛けるのだった。そして委員会の行うシミュレーションを見つめるサリー達。

 公聴会に至るサリーの葛藤を生む映画らしい構成が光る。だがそこに至る過程、繰り返される検証を観るたび、如何に機長が冷静に対処したかを思い知らされる。そして事故がどのように収束したかが描かれていく。そこでのイーストウッドの目線、演出は特に冷静だ。混乱の機内で何があったのか。奇しくもラストシーンでの機長=サリーのセリフがそれを物語る。

 複雑な心情を表すトム・ハンクスは名演、さすがオスカー俳優の貫禄。最後まで観れば、ご本人の雰囲気を掴んでいる事がよく判る。この映画の英雄像こそ今のアメリカが求めるものなのだろう。大統領選の年に公開される作品らしい。全米ヒットもよく判る。ただあくまでイーストウッドは人物像、出来事を描く事に注力している。そして86才とは思えない旺盛な製作ぶりにも脱帽。次作も楽しみだ。

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2016/09/11

「メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人」を読む

 大河原邦男著「メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人」(光文社新書)を読んだ。きっかけは5月に放送されたBS朝日「ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~」での一編。ただ録っておいて観たのは先日。元々ガンダム熱というより別の熱さを持つインタビュアー松岡修造に違和感を持ったが、自らのデザイン哲学を冷静に"職人"と言い表す大河原さんと対照的、ミスマッチさは面白かった。そして番組の題材とされたのが本著だ。

 自分はアーティストでないと言い切り、熱い技術論を戦わすような本ではない。タイトルの通り、大河原さんのスタンスはこの仕事に携わった時から変わっていない事が判る。特にアニメ黎明期、スポンサーとの関係、求められるものへの回答が当時のデザインであった。基本的なアニメ業界の成り立ち。おもちゃを遊ぶ子供たちを念頭に置いたデザイン(主役メカ)、取り組む姿はやはり職人と言える。

 タツノコプロからキャリアをスタートさせた事、デザインの分業制等、自身への影響が語られている。中村光毅氏(タツノコ時代の上司、ガンダム美術設定)との関係、タツノコ作品でのキャリア経験、そして機動戦士ガンダム第1話試写の衝撃。読んでいく自分にほぼリアルタイムである出来事だからこそ、読み応えを感じるエピソード。撒かれた種、そして現在へ。気が付けばあっという間に読み終えてしまった。

 アニメ業界の仕事本として読んだ場合、その現実に落胆する面があるかもしれない。しかしどの業界であれネガティブな側面はある。しかも仕事="生活のため"という部分は逃れられない。だからこそ職人に徹する、心構え等、社会人にとって感じるものは多い。もちろん実力無くしてはここまで語れないし、大河原さんの仕事は我々世代の血や肉になっている。それを一緒に回顧する意味でも本著は興味深い一冊だ。

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2016/08/28

「アントマン」を観る

 WOWOWで録ってあった「アントマン」を観た。「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」鑑賞時点で本作を観ていなかったが、その伏線共々楽しむ事ができた。マーベル=ディズニー製作の中で最もファミリー向きな作品でもある。

 刑務所帰りのスコットは、離婚した妻の間に愛娘が居るものの自由に会う事ができない。かつての仲間ルイスに転がり込んだスコットだが、定職もままならなかった。そんな中、ルイスの計画した盗みに参加。だが金庫の中にあったのは謎のスーツだった。それこそピム博士の仕掛けた罠、義賊であるスコットを試したのだった、真意を知ったスコットはピムの計画に乗る事になる。

 冒頭“最もファミリー向き”と称した通り、本作ではスコットと愛娘キャシー、ピムとその娘ホープ、二つの親子の再生が描かれる。前者は子供向けにシンプル、ただ父親目線で観た場合、後者である年の経た親子の姿の方が興味深い。二人の間の誤解が解けた瞬間、同じ目標に向かっていく。それを助けるのがスコット=アントマンだ。

「シビル・ウォー」だけを観るとアントマンの能力を単純に感じていたが、単体の本作は軍団のリーダーとしての強みも発揮。イエロージャケットにはない、その能力も大きな見どころになっている。最終決戦、彼が名付けたアントニーと共に立ち向かっていく姿、その末路に泣けてくる。

 「ミクロの決死圏」やその現代版「インナースペース」等、小さな世界を描いた作品はあるが、本作にVFXの大きな進歩を感じずにいられない。ひと昔ならB級作品になってしまうところ、最上級の映像スペクタクルが繰り広げられる。加えて他のマーベル作品同様にテンポがいい。本作はマーベルの世界観、懐の深さ、そして驚き、楽しさに溢れた作品、シリーズ化も楽しみだ。

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2016/08/13

「X-MEN:アポカリプス」を観る

 今夜は仕事帰りに「X-MEN:アポカリプス」を観てきた。「X-MEN」シリーズ最新作。前作「フューチャー&パスト」で三作目「X-MEN: ファイナル ディシジョン」で失った物語を回収したブライアン・シンガー監督が、今回こそ自らの手で新三部作を完結に導く、そんな意気込みを感じるSF大作。

 紀元前3600年エジプト。神と崇められた男はある儀式を前にしていた。だが儀式は反対派の抵抗でピラミッドが崩壊、事なきを得る。そして1983年、封印されていた男の力が甦った。男の名はエン・サバー・ヌール。人類初のミュータントであり、ミュータントの体を乗り移って生き長らえてきたのだ。黙示録の如く4人のミュータントを従えた男は、世界再構築に乗り出す。

 本作は時系列的に第一作「X-MEN」の前に位置。そしてキャストは第一作の中核であるセカンド・ジェネレーションに繋がる。ストーム、ジーン、そしてグラサン野郎ことスコットとキャストはリバイブ。一旦、本作で幕切れとなるようだが、今後彼らリバイブキャストによる新シリーズもあり得る。

 「ファースト・ジェネレーション」からの新三部作での面白さはキャストとストーリーテリングに尽きる。ただ本作ではストーリーテリングの大胆さが後退。X-MENと最強ミュータントとの対峙が物語の主軸であり、大きな流れもなくオーソドックスに進んでいく。最強ミュータントも欲望に任せ、あまり魅力的で無い。それにいまいち物語にひねりを感じないのは、新シリーズの功労者マシュー・ヴォーンの名がスタッフに無いためだろう。

 反面、そんなヴォーンが見出した「ファースト・ジェネレーション」のキャストによる葛藤がもう一つの主軸。やはり新三部作はチャールズ、エリック、レイヴンの物語なのだ。特にエリックの苦悩は本作以降の晩年に繋がるもの。今回、ミスティークことジェニファー・ローレンスは素顔が多く、メインキャストとして物語を引っ張っていた。チャールズは第一作に繋がるべくクライマックス、いよいよあの風貌になっていく。

 シリーズとしての最低限の整合性は確保しつつ、散りばめられた伏線は全六作に相通じるもの。しかし本作では「フューチャー&パスト」によるちゃぶ台返しの後、すなわち現在の「X-MEN」に触れられていない。本作はあくまで新三部作のケジメのため。とにかく前三部作を締められなかったブライアン・シンガーなりの区切りはできたのでは無いかと思う。なおエンドロールの最後まで席を立たないように。

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2016/08/06

「ノストラダムスの大予言」を観る

 ネットに落ちていた東宝作品「ノストラダムスの大予言」を観た。1974年公開の幻の作品として知られる。何故、”幻”とされるかは作品内のある描写が、公開当時に某団体の抗議受けたためによる。「ウルトラセブン」の第12話と同じだ。それ以外に描写のエグさもあり、それだけにとどまらない事も多少は影響していると思う。それゆえいまだにソフト化されていない。

 当時の大ベストセラー五島勉著「ノストラダムスの大予言」がベースとなっているが、ストーリーは主人公を配したオリジナル。そして主人公の環境学者を演じるのが丹波哲郎。全編丹波の独壇場だ。かつてショーン・コネリーと渡り合った唯一無二、圧倒的な個性は健在、終始ストーリーを牽引する。クライマックス、環境悪化に国会で総理を問い詰める丹波。そして議事堂の前を闊歩する姿はまるでGメンだ。

 共演に黒沢年男、由美かおると当時の東宝キャスト並ぶ。黒沢の幻覚か、縮む人々に加え、突然踊り出す由美かおるのバックに生命の樹のような絵が現れる。ミュータントよろしく歩くのがメチャ速い少年、ジャンプの際立つ少女に超暗算に優れた子供が登場。暴走族はバイクごと崖から投身。それぞれのエピソードは世紀末感を漂わせる。ただパプアニューギニアの原住民が明らかに日本人というのは当時の東宝作品らしい。

 一部唐突、トンデモな展開があるものの、遺伝子組換え等、環境に関わる説明は今にも相通じる。特筆すべきは3.11を予言したような福島に関する描写がある事だ。しかも施設の脆弱さを言い当てている。ここでの1999年7の月に関する丹波の長ゼリフが圧巻。これに応える政治家以上に政治家に見える"総理"山村聰の存在感も凄い。当時は単なるパニック映画だったかもしれないが、”予言”としてみると侮れない。問題の特殊メイクも今見ればチープだしグロさもそれ程でない。今こそ”幻”の封印を解いてみてはどうだろうか。

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2016/07/30

「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」を観る

 WOWOWで録ってあった「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」を観た。原作未読、アニメ版は途中離脱。録画忘れも理由だが、何か性に合わなかった点が大きい。個人的に熱の無い分、実写版は冷静に観る事ができた。ただそれでも傑作とは言い難い。

 他所で言い尽くされた映画なので、物語説明は割愛。まず原作が未完のため、後編たる「エンド オブ ザ ワールド」が映画オリジナルというのも判る。僅かに見たアニメ版では馬が移動手段だったが、こちらは特殊車両。日本人の、日本人による、日本人だけの映画。さらに後編で明らかになる巨人の秘密も我々の住む現実世界とのリンクが現れ、原作の持つ世界観が壊されている。その秘密も映画をよく観る者にとってありきたりで新味がない。

 世評通り、前後編に分ける意味も感じない。頑張って2時間ちょっとにまとめればいいのに。そう思う所以はストーリーテリング(脚本、演出)の下手さに尽きる。樋口監督は「ローレライ」で汗臭さの足らない戦争映画を、「日本沈没」では場違いなロマンスを演出。戦闘、ビジュアルには定評があるが、人と人の場面になると途端に青臭くなる。特に本作は脚本がお粗末だから、青臭さがより鮮明になる。熱演も大根演技に変わる。

 それとやはり映画ファンは映画制作に関わるべきでない。ファンの理想は映画制作の妨げであり、逆に映画制作の現実がファンの理想を壊す。脚本に関わった有名映画ライターは自ら描いた内容と映画の違い、改変を実感したというが、それを含めての映画作りだし、ずっと映画の裏側を見てきた者にとって周知の事。今後、映画ファンとして筆に影響がない事を祈る。

 映画館ではスルーしたし、レンタルで観たいと思わなかったのでWOWOWで録って良かった。それにこの作品、あくまで樋口監督次作へのステップだったんだよ。エンドロールを見ていて多くの人が両作に関わっている事が判る。それに傑作「シン・ゴジラ」を観た後だから言える、とフォローしておこう。

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2016/07/29

「シン・ゴジラ」を観る(ネタバレ無し)

 ネットでのネタバレを避けるため、公開初日のうちに「シン・ゴジラ」を観てきた。さすがは東宝作品。そもそも地元で全国公開初日に庵野作品が観られるなんて、旧エヴァ劇場版以来。新劇場版でさえ、首都圏公開から数ヶ月待たされた。今回の鑑賞にあたり、心の中でハードルは下げて観始めたが、十分にそれ以上の期待に応える出来だった。

 ネタバレ無しなので物語には一切触れない。まず鑑賞までできるだけCMのビジュアル以外は見ないで欲しい。その準備こそが物語を楽しむ上で重要だからだ。物語第1フェーズで観客への大きな強い掴みにもなる。

 リメイク版「日本沈没」にあったような、解決に突飛な科学技術はほぼ出てこない。まずそこがいい。一点だけカギを握る謎と解決策に現実での根拠は無いが、それを無視できる程、あくまで「現実(ニッポン)VS虚構(ゴジラ)」に徹している。その戦いぶりがシミュレーションとなり、そこに関わる政治的人間模様は如何にも庵野総監督らしい。物語の根幹には戦後日本の経験した全てが詰まっている。政治的駆け引きの巧さは「エヴァ」で実証済だが、今回の俳優陣の起こす演技、化学反応は期待を凌駕する。庵野節炸裂!演出セリフ共々、本当に巧いなぁと何度もニヤリとさせられた。音楽に鷺巣詩郎を迎えた理由も本編を観ればよく判るだろう。

 内容はオリジナルを含めたゴジラ旧作、特撮作品へのリスペクトに溢れる。再上陸シーン、総攻撃、そしてエンドロールでは総毛立った程だ。あくまでCGはゴジラ(実際はそれだけでないが)、魅せるべきシーンでの特撮の使い方がいい。「進撃の巨人」では失笑を買った製作陣の面目躍如だろう。やはり樋口真嗣氏は特撮のフィールドでこそ本領を発揮すると思う。何となくの既視感も庵野総監督のお約束として許容範囲。むしろこのゴジラで"やった"事の達成感が伝わってくる。

 冒頭から膨大な情報量に溢れ、一度の鑑賞で全てを味わうのは困難かもしれない。ゴジラシリーズとして初めて本格的なスルメイカのような作品。旧作を知る程に味わい深い。迷わずパンフを買ってしまった程だ。パンフの帯の「ネタバレ注意」の文字が眩しい。Blu-rayが出たら買ってしまうだろう。もし鑑賞に戸惑っている人がいるなら、迷わず本作を薦める。

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2016/07/23

「シチズンフォー スノーデンの暴露」を観る

 今日、マックの前を通ると、かつての賑わいを戻していた。店の前で群がるように「Pokemon GO」に勤しむ人々。それだけでなく街中でも同じような人ばかりが目立った。幸い我がiPod touchでは使い物にならない事が判っている。GPS無ければ、ただの箱。例え"スマホが環境"でもまだ今はそれを望まない。

 閑話休題。今夜は「シチズンフォー スノーデンの暴露」を観てきた。国内配給会社が「スノーデンの暴露」と副題を付けてきたが、暴露だけではスノーデン氏の意思は掴めまい。あくまで個人の問題で無く、知らせるべきと判断したからだ。

 2013年初め、ローラ・ポイトラス監督に暗号化されたメールが届いた。そこにはNSA(アメリカ国家安全保障局)による情報収集に関する事実が記されていた。ローラは英国ガーディアン紙のグレン・グリーンウォルドらと送信主に接触を試みる。政治的管理下の及ばない香港、姿を現した男は驚愕の事実を話し始めた。

 本作はご存知スノーデン事件の顛末を追ったドキュメンタリーだが、同時に事件の当事者でもあるという作品。単に「9.11以降、アメリカ政府が国民の情報収集を行っている」というお話なんだろというなかれ。百聞は一見に如かず。報道による想像と作品の伝える出来事ではその衝撃が違う。例えばパスワードの桁数に関する件はもはや笑うしかない。

 都市伝説で無く、身近に潜む具体的な実例、政府同士の連携、駆け引き、そして彼ら政府の持つシステムの圧倒的な能力の前にひれ伏す。本作に我が国の姿は無いが、日本版NSCが立ち上がった今、のちの姿は想像に難く無い。システムが対テロ対策に限らない点、あらゆる通信、情報のメタデータ化等、政府のアンタッチャブルな側面の数々に、本作は民主主義の危機と警鐘を鳴らす。

 映画としてこの作品を観ると、惜しまれるのは情報量の多さに対する日本語字幕の限界だろう。読み追いつくのに苦労した場面が少なく無かった。ソフト化の際は是非ボイスオーバーの吹き替えを付けて欲しい。

 どんなにプライバシーに配慮してもシステム=政府は凌駕する。こんなブログでさえも利用される。エンディング、スノーデンとグレンのやり取りはささやかな抵抗かもしれない。それゆえにスマホ片手に情報を吐き出しながら「Pokemon GO」に夢中になる人々を見ると、何とも言えない気持ちになるのだ。

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2016/07/21

趣味と、テレビと、今思うこと

 先週の永六輔さん、そして大橋巨泉さんとテレビで親しんだ方々が立て続けに亡くなった。両方共に個性的で様々な形で触れてきた。

 永さんというとまず浅田飴のCM。どんなに舐めても舌足らずな口調は変わらない。それを知ってる人、真似る人の世代は知れるもの。永さんの個性で長年に渡りほぼ不変のCMだった。もう一つはNHKのバラエティー番組「テレビファソラシド」。「笑っていいとも」以前にタモさんを起用した番組でもある。単なるバラエティーに非ず。必ずテーマを元に余韻を残す。観ていた小学生当時、何か不思議に惹きつけられる番組だった。

 巨泉さんは物心ついた時には萩本さんと共に視聴率王的な存在だった。「頭の体操」からあの「クイズダービー」、「世界まるごとHOWマッチ」や親に隠れて観ていた「11PM」とヒット番組は枚挙いとまがない。

 インパクトがあったのは「巨泉のこんなモノいらない」という番組だった。時に社会派だった月曜11PMから派生。それまでゴールデン帯では無かった巨泉の社会的提言バラエティー。筆者的には同番組の最終回は「巨泉」と揶揄した事(実際の最終回は「国境」)があったが、のちに自ら国会議員になった事、その顛末は如何にも巨泉さんらしい。

 また24時間テレビの初回スタッフの一人でありながら、今や福祉バラエティー化した同番組を批判。歯に衣着せぬ立場を貫き、自分の主張を曲げない姿を見せた。

 個人的には競馬と巨泉さんの関わりが興味深い。既に現役予想家を退いた頃、スーパー競馬にゲスト出演。ミホノブルボンの皐月賞当時で「ダービーでライスシャワーが面白い」と発言。本番は超人気薄で2着に入った事、のちに名ステイヤーとして名を馳せる事になるとは。クラシックはディープ産駒を買えばいい今と違い、先駆者の一人として血統的洞察に基づいたコメントだった。

 永さんにしろ、巨泉さんにしろ、我が父母とほぼ同じ世代。晩年、国に対する見解、憂い、想いは重なる。それを引き継ぐ世代として冷静な目線は保っていきたい。それに限らず、二人の見識が少なからず我が血肉になっていると思う。ご冥福をお祈り致します。

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2016/07/17

「キングコング対ゴジラ<完全版>4Kデジタルリマスター」を観る

 日本映画専門チャンネルで放送された「キングコング対ゴジラ<完全版>」を観た。前回の集中放送と異なり、今回の「キンゴジ」は4Kデジタルリマスター版だ。通常のBSデジタル放送のために2Kダウンコンバートとなるが、それでも質の向上が伺える出来。ゴジラシリーズは何度も観ているが、意外に本作を通して観るのは初めてな気がする(昨日同じようなことを書いたけど)。

 自社提供番組の視聴率獲得に乗り出すパシフィック製薬は、南海のファロ島に居る魔神探しに乗り出す。一方、北極海調査のため派遣された原潜シーホーク号が氷山に座礁、その影響で眠っていたゴジラが蘇った。時同じく巨大タコに襲われるファロ島。彼らを救った魔神こそキングコング。だがコングは木の実の薬効で眠ってしまう。テレビ局はこれを機にコングを日本へ連れ出した。やがてゴジラは日本に上陸。ゴジラとキングコングの雌雄を決する戦いが始まった。

 「ゴジラの逆襲」から7年後、1962年公開のシリーズ第3弾。以降のゴジラシリーズのフォーマットはこの作品で確立されたものと言っていい。ゴジラと対抗怪獣、街、ランドマークの破壊等などお決まりの連続。特にコングを探しに行く過程はそのまま「モスラ」に当てはまる。原住民が茶塗りの日本人というのは何とも滑稽だが、初期のゴジラシリーズはそれが許される時代性で成り立っている。

 キャストは当時の東宝らしいオールスター。若き高島忠夫に有島一郎、浜美枝と若林映子の007コンビ(「007は二度死ぬ」)に平田昭彦と田崎潤とそうそうたる面々。特に有島パパのノリは、まるで若大将シリーズから乗り込んだようで可笑しい。

 シリーズの中でゴジラの造形が最も好きなのはやはり「キンゴジ」。巨大感を表す尻尾とのバランス、まぶたの処理が好き。凶暴な顔でゴジラが人類の敵である事も大きい。

 肝心のキングコングとゴジラの決着は何とも言いようがない終わり方だが、正直大人の事情なのだろう。そんな決戦の地、地元に近いのに熱海城の存在を知らなかった。熱海城を挟んで相見える二大怪獣に興奮。反面、彼らが上陸するまでの前半はなかなかタルい。でもそれで物語を引っ張れるのは、それが許される当時の時代性なのだと思う。

ちなみにハリウッド版ゴジラがキングコングと対決するという噂もあるが、リアリズムばかりに気を取られ、本作に勝る興奮は得られないだろう。とにかく先に夢の対決を実現した当時の製作陣に感謝である。

160717

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